(なかなか連載に戻れなくて、ごめんなさい)
突然だが、私は、眠り際や目覚め際、深層意識と日常意識の淡いに、不思議な経験をすることが多々ある。
毎晩ではないが、オルゴールやハープの音のような、えもいわれぬ美しい、かそけき音を聴くのだ。(ラジオ等はつけていない)
午前4時~5時、玄関の♪キンコンで「はーい」と出ても、誰もいなかったり、以前、沖縄を単独で旅した際、私以外泊まり客がいない海辺の宿で、あまりにも明確なノックがあったりで、霊なる“オトズレ”を聴くこともしばしばだ。
だが、それらは少しも怖いものではない。誰にも人間同士にコミュニケーションがあるように、亡き人たちや、高次なるガイドとのコミュニケーションがあり、ようはそのキャッチの仕方が、人によって違うだけのことだから。
絶滅危惧種ともいえる私の土俗的体質は、きっと母ゆずりのものだろう。そしてその体質が開花(?)してきたことを、私は心から歓迎している。
というのは、母が様々な“怖いもの”を見て怯えていたことに対して、(実人生で過酷なことがあっても)私は過去も今も、そのさなかで、“よきもの”も見聞きしているからだ。
そもそも、キリスト教でいう“福音”も、よろこびの訪れという意味である。
その音は、神の光をうつす澄み切った音であり、たとえていえば、クリスマスにサンタが乗ってくる橇の、鈴の音みたいなものなのかも?
シャンシャンシャンシャン……「くるぞ、くるぞ、喜びがやってくるぞ…」
清き音色が運ぶものは、お金や名誉といった地上の宝ではなく、万人にとって喜びである“真理”のはず。そしてその音色の波長に合わせて生きてゆくことさえできれば、人生問題ナーイのだが…
という、「少しづつ」よろこびの波長に合わせることができるようになってきた私の、今朝の夢の覚め際のこと。
布団の中で横になっていたら、ふと、口をついて出てきた言葉があった。
※以前、カトリックの井上洋治神父に導きを受けことは、お伝えしたが、同時期、私は神父が考案された、和室でのミサ聖祭(プロテスタントでいう礼拝)にも通っている。
何年ぶりだろう、畳の上で唱えたミサの最期の祈りが、突然、口にのぼってきたのだ。
※ちなみに冒頭にある“アッバ”とは、キリストが話したとされるアラム語で、「父」を意味する言葉である。かしこまった「お父様」ではなく、「ちゃん!」。
キリストは「天にまします我らの父よ…」と、しかつめらしく神に呼びかけたのではなく、小さな子どものように、全信頼をもって、「とーちゃん」的に、呼びかけのだ。そしてそれを踏まえた神父が、以下の祈りを創られたのだ。
風の家の祈り
アッバ。
利己主義に汚れている私たちの心を、あなたの悲愛の息吹で、洗い清めてください。
空をゆく雲、小川のせせらぎ、一輪の野の花が捧げる祈りに合わせて、
私たちの祈りを、あなたの御前で、澄んだものとしてください。
そして、御子イエスが、重い人生を背負って歩んでいる人たちの心を、まず受け入れ、うつしとり、友として生きられたように、わたしたちにも、そのような人の心をうつしとることのできる、友の心をお与えください。
喜びも、哀しみも、苦しみも、すべてをあなたの御手から受け取ることによって、わたしたちの日々の生活の場が、あなたの悲愛の息吹の、働きの場となることができますように…
夢うつつで、いい終えた瞬間、♪キンコーン、今朝は本当のドアチャイムが鳴った!
どんぴしゃりのタイミングで届けられたそれは、児童書の出版社である、福音館書店の編集部にいる親友こと、石田明子(みつこ)さんが手がけた、二冊の絵本だった。(明ちゃん、ありがとう!)
ふたつの絵本はどちらも季節はずれの舞台だが、このタイミングで与えられたことの尊い意味を感じて、以下に御紹介させていただく。
★一冊目は《木の実のけんか》(岩城範枝・文 片山健・絵)
楽しい花見の場で、ブンタンや柚子といった、柑橘系グループと、栗や柿などの山の実グループが、ケンカをしてしまう話だ。栗は、自分の山(と主張している)場所で、遊んでいる柑橘類がおもしろくなく、宴会に交えてもらったものの、自分を尊ばないといったり、おまえたちには教養がないといってあざ笑い…
★もう一冊は、
《セミ神さまのお告げ》(宇梶静江・作)
こちらは、アイヌのユカラ(神謡)をもとに、現存のアイヌ女性が、超絶技巧で布切れを縫い合わせてつくった、《古布絵》による創作絵本だが、
世の終わりを告げる、預言者のような歌を歌う老婆が出てきたり、老婆の歌を笑うひとたちが大洪水にのまれたりで、聖書の最期にある《黙示録》を思わせるような内容のそれに、びっくり!
ふたつの絵本の最期は、驚くほど似ていた…争いや災害といった混乱が起こるが、それらは“大きな風”によって一掃され、その後、平安が訪れる…
もうじき、シャンシャンシャン…に向かうための、大きな変わり目がやってくるのだろうか?
吹く風の中、予感にも似た思いを感じて、厳粛な気持ちにかられた朝、
彼方の青空を見ながら、「ちゃん!」と呼びかける…