2009年8月22日 (土)

深まる晩夏

Dscf0036 沖縄のTさんの奥様から、お便りを拝領した。Tさんが12日に帰天されたとのこと。事態の急変に驚きつつも、あのタイミングでお訪ねできたことの意味をも知らされた。


Tさんは最期の時、病床で、


「住所…」といわれ、奥様が「東京の?」と聞かれると、小さく頷かれたという。そこで奥様が「東京都○○区…」というと、安心したように、再度、頷かれたという。


最期は沖縄と決めていたTさんだったが、彼の≪心の家≫は、東京のお宅だった。


(人は天に帰る前、しばし地上の家で安らぐ…)


そして地上における私の心の家がどこなのか、それを今、問う必要はないが、見事に生ききったTさんに、心からいいたい。


「最期の最期までよくしてくださり、ありがとうございました。重い荷物を降ろして、やれやれでしょう。お疲れ様でした。」


私は先にupした記事の、「再会を確信している」という予感が、外れたとは思っていない。ぼろぼろになるまで使いきった、あの肉体を介する出会いは終わったが、“すべての人がそうであるように”Tさんの魂も永遠であり、私もこの肉体を捨てた時、また会えると、ごく自然に信じている。


そう…セミが脱皮する時、なんらかの痛みが伴うかもしれないが、だからといって、セミが脱皮をやめるわけではない。


時がくれば、それまで纏っていた体を脱ぎ捨て、新しい自分を生きてゆく。


≪外側には命がなく、内側に命がある≫


同じように、人間も消えゆくものである≪抜け殻≫を捨て、解放の空へと飛んでゆく…。



近日、都内にて法要。




風がセミの抜け殻を運んでゆく夏の終わり、カラカラ、地を転がる透明な音を聞きながら、瞑目合掌。


Tさん、ありがとう…また一緒に、楽しいいたずらを仕掛けてゆきましょう……続編を楽しみにして、またね!

Uka

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2008年11月 1日 (土)

風の家の祈り

(なかなか連載に戻れなくて、ごめんなさい)

Middle_1148609029 突然だが、私は、眠り際や目覚め際、深層意識日常意識の淡いに、不思議な経験をすることが多々ある。

毎晩ではないが、オルゴールハープの音のような、えもいわれぬ美しい、かそけきを聴くのだ。(ラジオ等はつけていない)

午前4時~5時、玄関の♪キンコンで「はーい」と出ても、誰もいなかったり、以前、沖縄を単独で旅した際、私以外泊まり客がいない海辺の宿で、あまりにも明確なノックがあったりで、霊なる“オトズレ”を聴くこともしばしばだ。

だが、それらは少しも怖いものではない。誰にも人間同士にコミュニケーションがあるように、亡き人たちや、高次なるガイドとのコミュニケーションがあり、ようはそのキャッチの仕方が、人によって違うだけのことだから。



絶滅危惧種
ともいえる私の土俗的体質は、きっと母ゆずりのものだろう。そしてその体質が開花(?)してきたことを、私は心から歓迎している。

というのは、母が様々な“怖いもの”を見て怯えていたことに対して、(実人生で過酷なことがあっても)私は過去も今も、そのさなかで、“よきもの”も見聞きしているからだ。


そもそも、キリスト教でいう“福音”も、よろこびの訪れという意味である。

その音は、神の光をうつす澄み切った音であり、たとえていえば、クリスマスにサンタが乗ってくる橇の、鈴の音みたいなものなのかも?

シャンシャンシャンシャン……「くるぞ、くるぞ、喜びがやってくるぞ…」


清き音色が運ぶものは、お金や名誉といった地上の宝ではなく、万人にとって喜びである“真理”のはず。そしてその音色の波長に合わせて生きてゆくことさえできれば、人生問題ナーイのだが…

