2009年11月 8日 (日)

ハート日記(2)

●また書き始めた。


「神様にハメられた」というか、例によって先もわからぬ世界へ。


ふと、新体道の稽古を思い出す。延々やらされた“連続ジャンプ”。カンベンしてよと思いつつ、ジャンプする前は、いったん、深く沈んだなと。

Cocolog_oekaki_2009_11_08_02_25導入部の消耗激しく、


ジャンキー状態が続くと危ないので 、音楽で緩和。バッハのチェロソナタ集を購入。なんて完璧!数学的、構築的世界の調和に打たれたり、10代に聴いたフランソワーズ・アルディを再聴したり。


●友人との℡も極力控えている某日、用件ついでに「好みのタィプ」の話題になる。「動物系がいいか?植物系がいいか?」と聞かれて、「鉱物系」と答え爆笑される。


《内的に結晶していて動じない人》…っていうのは後付の理由だけど、互いに慈しみ、アホなチャレンジャーでもサポートしてくれる人ならね。


一日が早い。入浴後ストレッチも。長旅になりそう。

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2009年11月 4日 (水)

ハート日記(1)

誰であれ、時がくれば、あえる。               Cocolog_oekaki_2009_11_04_12_06

     その時、響くものがあれば、物語は続く。

              心は自由なので、誰にも支配できないが、

                         

                叶うことなら、

              

                  自分を大切にするように、

                            相手も大切にしたい。

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2009年10月30日 (金)

大リセット中

ゆるみきっていた自分に反省。もろもろ片付け、ブログはしばらく不定期upとします。

                                                              聖霊の炎を内に覚えつつ。Pj

 

    




         

             ※ Paul  Jenkins →

       ≪   Phenomena    Tibetan   Prayer    Crystal     1983   ≫

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2009年10月21日 (水)

オリオンへの手紙

G 再び葉山の佳子さんと。


御主人の義明さんが、海洋教育の講演のため出張中とあって、中学生になった帆南(ハンナ)ちゃんも一緒に会食。


今回のお泊りは、23日まで空に流れるオリオン座流星群を観よう!という思いもあってのことだったが、ただ見るだけじゃなく☆に願いをかけようと決まる。そしてハンナちゃんが、


「でも星が流れた瞬間、三回願いをかけないといけないんだよ」といったため、


「じゃ、星にお手紙を書こう!」となり、3人揃って紙に向かうことになる。



のマーカーを手にした私が、「お手紙だから、相手の名前を書かなくちゃね」といって、≪オリオン座・流星群様へ≫と書きはじめると、ハンナちゃんが、目をキラ星のように輝かせてのマーカーを握る。オレンジのマーカーを手にした佳子さんが、


≪ステキな流星群様へ…≫と書きはじめると、ハンナちゃんがS


「ママ、星にゴマすってる!」といって笑い、私も笑っていう。


「同じ願いを三回書いて、星が流れた瞬間、これを振って星にみせよう!」


それぞれが書き上げた紙を持ち、二階のベランダにある、物干しに出る。


「オリオンさーん」


でも…定刻なのに、ちっとも星が現れない。「物干しに願いを干しておこうか?」という軟弱な意見や、「オリオン・ビールを飲みながらの方がいいかも」という意見も出る中、正確な方角が定かでないことに気づき、調べた結果、東の地平近くと判明し、「もっと灯りの少ないところにゆかなくっちゃ」



Tori_2 まずは海野家の仕事場で、こんもり木が繁る、オーシャン・ファミリーのセミナーハウスにゆく。(もと網元の家で、ここだけ沖縄風)


入り口に置いてあった日本野鳥の会のフリーペーパーに、ふと目が止まる。クリムトか琳派のような表紙の絵は、故・加山又造によるものだが、その図象が銀河のようにも見えて、心のまま、ページを繰る。


目次には、私の好きな写真家の、岩合光昭さん藤原新也さんのお名前が並んでいてハッとするが、その下に書かれていた言葉にも胸うたれる。

                 


                  莫遂有縁勿住空忍



※あらゆる客観的存在には実体がなく、空である。しかし、一切は空であると空に執着すれば、本来の空ではない独善に陥ってしまう。執着する心がなければ、中道にあり、解脱道の人となる…


「佳子さん、これ貰っていい?」怪訝な顔の佳子さんからフリーペーパーを貰った私は、願い紙と共に、流星が観やすい場所に向かうべく、二人と一緒に近くの低山を登り始める。



素晴らしい夜だった。


暑くもなく、寒くもなく、どこからか花の香りが漂ってくるような夜、風に髪を揺らしながら歩く私は、一歩一歩、登る道が急であっても、空であっても、内なる喜びは失せることなく、むしろ増してゆくように感じていた。


低山の裏にある東側の麓に出ると、大小様々な家が並ぶ景色が目に飛び込んできた。地上に降りた流星群のような家々の灯りを目にした私は…あぁ、あの家にも、この家にも、「おかえりなさい」「ただいま」、さもない会話を交しながら年月を重ねてゆく、人の営みというものがあるのだなと…………


目新しい景色は、何ひとつなかった。しかし私の心の何かが明らかに変わりはじめているのだろう。ごく普通の、さもない景色を前にした私は、長年、自分の中にあって気づかなかった≪懐かしい景色≫に出会えたような気持ちになり、あたたかなものがこみ上げてきて、瞬間、涙ぐむ。


小さな空き地を見つけたハンナちゃんが寝転び、仰向けになって夜空を仰いだ。その後ろの草の上に、佳子さんと並んで座った途端、


「あ」


斜め後ろを、かけぬける星のように過ぎてゆく、真っ白な猫の姿を見る。


「今の見た?」

「え?」


それは私だけが見ることが許された幻だったのだろうか。しかし、その時の私の目には、猫であって他の何かでもあるような、まだ若猫といえるの弾むような足取りが、確かに焼きつけられたのである…




結局、流星は見えずじまいだった。


オリオンの星たちは、より低い東の地平で燃えて溶け、彼方の空に消えたのだ。


「寒くなるから」


佳子さんに促されたハンナちゃんが、ちょっと膨れて立ち上がり、次いで立ち上がった私は、誰にも秘密にしておきたい願いを抱えたまま、よき隣人である母子と共に、やってきた道を帰ってゆく。



もしかすると…私たちはいいことと嫌なことを、日々選り分けて嘆いているけど…実は、すべては色濃く繋がっていて、自分が放った想いが、ブーメランのように戻ってくるだけのことかもしれないな…確かにすべての景色はたちまち過ぎてゆく夢かもしれない…であったら、私はその夢をいたずらに怖れるのではなく、楽しんでゆきたいな…



ふかふかの布団を敷き、二人とおしゃべりをしながら、心深くにあるものを感じ、与えられている≪今≫を抱きしめるように、眠りにつく。



つまり、オリオンへの手紙の返事は、見えない星を追って遊ぶ白猫一匹。W


流星は見えなかったけど、いろいろ響きあってなんだか心キラキラ、とてもステキなことを知らされた気分の夜、皆さんもキラキラで、またね!

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2009年10月 2日 (金)

歌を連れ帰る人

アジアで地震。またしてもと思いつつ……早期復旧を願うのみ。10月3日は十五夜。台風の接近や秋雨前線の影響もあり、日本の空模様も定かではないが、一時でも満月を愛でることができればと。


そこで、ふと思い立って月を詠んだ和歌を調べたところ、山とある中、興味深い歌をみつけた。


複数の歌集に挿入された歌だが、おかしなことに、作者の名前はどの歌集にも残されておらず、「田舎の兵士」とだけ記されていたのだ。



文献によれば、その昔、源俊綱の家で≪水上の月≫と題された歌会が催されたとのこと。その際、一人の兵士が歌を詠み、これを聞いた参加者たちが自作を恥じ、みな退出したとあった。


当時の歌人のほとんどは、特権階級にいた貴族や武士だったはずだが、得意満面で揃った彼らが、こそこそ逃げ出す様が見え、ちょっと小気味よい話だなと。


しかし彼らは、歌会からの退出だけにとどまらず……

(以下は私の勝手な解釈で、研究者から笑われるかもしれないが)彼らは多分、自作を恥じるだけでなく兵士を妬み、後年、歌集を編纂する際、なんらかの圧力をかけ、兵士の名を「意図的に」削除させたのではないだろうか?


