コラム

2008年5月11日 (日)

Ⅰ have a dream

ミャンマーやチベットを気にしつつ、先週末、次作の関連取材で所沢へ。帰路、青山学院大学主催の対談を聞くため、築地の朝日新聞社内にある、【浜離宮ホール】に行ってきた。

5月9日夕刻。登壇したのは、宗教哲学を専門とするプリンストン大学のコーネル・ウェスト教授と、各方面で活躍中の政治学者、東京大学教授の姜尚中のお二人で、対談のタイトルは《 異なるものとの共生 》 

T3 ※思えば我が人生、青山学院との御縁は深く、渋谷で店を営業していた頃は、短大国文科や英文科の先生方をはじめ、事務局の方も、多々、御来店いただいた。二度にわたった出版記念会や、開店一周年記念パーティも、附属の『アイビーホール』を使わせていただき、今回のチケット入手も、学院学生課の西川豊さんの御助力あってのことだった。青山の皆さん、ありがとう!

加えて、今回の会場の総支配人は、長年の友人でもあり、うれしいビンゴに押されて出向いたところ…素晴らしい対談に感動!


冒頭、ウェスト氏は、たたみかけるような調子でいった。

勇気が必要だ!すべては勇気をもって、物事を批判的に見ることからはじまる!」

聴衆すべてを煽るようなリズムの語りは続いてゆき、

「人生には痛みがつきものだが、個人においてもそうであるように、国においても、自身の最も深い、闇の部分を見つめる勇気が必要だ。アメリカでは、先住民に、黒人に、ヒスパニック系に、性的に、階層的に差別されている人たちに対して、どのように関わってきたか。皆が避けて通ろうとするその闇を見つめないかぎり、人も国も、同じ過ちを繰り返すだろう。日本では、アイヌに、沖縄に、在日に対して、どう関わってきたのか」

photo by Hiroshi Nirei↓

S10001 ベストセラーを多々上梓している彼は、マルチな才人らしく、ラップのCDも発売しているとのこと。スーパー・ラッパーの口調に気おされてか、常とは違うトーンで姜氏が応えた。

「ウェスト氏は、限定的な範囲のナショナリズムと、普遍的なものを同時に追い求めている方のように思うが、

率直にものをいうことの大切さも、知らされた。これまで自分は婉曲にいわざるをえないと思っていたが、まわりくどい言い方はもうやめようという気持ちになっている」 

次いで、

「イギリスから独立したアメリカはrevolution(革命)を、日本は近代化に移行する際、restoration(維新)というゆるやかな変化を経験しているが、無血移行のほうが望ましい」

という認識のもと、

「世界に大きな影響を与えている日米両国は、今、民主主義を活性化させるためのエネルギーが、停滞しているようにみえる」

と述べ、日本の秩序は『天皇制』の下で保たれていると発言したところ、ウェスト氏が刺激的な切り返しをした。

 Jazz1 「アメリカに天皇はいないが、巨大な軍事パワーに対抗する、ピープルズ・パワーが働いている。中でもブルースマンやジャズマンといったアーティストの働きは重要で、ルイ・アームストロングや、BB・キング、ジョン・コルトレーンや、スティービー・ワンダーらは、単なるエンターティメントではなく、迫害の歴史を昇華した、民主主義の守り手たちだ」

加えてロシアの作家、チェーホフの名前もあげて、

「『桜の園』や『三姉妹』にもあるように、ごく普通の人達の暮らしにみる、忍耐や痛みへの共感を持つことも重要だ」と述べ、

民主主義をcultural way of being と定義づける彼は、アイデンティテイとは、たえず構成してゆくものであるといい、何より、国より先にヒューマニティがあると言い切った。

アメリカで公民権運動を率いた、キング牧師が暗殺された時、彼は10歳だったとか。

「クリスチャンでもある自分は、どの国の旗の下にあるかということより、“愛”の下にある」さらには、

「アメリカ人の方がイラク人より偉いとか、ガテマラ人より偉いとか、エチオピア人より偉いとかいう考え方もあるが、自分はヒューマニティを無視する主義を持ち上げようとする考え方に、反感を覚える」といい、9.11以降についても語りはじめ、

Tama

「アメリカでは、今、不安が募っている。テロにやられるのではないか、迫害にあうのではないかと。しかし黒人は400年間、アメリカ社会で同じような思いを経験し、黒人版のアルカイダも、KKKもつくらなかった」

尊い念押しのような言葉はさらに続いてゆき、

傷つけられたから傷つけるのではなく、ヒーラー(癒し手)になれ。痛みを経験したことで何を学んだのか

イミテーション的生き方は、自殺行為だ、クリエーションが必要だ

等々、学者というより、アーティストといいたい彼の勢いはとどまるところを知らず、当初は長いと思った二時間半が、あっという間に経過する!