という、「少しづつ」よろこびの波長に合わせることができるようになってきた私の、今朝の夢の覚め際のこと。

布団の中で横になっていたら、ふと、口をついて出てきた言葉があった。


※以前、カトリックの井上洋治神父に導きを受けことは、お伝えしたが、同時期、私は神父が考案された、和室でのミサ聖祭(プロテスタントでいう礼拝)にも通っている。

何年ぶりだろう、畳の上で唱えたミサの最期の祈りが、突然、口にのぼってきたのだ。

※ちなみに冒頭にある“アッバ”とは、キリストが話したとされるアラム語で、「父」を意味する言葉である。かしこまった「お父様」ではなく、「ちゃん!」。

キリストは「天にまします我らの父よ…」と、しかつめらしく神に呼びかけたのではなく、小さな子どものように、全信頼をもって、「とーちゃん」的に、呼びかけのだ。そしてそれを踏まえた神父が、以下の祈りを創られたのだ。




風の家の祈り           


アッバ。 Hinakikyou

利己主義に汚れている私たちの心を、あなたの悲愛の息吹で、洗い清めてください。

空をゆく雲、小川のせせらぎ、一輪の野の花が捧げる祈りに合わせて、

私たちの祈りを、あなたの御前で、澄んだものとしてください。

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そして、御子イエスが、重い人生を背負って歩んでいる人たちの心を、まず受け入れ、うつしとり、友として生きられたように、わたしたちにも、そのような人の心をうつしとることのできる、友の心をお与えください。

喜びも、哀しみも、苦しみも、すべてをあなたの御手から受け取ることによって、わたしたちの日々の生活の場が、あなたの悲愛の息吹の、働きの場となることができますように…



夢うつつで、いい終えた瞬間、♪キンコーン、今朝は本当のドアチャイムが鳴った!

どんぴしゃりのタイミングで届けられたそれは、児童書の出版社である、福音館書店の編集部にいる親友こと、石田明子(みつこ)さんが手がけた、二冊の絵本だった。(明ちゃん、ありがとう!)

ふたつの絵本はどちらも季節はずれの舞台だが、このタイミングで与えられたことの尊い意味を感じて、以下に御紹介させていただく。



0000 ★一冊目は《木の実のけんか》(岩城範枝・文 片山健・絵)

楽しい花見の場で、ブンタンや柚子といった、柑橘系グループと、栗や柿などの山の実グループが、ケンカをしてしまう話だ。栗は、自分の山(と主張している)場所で、遊んでいる柑橘類がおもしろくなく、宴会に交えてもらったものの、自分を尊ばないといったり、おまえたちには教養がないといってあざ笑い…

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       ★もう一冊は、

       《セミ神さまのお告げ》(宇梶静江・作)

こちらは、アイヌのユカラ(神謡)をもとに、現存のアイヌ女性が、超絶技巧で布切れを縫い合わせてつくった、《古布絵》による創作絵本だが、

世の終わりを告げる、預言者のような歌を歌う老婆が出てきたり、老婆の歌を笑うひとたちが大洪水にのまれたりで、聖書の最期にある《黙示録》を思わせるような内容のそれに、びっくり!

ふたつの絵本の最期は、驚くほど似ていた…争いや災害といった混乱が起こるが、それらは“大きな風”によって一掃され、その後、平安が訪れる…



もうじき、シャンシャンシャン…に向かうための、大きな変わり目がやってくるのだろうか?

吹く風の中、予感にも似た思いを感じて、厳粛な気持ちにかられた朝、

彼方の青空を見ながら、「ちゃん!」と呼びかける…

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2008年10月14日 (火)

沖に向かって

Sea_2 本ブログのサイドバーでもHPを御紹介している、

“オーシャンファミリー海洋自然体験センター”


は、私の親友である


海野佳子(よしこ)さん と、その御主人の海野義明さんが立ち上げた、NPO法人である。

お二人は、ナニカト問題の多い現代の子どもたちに、海の魅力を伝えるべく、様々な活動を続けておられるのだが、先日、その佳子さんから、飛び込みの、コラム仕事をいただいた。

いわく、神奈川県の葉山町で活動しているオーシャンファミリーに、県からの依頼があり、相模湾で遊ぶ子どもたちを含む、《とっておきの風景》をコラム付きで紹介してほしいとのこと。

《子ども・自然・コラム》と、私の好きな世界が、三位一体でやってきたとあって、即、引き受け、某日、葉山の海から徒歩3分のところにある、オーシャンのセミナーハウス(旧・網元の家。庭に船がある)を訪ね、コラム用の風景写真を見せていただいた。

で、義明さんが撮られた↑を見て、思わず歓声。

「きれい、なんて爽やかなの!」

子どもたちのワクワク気分もそのままに、沖に向かうシーカヤックが、海に浮かぶ虹のよう!