(歌会に招かれるくらいだから、兵士はかなりの詠み手として知られていたはずだし、そもそも、招待者が客の名前を知らないはずがないのである)


もちろん、我が国では万葉集以来、「防人の歌」とか、「東国の武士が詠める」といった呼称も用いられている。誰が詠んだのかわからない≪口承歌≫のような場合、“詠み人知らず”も使われている。


しかしこの場合、誰もが認めた秀歌の詠み手を紹介するのに、わざわざ蔑称としか思えない「田舎の」兵士と記したのだから、編者の意図を疑わずにはいられない。


風雅の道でも人が集まる限り汚水は流れるものだが、自身の名前が欠けた歌集を見た時の、兵士の気持ちはいかばかりか?


彼は落ち込み、その後、歌から離れてしまったのだろうか?私はそうは思わない。


「兵士」という荒らぶる職に就きながらも、このような歌を詠んだ彼は、学歴(学識)・家柄・面子にこだわり、権力闘争に明け暮れていたであろう都の歌人たちとは、ほど遠い心をもっていたはずだ。


(いいたい人にはいわせておけ)

兵士は世を遥かに超えて澄んだ心を持ち、以後も野に遊んだのではないだろうか?



たとえば満月の夜、彼は山深くにある湖で釣り糸を垂らしている。


これまで様々な魚を釣ってきたが、彼はもう(大物を釣ってやろう)とか(名をあげてやろう)といった気持ちは失せており、空や水とひとつになり、湖底に眠る魚の寝息を聞いている。



釣り糸が彼の≪歌心≫なら、魚は≪歌≫そのもの。W



空っぽの心で垂らした彼の糸に、強い引きがくる。ほどなくして、水に映る月を破り、金色の魚が跳ね上がる。


そして「歌」である魚は兵士のような人こそ待っていたので、安んじて彼の魚籠に収まり、彼と共に家に帰る…。





和歌の歴史上、兵士の名は残されていない。しかし彼は歌を連れて帰ったのだ…と私は思いたいのである。







   水や空     空や水もみえわかず

  

         かよひてすめる     秋の夜の月

       

  

    ※(続詞歌集184  新後拾遺集372  古今著聞集6  十訓集3より)

      田舎の兵士詠める

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2009年9月28日 (月)

満開

Dscf0006 庭のエンジェル・トランペットが(どうしたの?)という勢いで、満開になった。大きく開いたその数、約70輪!


(なんだか、天使の軍団がきて、祈ってくれているって感じだな…)


と同時に、インド原産のこの花は曼荼羅華ともいい、釈迦が世に現れた時、天から降ってくるといわれる花でもある。そう思って見ると、迦陵頻伽(極楽に住むといわれる鳥)の声が聞こえてくるようでもある。


花は花でしかないが、人は様々に投影する。そしてその投影は、その人が慣れ親しんだ象徴からくることが多く、象徴が違っても、人はみな、幸せを求めている…


確かなことは、私は、時折り水をやる以外、なにもしていなかったのに、かくも見事な花が開いたということ。また、夕暮れから夜にかけて、花たちが素晴らしい香りを放つという、奇跡のような事実だけである。


そう…御近所の方々にも、圧倒的な香りが届き、みなの心に、なんらかの影響を与えていることは確かだろうけれど…それぞれ、いろんなことがあるだろう人生、この数日だけでも、みながステキな夢を見ることができればいいな…


そんなことを思いながら、薮蚊の襲撃にもめげず、何度も何度も、花の下に潜っている。

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2009年9月24日 (木)

願い

≪終の棲家≫について考えている。青い鳥が住んでいるその家は、決して大きくないが、自然と共にあり、いくつかの独立した部屋をもっていて、時折、よき友が集うことのできる、共通のテーブルがある。

私はもう怖れずに、幸せを選ぼう… Bb

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2009年9月22日 (火)

初秋の音色

●秋の気配が満ちてきたら、チェロが聴きたくなった。M


チェロは、金管楽器のような輝く音色は持っていないが、木製ゆえの深みとぬくもりがあり、腹から腰を抜けて大地に響く音色は、弾む春や、苛烈な夏を越えて深まる、秋そのものである。


で、笑われるかもしれないが…大人の包容力と思索性をチェロに投影してやまなかった私は、ひと頃、チェロを弾く人と結婚したいと思っていたのだった。


正しくは、チェロ的風合いを持つ人…なのだが、まず形から入った私は、電車の中でチェロケースを抱えた人に出会うと、ドキッとして顔を覗き見たり、


つい先日も、バスの車内でパブロ・カザルス・フェスティバルのステッカーや、SAITO記念オーケストラのシールを張ったケースを持つ人に出会い、ちらちら顔を見ては、怪訝な視線を返されたばかりである。


K 私見をいわせていただければ、チェロには、名残りの若さと渋さが同時にある。


たとえば、バカな私が何をいっても、チェロ的ハニーなら気を荒立てることなく、抑制のきいた心で、余裕の笑みを浮かべてくれる…ような気もする。


そんな人がどこかにいたらと夢見るうち…かくも長い独り身が続いてしまったわけだが、


肝心のチェロ音楽に詳しいかというと、実は入門編止まりで、お恥ずかしいことしきり。


雑学系で荷物を極力少なくしたい私は、音楽はFMが基本で、「その時」与えられる曲との交流を楽しむか、「これは」と思うCDを繰り返し聴くのどちらかだ。


かつては演奏会にもよく行ったが、今はNHKのクラシックアワーを聴くこと度々で、あったらいいなと思う、ヨーヨー・マの【バッハのチェロソナタ全曲集】も、現時点では未購入。


つまり、私は極めて原始的な人間で、季節の移ろいに反応し、春になるとピッコロを聞きたくなるように、秋になると俄チェロ・ファンと化し、ミーシャ・マイスキーのCD等に耳を澄ます、半端なクラシックファンなのである。


手持ちのCDのうち、シューベルト【アルペジオーネ・ソナタ】や、フォーレの小品、【Tristesse】は何度も聴いているが、聴くたび思う。


音楽って、水の流れに似ているなぁ。


せせらぎや、川や、滝や、運河や、海溝や、海洋にある流れにも似て、ある時は繊細かつ優美に、ある時は大胆かつ豪壮に、膨らみや収縮を重ねてどこまでも流れ続け、上昇や下降、爆発や沈静といった様々な音の運動を重ねて聴くものを包み、私たちに生命そのものといえる、揺らぎを与えてやまないのである。


音楽はよき隣人。しかし様々な隣人たちに囲まれながらも、【ゴーシュ・求む】


そんな看板も、こそっと掲げたい気分の今…新しいオトズレをヒソカに待っているってところか。


●と、ここまで書き、話題になって観ていなかった映画、≪おくりびと≫のTV初放送を見たら、びっくり!主人公がチェロを弾いていた!


映画の感想はあえていわないが…主人公の職業や人生を思うとチェロしかなく、その音色の中…母が亡くなった時のことを思い出した。


母の最期の時、“納棺師”はいなかったので(というより、我が郷里では見た事がなく)私が162cm・36㎏と化した母の体を清めて、服を着せ、口に綿をつめ、化粧をほどこし、胸に十字架をかけたのだ。


右は、郷里の古い教会で撮った写真で、正餐式用の聖具の横にある、硝子器の中には、63歳で受洗した母が、洗礼式で使用した水が入っていた。J


ゆえあって、その日、立ち会った身内は、私だけだった。


そして式に先立つ半月ほど前、イスラエルに旅した私は、母の洗礼用にと、ヨルダン川で汲んだ水を牧師に使っていただいたことも、今ではよい思い出のひとつである。


そうだ…私と母は激しい関係で、言い争いも多々あった。しかし愛憎を超えて働く、≪上よりの力≫があったことも確かだ。


後になってわかることもある。あの時もこの時も、私はお手上げで、自分を無力に思っていたが、振り返れば、無力という≪空の器≫に注がれた光量は大きく、ゆえにこそ、道は開けたのだと。


何事も、自分の尺度で決めつけないように!


人生、すべからくお任せモードになってきたような感じだが、何が飛び込んでくるかわからない今、諦念とは異なる「よろしくね」でゆくのが正解かも?