で、このところ…前頭葉が割れっぱなしの感ある私は…当代の知識人二人を前にして、超僭越ながら、思ってしまったのだ(私が辿ってきた道は…時に愚かで、ぐちゃぐちゃだったけど…方向性は間違っていない!)

思えば我が喜びは、現実社会の真只中で、与えられてきたものだった。そして、パンに飢える者に対してはパンを与え、パンにおごっている者に対しては、【人はパンのみに生きるにあらず】といって看破した、スーパー・パンクのキリストも、現実の真只中で生き、十字架を通して愛を示したのだ。であれば…などと思っていたら、

質疑応答の時間、滞米経験の長い日本人の僧侶から、「同じもののほうが楽という気持ちになりがちだが、違うものを楽しめるようになるためには、どうしたらいいのか」という声があがった。

ウェスト氏いわく、「同じと違うは、車の両輪のように不可分だ。違うことを語るためには、同じ部分を知らなくてはならず、逆もある。その両方を受け入れるためには、禅の瞑想も有効だろう」

姜氏いわく、「ナチスも然りだが、同じものだけ尊ぶ思想は危険だ。生物学的にはどうかわからないが、人間は他者を必要とするようにつくられているのでは。同じものだけが集まると、互いに食い合ってしまうのかも」

ラストは全員立ち上がり、ウェスト氏の野太い声のリードで♪We shall over come~を歌ってお開きに。                                     Hama1

直後、私の隣りにいた大学生(?)二人の会話に、思わず微笑。

「俺、姜尚中、好きだな」「俺も。二人の話は全然わかんなかったけど」「うん、けど、なんかうれしいよな」

その後、浜離宮ホールを仕切る我が友、濱吉正純さんこと、通称「ハマちゃん」と合流し、ホール運営や、アーティストの役割等について、熱く語りあう。

※ハマちゃんは、学芸部時代、堂々の記事も書いていた人だが、今はパフォーマンスの季節らしく、名刺の裏には↑こんなイラストもあり(!)オリジナル人生を楽しむ、シンプル・ハートフルなナイスガイにも感謝で、see you again !

他にも御紹介したい方や、書きたいことは山ほどあり、追々、アップしてゆく予定ではあるけれど…心の水位をあげてきたオネーサンは、今回の対談効果もあって、ほんちゃん勝負の原稿に向かって、火がついたような。夏が山…などとつぶやきながら、マークの鉢巻を、またぞろ締め直したのでした。


※お知らせ。アップ後の記事に手を入れること度々で、工事中の、お見苦しいシーンを目撃された方もおられるかと。ブログは“瞬時”が命だけど、再チェックしてくださると、なおうれし。もろもろ御容赦で、ごめんなさい。次回からは、変則テーマで変則アップとなりそうですが、今後とも、よろしくね!

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2008年5月 7日 (水)

愛についての雑感

 あらゆるところに“愛”があふれている。街、新聞、TV、ラジオ、ネット、いたるところで語られ、追い求められているのが「愛」なのだが、誰もが知っている(つもりの)愛とは何か、説明してといわれたら…

そもそも、人間にとって重要なこの概念を、「愛」という、一言の日本語に押し込めてしまったことに、無理があるのではないだろうか。                   Sp

ちなみに、ギリシャ語では、愛には三つある。

・フィリア(友愛)・エロス(性愛)・アガペー(至高の愛)

うち、エロスを《 美との一致の願望 》といわれた方もいるが、それはともかく、わが国ではこの三つがごたまぜになり、もっぱら、エロスについてだけ語られているような…

もちろん、私はエロスを否定するものではない。私たちに様々な喜びをもたらすそれは、創造の神秘と繋がる尊いエナジーであり、あらゆる創作に欠くことのできない、活力でもあるからだ。

たとえば鮭の産卵や、動物の交尾、ミツバチによる受粉や、彼方を泳ぐ雌を慕って歌う、ザトウクジラの声…それらを見たり、聞いたりする時、内なるエロスが共振し、おのずと歌が生まれてくる。

本来、エロスは、よきものといえるだろう。(これを否定してかかると、様々な捩れが生まれてくる。老人でも聖職者でも人間である以上、その情動はあり、否定は人間否定となり、苦悩が生ずる)