加えて、私が子供時代に毎日見ていた富士山も、くっきり見えて、うわー、元気になっちゃうよー(撮影場所・長者ヶ崎海岸)

そう…心も海に似て、日々、景色が変わるのよね。だったら私もひとつの景色にしがみつくのはやめて、心の海に漕ぎ出そう。

というわけで、新しい風を得た私は、別途に、葉山御用邸前の「小坪海岸」用のコラムも書き、即、入稿。

Jack

ちなみに、公私ともにお世話になっている海野さん御夫婦は、かつては三宅島に暮らしておられ、島で会った、世界的な海洋生物学者、故・ジャック・モイヤー氏と共に、自然保護活動を続けられておられたとのこと。

(※海洋関係の世界では、今は亡き3人のジャックが有名である。映画《グラン・ブルー》で知られたジャック・マイヨールと、船による海洋探査や、ドキュメンタリーのTV番組でも知られた、ジャック・イブ・クストーと、モイヤー先生)

その後、海野さん一家は、三宅島の爆発による毒ガスの噴出で避難を余儀なくされ、義明さんの郷里である、葉山に転居されたとのこと。

それを聞いた私は、一人娘の帆南(ハンナ)ちゃん共々、親子三人で毒ガスの島を避難してきた姿を想像し…

形こそ違え、それぞれに与えられている日々の試練を思い、改めて“人生それ自体が冒険”だということに、気づかされたのである。

(※ハンナちゃんが小さかった頃、私はブログにUPした「しんりのルーペ」をはじめ、絵本の読み聞かせをしたり、夜の海で一緒に歌ったり、砂で人魚をつくったりして、遊んで〈もらって?〉いた)

またエコ時代とあって、義明さんは各地での環境教育をはじめ、講演会にもひっぱりだこなのだが、彼が出張の折などは、佳子さんから

「登美子さん、家で御飯しない?」の電話が入り、私はいそいそ、お泊りパックで伺うこともあったりして。


うん…あれは春先だったな。部屋に入った途端、

わかめを干したままだけど」

ゆらゆら、室内では大量の新わかめが揺れていて、それを見ながら、若き日に、フランスやアフリカを単独放浪したという佳子さんと共に布団を並べ、龍宮の乙姫よろしく、二人して、磯の香りの中で眠ったのだ。

そうだ…あの日の夢のように、もう一度…いや何度でも…沖に向かって漕ぎ出そう。

ゆっくり、うっとり、時に大きく深呼吸しながら、休み休みでいいから、ともかく…これからもずっと…いろんな景色との出会いがあるだろう、心の海を漕ぎ続けよう…

突然だけど、いろんな形で支えてくれている友に向かって、心からの感謝をいいたくなった。ありがとう!みんな、また一緒に遊ぼうね!


ちと危なっかしい、ようやくのパドルを握りしめながら―

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2008年9月24日 (水)

風がはこぶもの

Can1 過ぎし夏、ゆえあってカナダ関連の資料本を読み続けていた。いささか胃に負担を感じていた某日、近所にある、豆腐専門店のランチにぶらり。

その日、店内は混んでいたため、カウンター席のはじに座り、ごま豆腐、柚子豆腐が並んだ御膳を、とろとろ食べていたら、ふたつ隣りの席に、30代とおぼしきスタイリッシュな男女が着席。

女性は欧米系の外国人で、流暢な日本語を使いながら、注文したビールの小瓶を傾けて男性にお酌などし、ふむ、爽やかにして、いー感じの佇まいである。

特に会話もないまま、しばらくのち、パントマイムでもやりそうな、キュートな御婦人Aが、私の隣りに着席。彼女は、その店がはじめてのようで、メニューを開きながら、「何しようかなぁ」などと独り言。そして私の膳をチラリとのぞき、「それ、おいしい?」とのたまった。

そこで私は「ええ、とても美味しいですよ」と答え、「そう、じゃ、私もそれにしよう」と、あいなった…普通ならここで話は終わるのだが、なんとなく手持ち無沙汰の二人は、袖刷りあうのも他生の縁とばかりに、二言三言。