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2009年9月18日 (金)

球体憧憬

俳人の梶等太郎さんから、お兄様である北村武士さん(グラフィック・デザイナー)が創られた写真集をいただいた。


最終頁に記載されていた、写真集と同タイトルの文章を以下に。

Jiro


        ※ karada no iro  honto  ha   glay →



アルマジロの網膜


アルマジロは、南米に棲息する哺乳動物です。背中は硬い殻をまとっているが、相手を攻撃する武器はもっていない。


他の動物と対峙する瞬間、ただ身を丸めて、相手が退却するまで、静かに待って防衛に専心する。その姿は、人間に戦いをしない平和を暗示しているかもしれない。


憶測するところ、アルマジロの網膜には、長い歳月、人間が争う数々の愚行が投影され、その非合理を見抜き、そして、優れた視線で、宇宙を眺めては、太陽と地球と月が丸い球体であることを知る。


その時、球体の美しさにアルマジロは陶酔し球体願望が生れ、自ら球体になろうと挑戦する。


そんな折、身を丸めて戦わず勝利する、独自の兵法の奥義を取得したのであろうか。

アルマジロの辞書に学ぼう。

 

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2009年9月10日 (木)

希望の光

B 拙宅の目の前にイタリアン・レストランが開店した。時折の風に混じるニンニクの香りを嗅ぎながら、かの国のことを思い出していたら…


以前、拙著で御紹介した、酒匂キリスト教会(小田原)の、勝俣慶信牧師から℡が入った。


私が近況報告もかねたメールを送ったところ、同時に(これは)という方からのメールが着信し、促しを覚え、℡をくださったとのこと。


「イタリアに留学されていた、テノール歌手の方なんですが…」


聞けば、牧師にメールを送った方は、【 前田進一郎さん 】といって、その昔、韓国で宣教師もされていたとのこと。


前田さんは、どういう流れか、私の書いた『現代牧師烈伝』を読んで心を動かされ、勝俣先生に「はじめまして」メールを送られたのだと。


そして私も過去、(少ないとはいえ)何冊か本を書いてきたので、いろんな方々との御縁をいただいてきたが、テナー歌手ははじめてで、興味をもってネット検索をしたところ、


おお、前田さんのお顔が、随所に現れた。


イタリアというより、スペイン・バスク地方を思わせるような、濃い命を持つお顔だな……と思っていたら、それもそのはず、前田さんは、沖縄出身だった!


加えて、我がブログ記事でもupした、スウェーデンのゴスペル歌手、レーナ・マリアさんの専属ピアニストとも競演され、CDも販売中。

http://www.kyobunkwan.jp/einkarem/shop/53_1176.html


私の好きな世界が三つ揃い…しかも短縮形のお名前が“前進”(!)という方が、今、現れたことに意味を覚え、勝俣先生に向かって、思わずいう。


「いつか前田さんのコンサートがあったら、御一緒させてください」

「それが、近々あるんですよ」A_2

(へ?)


それから先は、あっという間の展開だった。




勝俣先生が前田さんに取り次いでくださり、一度もお会いしたことのない御本人から、御招待したいとの連絡をいただいたのだ。


事が動く時って、こうなのね。キラキラ、トントン流れてゆく。


そうなんだ、いつもいつも、≪自分の計画≫にしがみつき、流れない川にしがみつくのではなく、喜びをもたらす≪神の計画≫を選びなさいと、招きの声が聞こえてくる。


であれば、まだ見ぬ前田さんに心から感謝して、弾む心のまま出かけよう。


心が自由でありさえすれば、そのスペースに神様からのギフトが飛び込んでくる。日々の憂いにとらわれて、心のすべてを明け渡してはいけないし、事実、≪真の喜びの道≫を求め続けている以上、明け渡しようもないのである。


そして何より…拙著が様々な形で用いられ、このような形での喜びが、今、届けられたということに…私は、限りない感謝を覚えてやまないのである…。


どの仕事も楽じゃなかったけど…書いておいてよかったな。



当日は、友人たちを誘ってうかがう予定。ソプラノ歌手の方との競演や、合唱もありとか。会場は、JR石川町にある≪イタリア山庭園≫近くの教会で、お時間と御興味のある方は、ぜひどうぞwine

 


 ☆10月10日(土)pm6時開場・6時半開演。前売2000円。当日2500円

     

      「希望の光」コンサート (横浜セブンスデー・アドベンチスト教会)

             http://navikana.com/045-662-7266/

       

        ※このコンサートの収益金は、国際飢餓対策機構に寄付されます。

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2009年9月 2日 (水)

ウグイス夜話

私の曽祖父は、ド田舎の町長で、県会議員にもなった人だ。Tea_2


当時珍しかった、スタンドつきの野球場もつくり、そこそこの名士だったのだろう、町営スタジアムの片隅には、今も曽祖父の銅像ならぬ、<胸像>が残っている。


※胸像完成の除幕式の時、私は多分4、5歳。ビニール袋に包まれた紅白の餅が、雨上がりの空に向かって投げられたのだが、その多くは地に落ち、泥まみれになったことを覚えている。


やがて時代は移り、我が家系は倒産をへて幾星霜。当然ながら、今や、スタジアムの隅でかしこまる胸像について知る人は皆無に近く、


「この、じーさんって、誰よ?」Joe_2


かつて賞賛を浴びた胸像は、酸性雨と鳥の糞を浴びるだけの塊と化し、胸像の前を通るたび、私はこのようなものを残したがる人間に、いいようもない気恥ずかしさと、憐れを覚えたのだった。


何一つ残さず消えてゆく、≪明日のジョー≫のラストの言葉、「真っ白になっちまったぜ」を愛する私は、常々、このテのものは残すものじゃないと痛感しているが、


(わしが建てろと頼んだわけじゃない)


残骸ともいえる像の今を嘆いているだろう曽祖父は、地上での最期、よほど懲りたのだろう、こんな言葉も残していた。


「政治と女には手を出すな」


しかし熱血系の遺伝子は、好むと好まざるとに関わらず受け継がれ、曽祖父の遺言に逆らった叔父が、今度は町始まって以来の、町長選に立候補する。


その時、私は20歳。頼まれるまま、なんと「ウグイス嬢」になり、右も左もわからぬまま、マイクを握りしめたのだ。


「明るい町づくりに貢献します、○○を、よろしくお願いします!」Obaq1

  tori  no  fun  dewa  nai    obake-kyuri  →






政治理念も、政策も、政党のなんたるかも、まったくわからぬまま、ひたすら囀り、最初は山や田んぼを見ながら、おっかなびっくり声を出していたウグイスが、ケキョケキョ、町中でも囀るようになる。


「○丁目の皆様、こんにちは!お世話になっております○○が、御挨拶にやってきました!」


顔を見せぬ車からの発声とあって、恥も外聞も風が消してくれると思った私は、声を出す快感に目覚め、


「ただいま○○本人が、皆様のもとにやってまいりました。御支援のほど、よろしくお願いします!」


いい気になって、ケキョケキョ、囀り続けたものの……楽しく思えたのは、最初のうちだけだった。



ほどなくして、選挙にまつわる、いろんなことが見えてくる。


夕暮れ時、選挙事務所には、毎日、知らないないおじさんたちがやってきて、「ごくろうさん」などといいながら、何をするでもなく、そこにある(ただ酒)を飲み続ける。


未亡人になっていた母は(その頃、母は美人だった)立候補した弟と支援者のため、連日、大量の弁当作りに追われていたが、親戚や近隣のおじさんたちも含めて、決してうれしくなかっただろう対応を受けている。

Ka_2 (お母さんに気安く触らないで!)


さらには、囀る私の横に乗り込んだ見知らぬおじさんが、


「喉を潰せ!血を吐け!死ぬ気でやれ!」と怒鳴りつけ、


「田舎の選挙に、政党なんか関係ない。道路に水たまりがあったら、避けずに飛び込み、泥の中で土下座しろ


青筋を立てて力説するおじさんたちの言葉も聞く。


そして私は、繋がりようもない≪血を吐くことと、土下座と、票≫が、なぜ同じレベルで語られるのか不思議でならず、それ式の言葉を聞くたびシラケ鳥と化し、(ウグイスが何羽もいたこともあって)早々にマイクを手放してしまう。



眠っていたような町のどこに、こんな狂乱がひそんでいたのか?候補者という神輿を担いで揺らす人たちは、己れの心をも揺らし続け、日を追うにつれて、自身の奥底に隠しもっていた想いが、次第に露わになってくる。


いつも物陰に隠れていた近所のおじさんが、「一票」という武器を手にし、積年の恨みをはらそうとするかのように、路肩で喚いている。


商売繁盛を喜ぶ酒屋や、印刷屋や、御茶問屋の店先には、ひそひそ声や、にんまり顔の殺気が漏れ始め、


金や、エロスや、権力への欲望が炙り出された人々の顔が、さかりのついたのようにも見えてくる。


叔父の家の玄関先には、押し寄せる人の数に比例して≪陣中見舞い≫と書かれた一升瓶や、こも被りが並びはじめ、曽祖父の代を再現するかのような景色が繰り広げられる中、青臭い私は、心ヒソカにつぶやいたのだ。



(みんな、尊敬できる…って感じじゃないな)Wf_2



その時の私の眼に映った人たちは、甘い汁に擦り寄る、バッタか、カミキリムシのようだった。




極限までえぐられたスイカの、色褪せた皮の部分にへばりつく虫のように、酒と飯のある場所を嗅ぎ付けた人たちが、暗い穴の底から、ぞわぞわ這い出してくるようでもあった。


(みんな、町をよくしたいなんて…考えているわけじゃないな)


当時の私は摂食障害を抱える捩れた娘で、(ゆえにこそ)そこから解放してくれるはずの、真に知恵ある大人に会いたがっていたのだが、




これほど沢山の人が集まっているのに、私の欲しいその人は、どこにもいないように思えてならなかった。


「人と思うな票と思え」喚き続ける男たちの下で働く女たちは、しんねり、お茶出しを繰り返し、その実、夫の実家から頼まれた候補者に票を入れるよう頼まれながら、旗色を見せぬ能面顔で、井戸端会議を続けていた。


≪尊敬できる大人≫はどこにいる?