だが、このよきものも、エゴ(自我)の支配下に入ってしまうと、私たちは、いとも簡単に誤用してしまう。

私も含めた多くの人は、日々、様々な思い込み(投影)によって自他を値踏みし、見えない檻の中に自身を閉じ込め、与えられた今という時を、苦いものにしてしまう。

相手を“所有”したいと熱望していたのに、所有した途端、興味を失ってしまう人もいる。互いを解放しあうことを願うのではなく、自分を喜ばせる“道具”とみたて、相手を支配する喜びにかられる人もいる。

自身の苦悩の原因を、とりまく環境や人のせいにする人もいる。貧困や病気や災害等、環境にも大きな要因があることは確かだが、ようは与えられた環境をどう見るかで、選んだ伴侶に不満を言い続ける人もいれば、重度障害を持つようになった伴侶を介護する、輝くような笑顔の人もいる。

そして愚かな道を辿る途上、「愛の放浪者」や「愛の実践者」を山と見てきた私は、次第に思うようになったのだ。

                                                         
                                      アガペーなしに、自由なし。
            Heart2

                                 たとえば、

                           「君の目ってステキだね」

彼氏から、こういわれてうれしいのは当然だが、と見ている彼の目は、自分もそうであるように、変わりやすい目でもある。あてにならない目に自身の存在価値をゆだねてしまえば、日々牢獄だが、アガペーの中に生かされている自分を知った上で、その目を楽しむことができれば、こんなに楽で、強いことはないだろう。

                                 Dscf0003

私の場合、《絶対愛》は、様々な人との出会いを通して、キリストからやってきた。

人からの評価を超えた絶対価値が与えられたことで、捕らわれから自由になり、状況の如何を越えて、湧き続ける泉のような、喜びを覚えるようにもなってきた。

もちろん、私も人間である以上、今後も、的外れな投影をして、落ち込むことはあるだろう。衰えてゆく体や能力を知るにつけ、ふさぎこむこともあるだろう。しかしその時でも、共にいるキリストが、断言してくれている。


わたしの目に、あなたは高価で尊い。イザヤ書43-4

私たちは、本来、神の傑作。そのことを繰り返し味わいながら歩き続けることで、次第に透明になり、いつしか、空っぽの管となって、神の息吹によるところの、風を通すものに変えられてゆくのである。


というわけで、我が定義を以下に記せば、

愛は何処にもある永久不滅のふいご。ねだるものではなく、見出し、かつ、与えられるものであり、与えられた愛は、それぞれの個性を通して流出し、喜びの波紋をさらに広げてゆく、世にあって尊い宝なのである。

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2008年4月28日 (月)

ジャンプする初夏

 Koinobori                                 先のプロフィールを打ちながら、“軌跡”を“奇跡”としたい気持ちにかられてならなかった。

よくぞここまで生きてきた。いや、生かされてきたというべきだが、もーダメだ、もーダメだと思いながら進んでゆくうち、徐々に視野が開け、なんとかやってこれたというのが、正直なところである。

過ぎてきた景色のいくつかについては、先々、短編形式でお伝えする予定だが、新しいアドベンチャー・ロードを走る前に、まず、お世話になった方々に、感謝をいわせていただきたい。

最初に、“付添婦”時代、過酷な現場でよくしてくれた、同業者のおばちゃんたちに、ありがとう。

死にゆく人たちを看取る現場で、「ねえちゃん、がんばりな」といって、リンゴをくれた八王子のおばちゃん、銭湯で背中を流しあった群馬のおばちゃん、「おしめ」を「おつめ」としか発音できなかった、超やさしい宮城おばちゃん他、みんなとのサバイバルなしに、今の私はありえなかった。

また、渋谷の夜のバイト時代から、ずっと支えてくれている人たちに、ありがとう。みんなとの泣き笑いを通して、血縁を越えた家族を持つことができたと思っている。おかげで、聖書を知るずっと前から、“隣人”ってなんなのか、わかっていた気がする。ありがとう。                       C1

昼の部の仕事を通して出会った編集者や、ジャーナリストの皆さんにも、感謝をいいたい。特に今、海外におられる方たちに、アメリカ、イギリス、エジプト、中国、タイ、イタリアから、

「ブログ見たよ」の言葉をくださったみなさんの、尊いルポや裏話は、私の隣人意識と、文章表現の可能性を広げてくれました。

加えて、芸術を愛する方々へ。芸術は、本来、創造の源と直結する火花であり、活力である。疲れ果てていた時、ハッとするほど美しいものや、輝くものと出会い続けてきたことで、立ち上がり、進むことができたと思っている。命の喜びを吹き込んでくれた多くのアーティストや、つきあってくれた友に感謝してやまない。       