「お近く?」と聞かれて我が所住まいを答えたら、かの夫人、ピョンと跳ねたウサギのような声になり、「あら、○年前、私が住んでいたところよ」となった。


流れのまま「今はどちらですか?」と続けたら「カナダ」との言葉が出て、するとその言葉を耳にした隣席の白人女性が「え、そうなんですか?私もカナダ、オタワ出身です」といい、なんだなんだで、初顔合わせの4人が盛り上がってしまう。


いわく、隣席婦人の御主人は、ブリテッシュ・コロンビア・ユニバーシティ(BCU)の教授で、「私の姉もアメリカの大学で」と答えたら、え?え?カナダの御主人(日本人)の友人が、私の友人とわかり、嗚呼、絶句!

4人は豆腐を食べながらたちまちメルアド交換となり、スタイリッシュな御夫婦は、北海道でハンバーガー・ショップの経営者とわかり、今回は友人の結婚式のため、こちらにきたとのこと。

「夏場、二階は空き室がありますから、どうぞ遊びにくてください」その言葉を最期にナイスな御夫婦はいずこかへと消え、私は残った婦人が出版系に興味ありとのことで、小一時間も話し込む。その結果、


「新井さん。夫は来年はサバティカルで、東京の大学で教えるのよ。私たち来年一年間、都内に住む予定だから、またお会いしましょう!新井さんは、主人と絶対話が合うと思う(?)の。ぜひ、主人にメールを送っておいて」


といわれてしまった。見えざる力に後押しされた私は、その日のうちにカナダの先生にメールを送り、当ブログまで御案内したところ、お会いしたこともない先生から、


「妻から電話があって、新井さんのことを伺いました」


そこまではよかったが、てっきり共通の友人と思っていた方は、専門を同じくする同姓の別教授とわかり、あちゃー!私は大赤面。

「失礼しました!」

にも関わらず、御多忙であろう先生は、カナダでの学会情報など送ってくださり、「いえいえ、これも何かのご縁ですから、来年、お会いしましょう」といってくださり、大々恐縮。


で、時過ぎて…今度は北海道の御夫婦のことが、ふと気になる。いただいた名刺のHP等を調べてみたら、なんとビックリ!ハンバーガー店のオーナーである彼こと、渡邉仙司(ひさし)さんは、スキーのインストラクターをしながら、ニセコメキシカン風のバー《ギュタス》を経営し、絵本も創っているとのこと!

こりゃ大変。(何が大変なのかよくわからないが)


同人種の匂い
を察知した私は、ビビッときて、即メール。やはり当ブログのことを伝えてみる。すると、

「新井さんの好きな本と、僕の好きな本がかぶっていました!」となり、一昨日、オホーツクからの風にのり、彼が創ったという絵本が送られてきたのである。



「鳥の社長」
(新風舎)なんて可愛らしい作品!

物語内、小さな備品まで、一筆一筆、丁寧に描かれていて、いかに著者が愛をもって描いたか分かり、ラストに出てくる、夕暮れに回る観覧車もリリックで、私は楽しい贈り物に、思わずニッコリ。

著者名、「サンチェ」とあるのは、渡邉さんがメキシカンが好みだから?

なんてことも、まったくわからないことだらけの人との、この展開は、どう考えても神様からのギフトとしか思えず…そしてこういうことは、日々、吹きっさらしの風にまかせている私には、多々あって…うん、例によって、何の根拠もないまま、いつか私は彼らを訪ね、カナダにも北海道にも行くことになるだろう…と思ってしまったのだった。



未訪ゆえ、ちと無責任な情報だけど、きっといい味だしているだろう渡邉さんの店は、北海道は虻田郡倶知安町にある、

《ペリカンバーガー》 http://www.pelicanburger.com

 すてきな奥様、ヨアンナさんが笑顔で迎えてくれるはず。お近くに行かれる機会のある方はどうぞ

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2008年9月15日 (月)

猿田彦によせて

Hinotori5 漫画家の手塚治虫先生が描かれた“火の鳥”は、時空を超えた大ロマン。壮大な叙事詩ともいえる作品だが、繰り返し登場するキャラクターの中に(アトムでいえば御茶ノ水博士のような)天狗のように鼻の大きい男がいる。(サイドバー記載の虫プロHPを参照)