これらすべての景色を見ながら、私は心のシャッターをきり続け、


「あさましくない生き方をしたい」「いいたいことが、はっきりいえるようになりたい」


様々な想いを重ねて、自身の未来像を探っていたのである。



その選挙で、叔父は落選。


片目の埋まらぬ達磨の横、敗戦の弁を語って号泣する叔父を見るが、数年後、結局叔父は町長になり、代議士にもなる。



比して私は……あの頃の志が、どこまで叶ったのか、甚だ心もとない大人になり…様々なウグイスたちの囀りを聞いた夏をへて、長期腐敗政権がボロ負けになったことを見てとる。


新政権への期待はあえて述べず、懐かしい景色を見た感想だけを述べておこう。



(この国では、土下座と票が、まだ繋がっているのか)


変わらぬ景色と茶番を見たあとは、心静かにつぶやくのみだ。


叔父だけでなく、今回生まれた諸センセイ方が、なんとしても己を残そうとして、可視、不可視の銅像をつくり、鳥の糞まみれの姿を末代までさらす、なんてことにならなければいいんだけど…。



ウグイスならぬ、ヒグラシの声を聞きつつの残暑雑感。<真っ白な姿>を夢見てさらに。

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2009年8月28日 (金)

鳥による周期

私はアクセサリーの類を、さほどもっていない。


イヤリングで耳朶がかぶれたことがあって、ピアスはしないし、指輪も、台所仕事やpcを使う時に気がかりでしないし、時折、猫がじゃれるように、かつて使っていた贋物の類を、キラキラ転がして遊ぶくらいのものか。


という私が、12年前(店を開店した年)音楽プロデューサーをやっていたタフな韓国人の友人から貰ったのがこれ。

Gintori 彼女からのプレゼントは、ペルー土産で、眼玉とお腹部分にトルコ石が入っている鶏?霊鳥?のようなそれは、なかなかステキな、銀のブローチだった。


この鳥はどこに行こうとしているのかな?


その足取りはあくまでシャープで、くまなく大地を巡り、(何か見つけてやるぞ)というような気迫を感じたのだが、ま、深くは考えず、折々の胸元や帽子を飾り、それなりに楽しんでいたというわけ。


そして幾星霜が過ぎ…ふと思い立った昨年、そのブローチを、別の友人にあげてしまった。


韓国人の彼女と長く会っていなかったせいもあったが、なんとなく、(これはもう手元になくていいや)という気持ちになり、やはりタフで若い看護士の友達にヒョイと。


もちろん、彼女も喜んでくれて「大事にします」それで終わるはずだったのだが…



意外な展開になったのは、沖縄から帰って二日目のことだった。


いつものように散歩していた私が、あれれ?しばらく見ない間に、こんな可愛い店ができたのね、と足を止める。


旅行後とあって懐ろ具合も淋しかったため、(見るだけね)と、自らに釘を刺し、ぷらり、女の子好みの店を覗いたところ…


(あっ!)


はじめて入った店のケースに、手放した鳥にそっくりの、金のブローチを発見!


不思議な符号を覚えて見入っていたら、あらら~、もろ金メッキの子供のおもちゃといえるようなそれは、超激安630円(!)で、でもそれが、なんだかとても大切なものに思えてならず、私は、刺したばかりの自らへの釘を引っこ抜き、即、購入。


銀の鳥に似た金の鳥も、どこかに向かって歩いて行くようだった。しかし、こちらの足取りは軽くて、お腹にはトルコ石ならぬ、卵を思わせるような楕円形の透明ガラスがはめ込まれていた。



しかも普通のガラスと違うらしいそれは、角度によっていろんな色が浮かぶ、虹色ガラスだったのだ!


≪虹を運ぶ鳥≫のようなそれは、何かを探しているというより、ただ虹色をふりまきながら、歩いているようにも見えて…。


数週間後、銀の鳥をあげた看護士の彼女が、夏休みもかねて遊びにくることになる。


「例のブローチの写真を写してきて」と頼んだら、実物つきで来てくれ、その夜、私が金の鳥を見せたところ、彼女も絶句。



以下は、金銀並べて撮影した際の、二人の会話である。


「銀の鳥は、やるぞ!って感じよね」

「ええ、尾羽もピンと立ってて、力強くて」


銀の鳥の目は大きくて、手当たり次第に見てやろうって感じだが、


「金の鳥の目は小さくて、腰が低いよね。後足が弾むようで、全体ソフトな感じよね」


よくよくみると、金の鳥の尾羽には小さな傷があり、純銀の鳥に比べて、すぐに剥げてしまうようなメッキにくるまれたそれは、遥かに薄くて透明な感じだった。


でも、素材が何であれ、値段がいくらであれ、こけつまろびつの12年をへて手にしたそれは、どうしたって宝石としか思えず…金の鳥に市場価格を超えた<内的価値>を見た私は、思わず口にしていった。


「私…この鳥と12年間…一緒に歩いてゆくことになるのかしら?」


新しい周期の始まりを思わせるような、二つの象徴を前にして、彼女がいった。


「登美子さん…私、仕事をはじめてから…今年で12年目なんです…」


それを聞いた瞬間、ぞわわっ!ときた私は、しばし沈黙。



そうだ…これから先がどうなるかなんて…誰にもわからない。わからないまま、私はいった。


「新しい12年間も、生きてゆこうね。いろいろあるだろうけど、ひとつの周期の入学も卒業も神様が示してくださるし、神様が一緒にいてくださるから、生きてゆこうね」


「怖いように思える時もあるだろうけど、そのつど心を静めて、毎日、ステキな贈り物をいただいていることを忘れないで、生きてゆこうね」



もちろん、私だって怖いことはある。それは肉体をもっているがゆえに、地上の物差しに縛られている時ともいえるが、私たちが忘れている時も、神様は私たちを忘れておらず、明らかに私たちを見ていて、肉体を超えた喜びへと促していてくださる。


そしてその方との交流を覚える時(愛が流入する時だから)私はうれしくなり、うずくまりたいような思いを超えて、鳥のように、また歩いてゆけるのだ。



傷があったっていいじゃないか。メッキだっていいじゃないか。



以来、心揺れる時や就寝前のひと時、キラキラ光る激安鳥を見るのが、喜びになったってわけ。

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aruki  tuzukete  yukone !