店に来てくださったお客様たちにも、もちろん、感謝を。慰めの時を分かち合い、様々な情報を提供していただき、沢山のボトルを入れていただいたおかげで、店の家賃や女の子たちのバイト代を払い、母の看護をすることができました。ありがとう。

取材先で、あるいは様々な場所で出会った、聖職者やクリスチャン諸氏へ。多くの牧師や神父をはじめ、皆さんに祈っていただいたことを、感謝しています。いや、それどころか、来店してくださった宮司や僧侶、神学者や、宗教学者や、文芸評論家のみなさんにも、宗派や教派や学閥を越えて、お心使いをいただき、感謝してやみません。

その上で、僭越ながら、いわせていただきます。

家族同士や、子供同士が殺しあう時代、また、練炭や硫化水素による自殺が相次ぎ、咲いた花が切り取られるこの時代にあって、共になすべき「何か」があるのでは?

小さなロウソクでも闇を照らす。ロウソクの大きさは問題じゃない。ささやかでもいい。この時代に対して、「有効な何か」ができるはずだ。私がその道に導かれたのは、多分、みなさんと同じように、無意識のうちであれ、《真理による自他の解放》を求めてのことだったのだから。

Hana ブログを開いた理由のひとつに、この「何か」をクリアにしたい気持ちがあったことを、明示しておきたい。

さらには、病気療養中の方々に。休む時、働く時、すべてはふさわしく与えられるものだが、私もそうだったように、病気の時は逆らわず、止まることで見えてくるものを大事にし、十分休んでください。回復に向かう病床に、日々の慰めがあるよう、祈っています。

他、とりまく自然に。窓辺にくる雀や、テントウ虫、輝く海や、山の端に沈む月にも感謝…などと並べたてていたら、どこからか「うるせー、飲み屋の女ごときが何いってやがる」なんて声も聴こえてきた。

それをいうなら「もと」飲み屋といってほしい。とういより、「もと」であれ「現」であれ、その職業に対して、あなたがなぜ《ごとき》なんて言葉を使うのか、よーく考えてほしい。

私も自他の心の動きを、とことんみてきた人間だから、それなりにわかるつもりだ。妬み、嫉み、憧れ、軽蔑、つまり恐れという闇は、本来、人の心の中にあるのだと。

そして解放とは、この恐れを手放すことで、手放すことができた途端、大いなる感謝や、希望や、平安といった、本来、人の心の中にある光が、現れてくるのだと。

ま、早い話が、私は、いろんな方の背を借りて跳んでゆく、《交代ジャンプ》がしたいのだ。リズムは人それぞれ。休み休みでも、問題なし。跳ぶたびに互いが明るくなってゆくはずの、あのジャンプを、どこまでもどこまでも、やろうとしているのだ。


以下は某牧師がくれた、私への言葉。

「あなたって狂っているねぇ、でも、いい狂い方だねぇ」

その言葉だけを勲章にして、フワッと、あるいはヨロッと、またまたのジャンプを試みるのである。

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2008年4月21日 (月)

はじめまして

 突然ですが、まず、過去、様々な場でお会いしてきた方々、あるいは私が書いた本を読んでくださった方々に、ご挨拶させていただきます。

「お元気ですか?」「皆さん、お変わりありませんか?」お忙しいなか、このブログを開いてくださり、本当にありがとう!ご無沙汰していますが、私は元気にやっています。

そして、まだお会いしたことのない方、たまたま、このブログを開いてくださったという方々には、「はじめまして」。あなたがどんな方で、どんな日々を過ごしておられるのか、わかりませんが、何か心に響くことがあれば、これからもよろしく。

と書いて、私って何者?

そこで、これまでの活動や、主な出会いを含む、びっくりもののプロフィールを、次回用意させていただきますので、まずは、そちらを参照してくださいね。

年齢は秘密。現時点では、顔写真やコメントの受付も控えさせていただきたく、もろもろ含めて、楽しんでいただければ幸いです。

基本的には、週1、2回更新。折々のおしゃべりやコラムだけでなく、近々、私の描いた“絵物語”も公開する予定ですが、その際の更新頻度は、不定期になるかも?

等々、先々どうなるのか、私自身、まったくわかりませんが、なんとはなしに、楽しい予感あり。


風は良好。


では、ドキドキわくわく、未知なる海に向けて船出するとしましょう…

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