古事記
に登場する道ひらきの神、猿田彦がモデルとのことだが、何度も名前を変えて出てくる彼のうち、私が一番好きなのは“鳳凰編”我王である。

時代設定は奈良時代(?)極貧の子供時代を過ごした彼は差別され、虐げられた果てに盗賊になるのだが、ある時、獄内で絵と木彫の天才的表現をはじめるようになる。

その後、我王は波乱を経て役人に両手を切られ、放浪僧となるものの、世にあって世を越えたその目は力強く澄み、彼の周りには、いつも様々な動物が集まるようになる…

というキャラクターを、あまりに愛していたゆえにだろうか。経営者時代、私は知人の紹介で、伊勢神宮の内宮にある、猿田彦神社宮司さんとも親しくさせていただいている。

猿田彦ならぬ、宇治土公貞明さんは、とびきり楽しい方だった。初対面では開襟白シャツに、ヤーさんもどきのサングラス。それを取っ払ったら、あららとかわいらしい目が現れるナイスガイで、「僕は学生時代は渋谷(国学院)でしたから、この辺は懐かしくて。その頃は、漫画家になりたかったんですよ」といわれ、当然、意気投合。

以来、上京されるたびに寄ってくださった宮司さんは、その声と同じく、発想もやわらかな方だった。広大なスペースをもつ神社の境内を使って“おひらきまつり”と称したイベントをしかけ、民俗学者、漫画家、宗教哲学者、ミュージシャン等を巻き込み、地域ばかりか、神道界全体も活性化された方なのだが、

ある時、数年来続けていた、まつりに新機軸がほしい。何かいい切り口はないかとつぶやかれたことがあった。

で、過去一度、伊勢のまつりにも参上していた私は、ひらめきのまま、即、提言。


レーナ・マリアさんを招ばれたらどう?」Ph_2001_10_1


ご存知ない方のために説明すれば、レーナさんは、両手と片足に先天的な障害をもつ、スウェーデンのゴスペルシンガーである。(過去、パラリンピックにも出場。何度も来日され、各地で公演活動をしている)

興味シンシンの態となった宮司さんに、「詳しいことを調べておきましょう」と伝えたところ、数日後、今度はステキな銀髪紳士のお客様が「僕の友人がレーナさんの日本のマネージャーです」といわれて、びっくり!しかもまさにその時、レーナさん本人が来日中で、横浜のミッション系の女子高の「学園祭」で歌われるとのこと。


(なんでこーなるの?)


スケジュールを調整した私たち数人は、ノリノリ状態で女子高の学園祭に出向き、流れのまま、花も恥じらう制服乙女たちに囲まれて、会場ホールに着席する。

そして渡されたプログラムに目を落とせば、のっけに全員起立で賛美歌と書いてあり、どうなることかと思っていたら…

なんと、私の隣りに座っておられた宮司さんも起立し、楽譜を辿りなら、一緒に歌ってくださったのである!(逆のことができる牧師、神父、僧侶は、いったいどれくらいいるだろう?)


「洗礼しろっていわれたら、ちょっと困るけど、それ以外なら、なんだってやりますよ」


そういって笑う宮司さんと観た公演は素晴らしく、アメージンググレース他を歌ったレーナさんの声は、まさに天上を吹き抜ける風のよう!

幕間、高校生の一人が、小さな声で質問した。

「日本のどこが、一番印象に残っていますか?」

レーナさんは間髪いれずに答えた。

「長野の善光寺。境内で歌った時のことです」



瞬間、私と宮司さんは(いけるかも?)と笑顔で目配せし、終了後、宮司さんも「うちの社の御神田の前でレーナさんが歌ってくれたら、ええやろうなぁ~」と、子供のような顔でいわれ、先のことはまったく未定ながら、清々しい午後を共に過ごした私たち数人は、足取りも軽く、それぞれの場に散っていったのである。


その後、宮司さんは、客のひいた店のカウンターで、「ママにとって、キリストって何?」という、とんでもない質問をくださったこともあった。普段は迷ってばかりいる私だが、この時
ばかりは、なぜか即答だった。