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2009年8月18日 (火)

内なる平安のために

Shisui ●従姉妹の美子(よしこ)ちゃんから、「今、素晴らしい本を訳しているの」


という℡をもらったのは、10年ほど前のことだった。


美子ちゃんは、真言宗のお寺の娘に生まれ、大学ではヒンディー語とインド哲学を学んだ人だが、不思議な流れで、一時期、フィリピンの田舎の教会にも寄付を続け、私も一緒に現地に旅をしたことがあった。


という美子ちゃんから、


「日本で出版されるのは先になりそうだけど、訳したものの一部を、登美子ちゃんにも読ませてあげたい」


といわれ、「絶対人に見せないでね」と釘を刺されて読んだのが、


【 A   Course  in  Miracles  】 

≪ア・コース・イン・ミラクルズ=“奇跡講座”≫だった。




不思議なタイトルのそれに(オカルト系?)と思わないでもなかったが、美子ちゃんは哲学畑が専門で、「本物一筋」に探求してきた人だから、ソレ系のはずもなく、ほんじゃま、と下訳の一部を読ませてもらったところ、冒頭を読んだ時点で(これは…)輝かしい驚きが与えられた。


「コース」は1974年にアメリカで出版され、世界で数百万部売れている、知る人ぞ知るベストセラーである。(現在、仏・スペイン・中国ほか東欧圏を含む15ヶ国で翻訳版が出版されているが、日本語版はまだ刊行されていない。上記の言葉に堪能な方なら、下部に御紹介するサイトを通し、購入通読が可能である)


とはいえ…言葉に通じていればスラスラ読めるかというと…まるきり違う。


というのは、「コース」は小説でも、評論でも、能力開発本でもなく、不思議な形で世に現れた真理の書だからだ。M



※「コース」は三部構成で、<テキスト><教師のためのマニュアル><学生のためのワークブック>が揃って一冊の形式をとっており、




難航を極めている二人の訳文の内、私が親戚特権(?)で読ませてもらえたのは、現時点では<ワークブック>だけである。


英語にも堪能な美子ちゃんは、ひょんなことから本書と出会って魅了され、(版元も決まらないまま)友人グループで訳し続けること、15年!メンバーが一人、また一人と去っていっても美子ちゃんは「コース」から離れることがなく、さらには、


「コース」の刊行元で、アメリカのカリフォルニアにある、“Foundation   for   Inner  Peace” (内なる平安のための財団)も何度か訪ね、より完成度の高い翻訳をめざすべく、いつ終わるとも知れぬ作業を続行する。


そして近年、アメリカの本部が日本語版の訳者として、美子ちゃんと、もう一人の女性翻訳者の方を「適任者」として認め、今も二人で大部の翻訳を続行中…というのが事の次第である。


ちなみにネット上では、現在、英語版の「コース」を読んで感動された方々が、それぞれ、「自分なりの」訳をupし、諸訳が入り混じる状況になっている。


(なんだか聖書の成立時の状況と似ていなくもないが…)止めようもない流れの中、美子ちゃんたちは「完全版」の刊行前の段階で、様々な訳が氾濫することの弊害を危惧し、自分たちの訳本がいつ出るのか分からぬまま、先頃、新しい手を打つ。


「コース」を翻訳するかたわら、アメリカの本部が立ち上げた英語版のサイトも訳しはじめたのだ。





★ JACIM (ジェイシム)→   
http://www.jacim.com/





ちなみに「コース」は、私にとって馴染み深いキリスト教的言語が使われている。しかし展開する世界は驚きの連続で、


感動と茫然自失を繰り返した私が、何度も読み返すことができたのは、内容のみならず、独自の「文体」にも魅了されたからだ。


読み進めるにつれて、壮大で硬質な建築物が立ちあがってくるような、あるいは交響曲の流れに入ってゆくような、大きな喜びが与えられたことは、本当に幸いだった。


※大事なこと。10年間かけて<ワークブック>だけ読み、折々、日本語の訳文についての感想や語句の改良点を美子ちゃんたちに伝えてきたが、私がそこにある教えを“履修”できたかときかれたら、答えは今もって、NOである。

Fuji それどころか、読み進むにつれて、


「こんなの承服できない!」


内なるエゴが立ち上がり、時に激しい怒りや抵抗を覚え、日本人初の読者は、せっかくの訳文を放り投げたことさえあった。


たとえていえば、≪あまりにも磨かれている鏡≫?


皺も、シミも、ニキビも、おできも、痣も、毛穴も、「完全に」映し出す鏡があったら、それを前にした人は(こんなの私じゃない!)と、逃げだしたくなるだろう。(人間が好きなのは“自惚れ鏡”だからね)


しかし、それらを克明に映し出す鏡は、同時に≪真理のみが持ちうる≫輝きを放ち、(私たちが内に持つ光と呼応するゆえ)つきぬ魅力があり、


その鏡を前にするにつれ、≪可視の世界≫に投影を重ねる私たちの、≪不可視部分≫が開示され、≪真の自己≫を知って、内なる平安に安らぐ…ということもありうるのではないだろうか?



私はこの10年間、時がくると、放り出した「コース」をまた拾い…読み返すことを繰り返してきた。(決して、ゴミ箱に捨てられなかった)


そして(わかっちゃいるけど…こんなの無理)といっては(全然わかっていないゆえに)人生における実践編でコケ続け、自身の感情と感覚が生み出す檻の囚人になることも、度々だった。



私たちは現実世界で、「こういうものを見たい」という願いをもち、肉体の眼を通して、見たいものを見続けている。


だからこのブログも、ある人は「おもしろい」といって、“お気に入り”に追加し、ある人は「くだらない」といって“削除”し、「自分が、今ほしい言葉が書かれていない」という理由で怒る人もいれば、「バカがいるよ」と笑い転げる人も(多分)いるだろう。


この世が幻想(虚偽)であるとは、こうした「思い込み=投影」でできているということであり、移り変わる(可変)のものに“固着”して(不変)を求める限り、苦悩も絶えることがないだろう。しかし、


「虚偽」という言葉があるなら、「真理」(実相)という言葉もあるはずだ。





≪真理は人を解放する≫Gs




「コース」の中には、明らかに真理が示されている。比して自我はその性質ゆえに真理を怖れるので、コースは多くの人から誤解され、怖れられてもきた。



しかし、人生の多くの局面でもそうであるように、≪あなたが怖れているものを受け入れた時、あなたの解放がはじまる≫ことも明らかだから、私たちはいつか、自分が恐れて≪隠しているもの≫と(意識下で解放を求めているので)なんらかの形で、向き合うことが余儀なくされるのである。


あなたが真に解放を求めているなら、「コース」は、よき助け手となりうるだろう。


しかし私たちは肉体を持っているので、自我の影響から「完全に」逃れることはできないだ
ろう。



それでも、ただエゴに振りまわれて彷徨うのと、(あぁ、自分はまたエゴによる投影をしているな)と自覚しているのは大違いで、この違いを基点にして「コース」の導きを受け、自身を掘り下げてゆくことができれば、ある時、大きな喜びがあなたを包み、解放へと至る自他への赦しが生まれる…ことも不可能ではないのである。


とりとめない言い方で申し訳ないが、私個人は、「コース」は自分の中にある光がもたらす平安に気づくための、補助教材のひとつだと思っている。


すべてを読んでいない私に、これ以上説明する資格はないが…


「現代語」で真理の書が現わされたことは恵みであり、実のところ、「コース」は人類に与えられた、大きな宝のひとつではないかとさえ、思っているのである。


もっとも、「そんなの必要ない」「十分幸せで、間に合っています」という方には、不要だろう。それも結構。


そして10年読んで飽きなかった私は、自我(エゴ)の諸相をかくもクリアに見せてくれる「コース」から…時にブチブチいいながらも……終生、離れられないだろう予感大なのである。


※ジェイシムを閲覧するにあたっての補足。


真摯な仕事を続ける二人の女性の労作だが、言葉の密度が濃い上、情報量が多く、pcでスクロールして読むより、印刷して読む方がお薦めです。哲学系が得意でない方や、キリスト教系用語に慣れていない方が、いきなり大量に読むと、消化不良をおこすかも。日本語版が刊行されるまでの間、ゆっくり、ゆっくり、味わって読んでください。


※以下余談。私が経営者時代、渋谷の店にも来てくださった美子ちゃんの御主人は、某大学の理系の教授だったが、実は「コース」にさほど興味をもっておられない。

A (うちの奥さん、なんか夢中になってるな)ってな感じで、美子ちゃんの方も、無理に「コース」を勧めようとしていない。そしてそのことが、お二人の間で格別問題になっていないことも、よいことだなと。


リタイアされた御主人は、美子ちゃんと一緒に開墾した家庭菜園から、折々、野菜を送ってくれる。


宅急便って楽しいよね。虚なる世界とはいえ、お二人をはじめ、様々な方から寄せられる気持ちは当然うれしく、野菜の持つみずみずしさや、蕎麦や麦酒の味わいを覚えることも、≪内なる平安≫に含まれる、ステキなギフトだということを忘れずにいたい。



●某日、遅い午後から庭の草取り。刈り取ったミントを、ぬるめの湯をはった湯船に、どMeっと入れる。


風呂上り、涼風に吹かれながら、小さな庭で鳴く鈴虫の音を聴く。


リーン、リーン、リーン…



長く地中にいた虫たちが、一週間か十日鳴き続けて牝をみつけ、交尾して世代を継ぎ、地に帰ってゆく。虫たちは、どの時期も懸命に生き、からりと世を去り、またやってくる。


黙って団扇を使いながら…当たり前と思えることの中にもある奇跡に、しばし、耳を澄ませる。

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2009年8月 4日 (火)

我が心の旅・沖縄(4)

K ●そもそも、私と沖縄の縁のはじまりは、最初にアルバイトした渋谷の店からだ。


当時のお客様の中に、NHK放送文化基金にお勤めだった、川平朝清さんという方がおられた。

川平さんとは、その後も長いお付き合いをさせていただいているが、那覇出身の川平さんには3人の御子息がおられ、なんと、御長男はビジネス界で、また次男、三男の方は、TV舞台等で活躍中の、ジョン・カビラさんと、川平慈英さんだったのである!


店でお会いしたジョンさんとは、その後も仕事がらみで再会させていただいたが…Ck1


(私自身は学歴もない田舎出のねーちゃんで、闇の中で這いつくばっていたのに…人生、なぜこれ式の出会いや、ビンゴが連続するのか…背後に働く力に、畏れを感じるほどだった)Kubou2


川平さん御一家は、クリスチャン・ファミリーでもある。


そして退職後、昭和女子大学の英米文学部で教鞭をとられていたこともあり、パパ・川平さんには、私の出版記念会で、御挨拶も賜る。


すると、え?今度は、私が取材して書いた平良愛香牧師一家と、家族ぐるみでお親しいと聞き……口アングリ。



今回の旅では、上記牧師の父上にして、沖縄キリスト教短大の学長でもあられた、平良修先生の情報も入手したのだが、現在、先生は78歳。辺野古の問題だけでなく、戦時中、日本兵が韓国人労働者に対して犯した事件を検証するための活動にも、従事しておられるとのこと。

※NPO法人【沖縄はんの碑の会】http://list.jca.apc.org/public/aml/2008-november/02653.html


日本兵が愚行を犯した場所は、慶良間諸島にある阿嘉島とのことだが…旅の最後、私は思わぬ形で、その島の名を聞かされることになる。




●古い友人による紹介でお会いしたTさんは、現在、かの地の旅行会社、【エアー沖縄】に勤務されておられる方である。


Tさんは、学生運動の際に受けた傷跡をコメカミに残す、いい感じの狼フェイスで、こうと決めたらまっしぐら。その気性は侠気にあふれ、約束をたがえることなく、オソロシクお酒が強く、飲んで乱れずという、ワイルド系の紳士だった。


で、お会いして間もなく、上記会社にヘッド・ハンティングされたTさんは、じき、沖縄勤務となったのだが、俄か経営者の私を、みちゃいられないと思われたのだろう。上京される際に渋谷に寄り、多くの方々を伴い、来店してくださったのである。


(※古い話で恐縮だが、開店記念のパーティの席上、抽選会での景品に【沖縄往復旅行券】を出してくださった。その際、当選したのが「新婚旅行がまだ」という青年客で、それを聞いた瞬間、Tさんは「往復券を二枚にします」といってくださり、ピヨピヨ経営者を含む、一同感激ということもあった。)

Shabon その後も、Tさんから「ぜひ沖縄にもきてください」なる賀状を拝領すること、度々。ようやく実現の運びとなったのが、今回である。


(※Tさんの沖縄の家には“ハブ”がいるとか。「客がきた時、「ハブ、ハブ」って呼ぶと、みんなギョッとするんだけど、白いスピッツでね」ブラック・ジョークの好きな楽しい方だ)

という彼や御友人たちと、当初は国際通りで再会…なんて気分だったのだが…Tさんの現状を知った私は、ハブを見るより青くなる。



いわく、数年前に《狭心症》で倒れ、心臓にバイパスを五本入れた。度々の《肺炎》で酸素ボンベが手放せない。(超ヘビースモーカーだったTさんは、お酒の席で、まったく肴を食べなかった)加えて、《前立腺癌》もみつかったが、心臓発作の予防のため、血液の流れをよくする薬を服用しているので、手術はできない。おまけに《腰骨》も二度骨折し、今もコルセットを巻いている…



さすがにお会いすることが躊躇われ、今回は諦めようと思ったのだが…病院のベッドの空き待ち状態といわれる中、結局、Tさんの会社で、30分間だけお会いすることになる。


島巡りの旅から、一転、気を引きしめた私は、花束を抱えて社に出向く。


定刻になると、5年ぶりにお会いする彼が、介護タクシーに乗って現れた。


「Tさん!」


ステロイド剤の服用ゆえにか、懐かしいお顔が浮腫んでおり、目があった瞬間、私は何をいっていいのか、わからなくなる。


「おおっ!」

病気のデパートのようなTさんが、私の顔を見て、即、いわれた。


「少し痩せたか?」

その言葉にグッときた私は、瞬間、落涙モードになる。


「ふー、ふー、ふー…ちょっと待ってて」


Tさんは応接コーナーの机の前に車椅子を止めると、人差し指に挟んだ脈拍計と血圧計の数字をみながら、深い呼吸を繰り返した。


「ふー、ふー、医者がいうには、ふー、ふー、興奮するのが一番よくないんだ」


お訪ねしてよかったのか、なおも戸惑いながら、ともかく、人の命そのものである“呼吸”をあわせるべく、


「ふー、ふー、」私も一緒になって、ゆっくり、息を吐き続ける。


Tさんは、あれほど飲んでいたお酒と煙草を、ぴたりとやめられた。(勝新太郎のように病床無頼をやっていると思っていたのだが)


また、お仕事をもっておられる奥様やお子様は、現在、東京のお宅と往復する“超遠距離看護”をされているとのことで、基本的には単身闘病という彼は、60代後半?


「ふー、ふー、この5年間で3回危篤になったけど…ふー、ふー、医者がよくもったって驚いてね…」


酸素チューブをつけたお顔で、ニヤリと、笑っていわれた。R


執念だよ


Tさんの呼吸が次第に落ち着いてきた。薬のせいだけでなく、「煙草をやめたら飯がうまくて」太られたのだと。


タフで不敵な面構えも蘇ってきた。病者なのに威厳を感じるTさんの車椅子が、なんだか玉座のようにも見えてくる。


もちろん、たいした話はできなかった。私は“気は心”の御見舞を渡すだけで、精一杯だった。しかしTさんとの間に、過去、あれほど濃い30分もなかったのである。


「ふー、ふー、あやちゃん、これ荷物になるけど…」


そして、思いもかけず大きなお土産まで用意してくださったTさんは、大恐縮する私に向かって、いわれたのだ。


「毎年、9月には(渋谷の店にも度々御一緒してくださった)琉球大学の教授や友達たちと、阿嘉島にゆくんだ。今年もゆこうと思ってね」


(そのお体で旅行!?)


唖然とする私を前にして、Tさんは(腹は決めているさ)とでもいうように軽く笑い、


「ふー、ふー、ま、その時は、その時だよ」


なぜ阿嘉島なのかも教えてくださった。



切り込み隊のボスのようなTさんは、世の中を少しでもまともなものにすべく、風雲児をやってきた方でもある。そして、人に甘えることは、ほとんどなかったはずの方だが、今では支えてくださる部下の方々や、ヘルパーの方の心使いが染み入るのだろう、「ありがたい」という言葉も繰り返された。


また、私が遠慮がちに、「カメラを持ってきたんですけど…」というと、(こんなところを撮ってくれるなという人もいるだろう)即、「撮りましょう!」といってくださり、共通の友人にも、「ぜひ送ってくれ」ともいわれた。


あっという間の30分間だった。別れ際、Tさんは心持ち背筋を伸ばし、キラッと光る目で私を見ると、スッと手を伸ばし、短くいわれた。




「またね!」



いい笑顔だった。握手した手のひらには、びっくりするほど充実した力があった。


そして(以前はこんな風に思うことはなかったのだが)近藤兄といい、Tさんといい、「またね」と握手する人との間に通うものは深く………Tさんとも、またがあることを確信した私は、介護タクシーに乗り込む人の背中向かって、手を振りながらいう。


「Tさん、ありがとう!お大事にね!」







私の沖縄への二度目の旅は、こうして終わった…。



辿りついた羽田空港の空は雨だったが、着陸と同時に雲が切れ、金色の光が現れたことを覚えている。



帰宅すると、「入院しました」Tさんからのメールが着信し…ぼんやり(阿嘉島ってどんなところだろう)と思っていたら………さらに数日後、


ヒャーッ、こんなの、はじめてよDscf0001



なんと、“入院患者”であるTさんから、沖縄の太陽(ティダ)のような、《マンゴーの詰め合わせ》が送られてきたのである!!