「一人じゃない。地縁も血縁も超えて、いつでも一緒にいるって感じかな」

すると宮司さんは、一瞬、感に堪えない表情になり、

「神道は、地縁や血縁を越えてゆけるか…」

などとつぶやきながら、常とは違う表情で、此処ならぬ何処かをみつめたのである。

おおらかで優しい宇治土公さんは、牧師について書いた拙作の出版記念会にも、お花を贈ってくださったのだが…




あまりにも残念なことに、実はこの八月、亡くなられたのである。

共通の知人から心筋梗塞と伝え聞いたものの、まだ50代後半の友の訃報には絶句で、ポロポロ涙の後、私は、しみじみ独白。

レーナさんの神社コンサートは流れてしまったけど…楽しい思い出を山ほどいただき、本当に感謝だなと。

さらには、宮司さんとは、今後も手塚先生の猿田彦のように、時空を超えた世界で何度もお会いできるはずだと。

そして次にお会いできたその時こそは、僭越ながら、世に活力の風を送るための楽しい仕掛けを、一緒に企ててゆきたいな…とも。

     

     
      宇治土公さん、楽しい時を沢山くださり、本当にありがとう! 8c1b7e9d

        

     偲ぶ会は伊勢にて10月。神社の稲穂も実る頃である。

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2008年9月 1日 (月)

ココロの姉

Uminouta 皆さん、お久しぶり!この夏は、いかがお過ごしでしたか?

私の方は、豪雨・雷雨・炎暑・暴風と、なんでもありの天気どおり、前代未聞の激しい夏を闘っていました。正直言って、くたくたボロボロ~

今、陸にあがった腑抜け水母(クラゲ)のような状態ですが、いやぁ、基本に戻したこのテンプレートが、まぶししいのなんの。「白」って、輝かしい色だったんだと、改めて知った次第。

で…今はまだ、手がけている仕事の詳細について話せる時ではないのですが、海底山脈を越えてきた水母は、フクザツな旅の余韻をかみ締めながら、なにやらブツブツ…

苦さ、甘さ、辛さ、熱さに加えて、痛い哀しみや、絶望と紙一重の希望や、歓喜まで、あらゆる感情の沸騰にみまわれた夏だったけど…ま、しかし、我が魂は、知らず、人生をたっぷり味わい、表現することを願っていたのだと思い、消化不良の感大ながら、もろもろ、飲み込もうとしているところ。

え?なんのことかわからない。だよね…そこで少し気合をいれるべく、大切な友に出した、残暑見舞いの写真葉書を添付。

我がココロの姉こと、荒井英子さんに送ったもので、英子さんは、以前、ハンセン病者の療養所で知られる、《多摩全生園》附属教会の牧師だった方で、今は某大学講師。

《ハンセン病とキリスト教》(岩波書店)

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なる名著も書いておられる方だが、以前「なぜその世界に?」と聞いたところ、からりと笑いながらいわれた。

「子供の頃、夢の中で、川の向こうからやってきたその人たちに、自分の頬を、カパッと噛まれてしまったの。あ、わたしも一緒になっちゃった!と思ってから、自然にひかれるようになって」

それを聞いた私は、感無量。だって世間には「まず」理念や正義感を振りかざし、「気の毒な人たちに、よくしてやろう」とか「めぐんでやろう」と(その行為事態は悪いものではないにしても)上から目線で接する人は山ほどいるけれど、

英子さんのように、身体感覚ともいえるような納得を得て関われる人は、本当に少ないからだ(ココロの奥を探ってみると“気の毒”な人とはどういう人なのか、わからないことも多々ある)つまり、大切なのは、高みからではない、この同列目線なのだと。 という英子さんや、お友達の患者さんたちといっしょにお茶した時の、あたたかい時間は忘れられないもののひとつだが、もうひとつ、

英子さんは、原始キリスト教学の世界的権威として知られる、荒井献先生の23歳年下(!)の奥様でもある。

私が仕事を通じて先生にお会いできたのは、ずいぶん前のことだ。その際、対談をまとめるだけの「黒子」のつもりでいたら、先生が「あとがき」でもったいないようなお言葉をくださり、思いもかけず、「黒子」を「白子」にしてくださったのだ。

「黒子こそが評価されるべきだと、僕は思うんですよ」

出版の価値や喜びを知りぬいておられる先生は、私を「共働者」と呼んでくださり、さらには英子さんも御紹介してくださったのだが、それだけでなく、私が店を開店した後は、当時、恵泉女学園大学の学長であられた先生が、折々、大学職員の方たちを引き連れて御来店くださり、オールド・パーのボトルを何本も入れて下さるという(!)幸甚までいただいたのである。