ううっ………カッコよすぎる……


南国の香りが流れる部屋の中、私は「もったいない」とか「ありがとう」とか「神様」とかいいながら動物園の熊状態になり………しばしのち…祈ったのだ。






《心優しい人たちの今日が、大丈夫でありますように》




真っ青な空を見上げながら(素晴らしい旅だった)つぶやく私の終の棲家は……もしかすると沖縄?




あの人や、この人との響きあいを感じながら、(意気)息あるうちに何をどうしたいのか、思い巡らしつつ………さらなる光の道を歩んでいる。



※了。

※8月第3週までブログをお休みします。皆さんお元気で、またね!


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2009年8月 1日 (土)

我が心の旅・沖縄(3)

前夜祭の薄闇の中、H


「とっちゃん、変わらないね」と呼びかけたら、兄がのけぞっていった。


「こんなに白髪だらけになっちゃったじゃないか!」


そこで私が、「がよ」


というと、兄の心がシンと静まり、ジンとくる握手がきた…。




《闇》は、世界の文化の中で、無知や無明の象徴とされ、怖れられてもいる。(人類が火を知る以前の夜を投影?)


だが、私は長年闇に親しんできたので、必ずしも闇を嫌ってはいない。(経営者時代も店の照明を《やや暗》にしていた)多くの場合、人が心の底にある想いを語るのは、薄闇の中だ。


薄闇は子宮内に通じる、“安らぎと待機の場”でもある。



そう…私は世界を光と闇に二分割し、○×方式で、片方だけ良しとしているのではない。というより、光の変化に伴う色の変化を、いや、その背後に流れている神の息吹きを愛しているというべきかも。


比して、近藤兄は、私も行ったイスラエルのネゲブ砂漠から、《地球を吹く》シリーズをはじめたわけだが、今の兄は《日本の四季を吹きたい》とのことで、春は京都にある“雷神社”でも吹いたとか。


兄は“四季の移ろい”を、正確にはその【気配】を吹きたいのだと。


それって、つまり…日本の“詩歌の心”そのものを現したいってことじゃない?見えないものとの交流を続ける兄は今、日本人の源流回帰の道を辿っていると見ているのだが…どうだろう?



御存じない方のためにいっておくが、兄の演奏は“完全な即興”であり、音楽を奏でるというより、呼吸そのものである。


そして私は兄の表現に“神の息吹”に通じるものを感じているのだが…そんなことはおかまいなしに、前夜祭での兄の挨拶は、




「近藤としよりです」


例によって、爆笑ものだった。



その夜は思わぬ流れで、《伊平屋村の副村長》である国吉修さんに、土地の魚と泡盛を御馳走になる(ありがとうございました)美しい星を見ながらほろ酔いで宿にたどり着き…


迎えた翌22日、村が出したシャトルバスに乗って、いざ現地へ。


今回の会場でKumaya1 島の北端にある《クマヤ洞窟》は、太陽が隠れるにはもってこいの(!)素晴らしいところだった。


聞けば、江戸時代の学者である藤井貞幹は、その著書『衝口発』で、「琉球にあるクマヤ洞窟が真正の天の岩戸である」と明言しているとのこと。


加えて琉球神話では、神は「白い馬」に乗って海の彼方からやってきた、といわれており、(騎馬民族の頭である神武天皇?)なにやら大和朝廷との繋がりもありそうな。

また、当地には、イヘヤ、クマヤ他、ヘブライ語の発音そっくりの地名があちこちに残っており、


もしかすると、日本が大陸と繋がっていた時代、古代イスラエルの失われた12部族の一部が流れてきたんじゃない??



なーんて、夏休みにはぴったりの、時空を超える物語がぎっしり詰まっているような洞窟についたのが、午前9時半。(ロケーションはこんな感じ↓)


Iheya2とっちゃんは、この催しを「祭=奉」にしたいと思い、『入場無料』にしたとのことだが、見れば兄の演奏場所は、海が目の前の岩の上で、日陰ゼロのここで吹くのかと。


演奏のはじまりは、巫女のように見える、琉球の古歌を歌う方とのコラボレーションだった。


古語で歌われた歌の内容は、


神への謙遜と恭順を、加えて、日が翳ることの畏れと、再度日が現れることへの願いを。


さらには、日が現れたのち、私たちすべてが光の子となり、喜びに満ちるだろうことの期待と感謝を述べるもので、兄の10m前に座った私は、山肌や路肩に座った人たちと共に、厳かな気持ちで耳を傾ける。

Kondo



当日の天気は曇り。だが兄が洞窟や、海や、空に向かって吹き始めると、雲の流れが早くなり、おおっ、太陽が顔を出した!



プワヮヮヮーン…プゥワワワワヮンン…ブワブワワーン……



ラッパの音のバックには、あらかじめ兄がPCで創った曲と、波の音が重なっている。


過去、機械工学を学んでいた兄にとっては御手のものだろうが、足元に増幅器があるため、ラッパの音に大きな膨らみと収縮が生まれ、音それ自体が、生きもののようだ。


また兄は長音だけでなく、破裂音のような短い連続音も、延々吹き続ける。

パパパパパパパパ………ッ




タンギング
というこの技法を学んでいた頃、兄は(美空ではない)「ひばりになりたい」といい=「ノン・ブレスで囀りたい」ということで、それを会得後の呼吸はとてつもなく深くなり、演奏中、兄はいとも簡単に、ひばりや、ツバメや、馬や、象になる。


太古からの自然という場のエナジーと、人間のスピリットと、テクノロジーが合体して流れる摩訶不思議な音響世界は、『音楽』の概念を大きく覆すものであり、会衆一同、当初は、唖然。


だが日食がはじまると、世界じゅうの多くの人たちがそうしたように、さらなる驚きを求めて日食グラスを手にし、いっせいに空を仰ぎはじめる。


「おおっ!」「ああっ!」F


私も暑い、うれしい、首が痛いを連発しながら、隣りに座った気持ちいい女性、宮古島出身の宮平さんと、笑いあう。


目の前には海、後ろには洞窟、耳には兄のラッパ、頭上には日食…



(なんて贅沢をしているんだろう)とか(なんて不思議な人生になったんだろう)などと思う間もなく、1分…2分…欠けてゆく太陽をただみつめる。


その種の映像は、TVやネットでどっと流れたからupせず、当地で見た最大の恵みにして、驚きの一部を、以下に御紹介する。


なんと、伊平屋島では食のさなか、太陽を取り巻く日輪が、

《 巨大な真円を描く、二重の虹が出たのだ!! 》



Nissyoku2 (←雲があり、日食グラス越しでないため欠けは写っていないが、色付きサングラス越しの目視写真)



まさか日食を見にいって、虹を見るとは!



私の手首には、久高島で買った、虹色のミサンガが揺れていた…


そのふたつの揺らぎを観ていた私は、確かに私のものである“名前”を思い出したのだ。



いろんな名前をもつ私の大事なもうひとつは……某年、ヨーロッパの某所で開かれた、「キリストの黙想」に参加した際、与えられたものだった。不思議な流れをへた私は、その時、

新しい霊名、《水晶・虹を生み出すもの》なる名前をもらったのである…。



その後、近年の試練で恵みがどこにあるのか、わからなくなりかけていたのだが、≪その名前は活きている≫というように、今また、文句なしの場で、《約束の虹》が頭上にかけられている…


天地万物を創られた神は、大いなる恵みがはっきりわかるよう、私にダイレクトなギフトをくださったのだ…

そう思えた私は浜辺で寝転び、真円の虹を取り込むよう、両手を高く伸ばす。


ブワワ……ンンン…プオォオオン…パパパウウゥゥゥ…ンン…アウゥゥゥンン…


なんだか、とっちゃんのラッパが…黙示録の天使が吹くラッパのようにも聞こえるな…




壮大な哀しみと歓喜
をあわせもつ音は冴えわたり、私の心の奥底の門を開いて一切の感情を消し去り、さらに響くその音は、私を宇宙の果ての果てに連れて行き、自他が消えてしまうような無限の中に漂ったその時…



宗教とか…正義とか…愛とかいう…一切の言葉の意味も消えてしまい…≪そこに在る≫だけの存在になった“私である世界”は、静かにただ揺れるばかりで…


(後になって、それが久高島で得た《真昼の永遠》と対を成すものだと知るが)