ある時、私が「大晦日生まれだから」と諦めモードで笑いながら、親から誕生日を祝ってもらったことが一度もないといったら、英子さんが「家にいらっしゃい」といって、大晦日の夜(!)先生共々、御自宅で祝ってくださったこともあった。

親なく、子なく、(今のところ)夫なく、姉弟も遠い我が身にとって、御夫婦からいただいた数々の慰めは染み入るようにうれしく、存在自体、宝といいたい方々なのだが、その後、先生は拙著の書評まで書いてくださり、大恩人を得て身が引き締まった私は、御夫婦にも送りたい、さらなる「次」へと向かったのである。

95188 等々、多くの方々に支えられて、ナントカやってこれたのが私だが、聞けば、英子さんは体調イマイチとのこと。そう…どちらも夏バテの頃ですね。苛烈な夏をぶっとばしてきた私も、自身を戒めながら一言。

誰の旅も、山あり谷あり。時には無理せず休み、折々出会う花や鳥との出会いも大切にしながら、ゆっくり進んでゆきましょう。英子さん、くれぐれもお体を大事に。それぞれの戦場を越えて、秋風が立つ頃になったら、爽やかな笑顔で、またお会いしましょう!

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2008年8月 3日 (日)

猫名

時々の気分で、猫になったり、犬になったり、蝶になったりする。

荘子はこれをムツカシイ言葉で“物化”といったが、ようは物と自分が、あなたとわたしが、現象世界が溶け合ってひとつになってしまった認識状態…と思えばよろし。

という哲学的話題とは関係なく…ある人は、私のことをゴールデンレトリバー、飼い主を目にした途端、ちぎれるほどに尻尾を振る大型犬と思っているかもしれないが、ある人にとっては、断然猫。風のように現れたかと思うとふらりと去ってゆく、気まぐれニャンコと思われているよう…でもある。

そう、後者の彼は、世界を旅するカメラマン。慈愛の人でもある彼に、《股旅》と書いたバックを下げた白猫の絵手紙(!)を送ったのはだいぶ前のことだが、以来、彼の被写体に、心なしか猫数が増えたようで、淡く長く続いている彼も、ニャンとなく気にニャる存在。

Cats で、物書き猫は真夏の発情、もとい夏バテもあって、猫好きの友こと内山文江さんに℡してみる。

ちなみに内山さんは、我が文庫の担当校正者。職人としての見事な仕事ぶりにも惚れたが、茶道と猫をこよなく愛し、仏+英テイストの香りがいたくステキな部屋に住み、たまーに泊めていただく際には(冬場ね)私の両脇それぞれに猫たちがきたりして、なごむの~

photo by miyoshi kazuyoshi 

その内山さんが「七匹目の猫を飼い始めた。各種予防注射や避妊手術だけでも大変だろうに「家族だから」とさしたる苦痛の風でもなく、しかも全猫、毛づやピカピカの美猫ぞろいとあって、「おまえたち、幸せだね~」と、私は猫玉を撫でて、ただ、うっとり。

思わず「内山家の八匹目になりたい!」と口にしたら、彼女が私仕様の猫名をくれた。

本名、ニックネーム、源氏名、ペンネームに加えて、カトリックの友が「イメージかも」といって、畏れ多くもルルドの泉をみつけた“ベルナデッタ”なる少女の聖名をくれたこともあったが、ついに猫名までもらえるのかと、ワクワク。

「うーんとね、家の七匹目が“きなこ”だから…」

しばしのち、これしかないというように、内山さんがいいきった。

あずき!Cat_2


……ふっくら煮込んだ小豆の甘さを思い浮かべながらも、なぜか白猫の君のことが気になる私。そこで、氷小豆ミルクがけなんぞを食べながら、ゴロゴロ、猫テレパシーを使い、ニャン友状況の世界に向かって、オリンピック前の猫による平和宣言、

「おーい、みんな元気?アイシテルヨー」状況を越えた希望を語るべく、愛の暑中見舞いを送ったのでした。

         

photo by Itaru hirama      cool  beauty →

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