どうしたって…永遠は言葉にしえない…のだ…




気がつくと…食はいつしか終わっていた。空には何事もなかったように、元通りの太陽が輝いていた。


私の後ろでは、島の子供たちによる、“沖縄空手”の演舞がはじまり、どれだけ次元を超える旅をしてきたのだろう、とっちゃんのラッパが軽快なものに変わっていた。そして私も夢の余韻を味わいながら、持っていった“シャボン玉トランペット”(!)を取り出す。


と、目ざとく見つけた男の子が隣りにきて、虹の映る玉を、次々吹いてくれた。


(↓両雄のコラボレーション。二人が《息》で創った作品に拍手)

Korabo_2

演奏のすべてが終わり、シャボン玉のすべてが消えた後、私はとっちゃんのそばに駆け寄り、このあとすぐの船で発つことを告げる。


同時に、どちらからともなく、バッと熱いハグを交わしあい、(偶然、私も上白・下黒を着ていたので)腹違いの双子が一つになったような、陰陽合体の気が生まれる。




「またね!」


短くいう兄とは、永遠にサヨナラをいう必要がない。時が満ちればまた会える。そのことを知るもの同士の爽快さを覚えながら、お疲れのスターに向かって、



「とっちゃん、恥骨を拾ってね!」

仰天アホをいって大きく笑い、荷物を引いてシャトルバスに向かう。




会場の出口付近では、汗だくのスタッフが「寄付をお願いします」なる声をあげていた。とっちゃんをはじめ、スタッフ全員が村の公民館に寝泊りし、今回は「帰りの電車賃もたりない」状態なんだとか。


それを聞いて(活動規模は比べ物にならないけど)なんだか似たような人生をやってるなぁと苦笑しながら、私もチャリン♪と、音の出る寄付をする。



振り向けば、真夏の野外で2時間演奏した兄は休む間もなく近著にサイン中で、あぁ、多くの人の魂の解放のためにラッパを吹き続ける彼は60歳で、その姿をみながら、私は心から思ったのだ。





Ⅰ ’m   proud   of    you !   





とっちゃんがサインに添える言葉は、《 無我無宙 》




吹き抜けてゆく風と共に、私の次をめざして、港へと向かう。




※続く。

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2009年7月29日 (水)

我が心の旅・沖縄(2)

Dscf0001 去りがたい思いを抱いた久高島で、自分のために虹色のミサンガを買った(340円!)


それをつけて船に乗り、着いた港からバスに乗りかえ、沖縄本島をほぼ縦断する形で、那覇経由で、一路、名護へ。


一日に二度フェリーに乗るなんてめったにないことだが、北部にある運天港に着くと、いるわいるわ、敬愛する我が友、近藤等則(としのり)のライブに向かう人たちが、ごちゃまん。

Iheya0001


高い山がなく、水平の広がりを持つ久高島が女性原理の島なら、ゴツゴツ岩がそこかしこにある伊平屋島は、垂直パワーの男性原理の島だ。


そして二つの島は、“男女二卵性の双子”のように、沖縄の祈りの基盤となっているとも。


ってことは…私は今回、内なる女性性と男性性の調和を計りにいったってことなのかな?


暑い。面倒なことを考える思考回路を停止させ、船内で爆睡すること一時間強、


着いた港の真正面には、王の城塞を思わせるような天然の岩山、虎頭岩がデーンとそびえ立ち、おおっ!

http://www.vill.iheya.okinawa.jp/


海が目の前にある宿に入り、ほどなくして夕食。気持ちのいい女の子たちが、なぜか我がテーブルにきてくれて、近藤の話題でひとしきり盛り上がる。


食後、うち一人と宵闇迫る虎頭岩に登り、淡いピンクを残す空を背にして風に吹かれ、次いで、村営広場で行われるという、ライブ前夜祭に向かう…。


で、年齢バレバレだけど……私と近藤とっちゃんとは26年で、今回会うのは2年ぶり。(兄のプロフィール等は、ブログのサイドバーにあるファンサイトを参照→)


近藤夫人の兄上である、我が友人から紹介されたため、親戚系の呼び名を使っているが、現在60歳の(!)ラッパ吹きである兄を、「ちゃん」付けで呼べることを、私はとてもうれしく思っている。


とっちゃんとはじめて会ったのは、東京は吉祥寺のライブハウス、“曼荼羅”だった。その頃、彼は《チベタン・ブルー・エアー・リキッドハンド》をやっていて、私の方は、未練たらしく、離婚した美術愛好家の旧・夫と一緒だった。でも、とっちゃんの音を聴いて、半端な関係が、ぶっとんだ!


たとえていえばアリナミン?Kutaka3_2


っていうのは、旧・夫は限りなく開き続けるとっちゃんの演奏に戸惑い、(最後が「ン」で終わるような)閉じた形がないのは不安だ」といったのだが、私の方は完全解放系の「ア」で終わるような演奏に一発で惹かれ、フリージャズのジャの字も知らないまま、(何がおこるか分からない無限大の方向に行きたい)と、旧・夫とはそれきりチョン。


当時のとっちゃんは、知識欲の塊だった。ニューヨークから帰り、日本の音楽シーンをかき回そうとしていたこともあって、日本文化についての知識もびっくりするほど豊富で、私も開眼。



利休、芭蕉、一休…
等々、偉大な先達たちを知りえたのは兄のおかげだが、四国生まれのとっちゃんは、中でも弘法大師への思いが強かった。(後に兄はダライ・ラマにも会っているが、売名行為なんかじゃない。素地は遺伝子からだ)


そして私は日本人の覚醒を促すような兄の語りを聞くにつけ、

(とっちゃんは、室戸岬の空海の口に飛び込んできた、暁の明星だ!


などと思ったのである。兄はいつも燃えさかる星のように、多くの人の魂を蹴っ飛ばす(=たまげる)火花のような存在だったからだ…。


ムツカシイ話はさておき、楽しかったのは、毎回のライブの後、ファンや関係者たちをとりまぜた宴会でのアホ話だった。(それまで多くの修羅場をへてきた私は、人に対して物怖じしなくなっており、別宇宙にワープしたような楽しさを味わっていた)


超ハンサムだけど5頭身しかないようなとっちゃんは、(ゴメン)京大出の大秀才だったが、それを鼻にかける様子は皆無であり、たとえていえば田舎の青年団を仕切る兄ィちゃんのような、カラッと陽気な人である。


ある時、兄と、こんな話をしたこともあった。

「俺、今度CMに出るんだ。何だと思う?」 私は即座に答えた。Kutaka7




「福助の足袋!」  

「ちがう!」



「ドイツバイエルン・水虫の薬!」 

「ちがう!」



そして兄は、「まったく…なんで俺はそういうイメージなんだ…」といって子供のようにプッと膨れ(兄はその頃“小原庄助”の歌を歌っていた)一呼吸後、静かにいった。

「資生堂アウスレーゼ…」



※大事なこと。兄はその後も各社CMや、TVドラマ等にも出ていたが、日本の芸能界の狭さや、業界の虚構性に気づいたのだろう。ある時、商業的成功をすっぱり捨てて、


「一人になりたかったんだよォ」


今度はオランダのアムステルダムに居を構え、今現在も地球と遊びながら、世界のあちこちで“吹き流し稼業”をやっている。



そうそう、私がビン・ラディンにそっくりの(日本人の)彼と付き合っていた頃、一緒にライブにいったこともあったな。

Dscf0008 当時の私は、とっちゃんのホラ吹きラッパに何度もやられていたので、彼を紹介する際、よーしと思ってマジ顔になり、


「とっちゃん、この人、ムスタファ××っていってね、4分の1イランなの」


すると兄は、私の横のヒゲ男をつらつら眺め、「はぁ……おじいさんかどなたかが…」


その瞬間、蹴りを入れたのだ。




「ウソ」

「なんでだよー!!」



のけぞるとっちゃんを見ながら、「いいじゃない、いつもやられているから、お返しよ!」

そういって笑い転げた私とムスタファの三人で飲むこと、度々。(ああ満開の花の季節)



しかし……咲いた花はやがて散る。私はムスタファと別れて…不思議な導きを得て洗礼を受け…とっちゃんもやっていた武道、新体道を10年間稽古して…店も出し……その道のりを知ってくれているとっちゃんとは、今も痛快・爽快な友情が続いている。


そうなのだ。誰も信じないかもしれないけど、私の周りには《互いを大事に思ってン十年》なんてプラトニック・フレンドが沢山いる。


男女が親しくなったら必ずナニ…そう決め付ける人もいるだろうけど、あのねー、ためには響きあう心や、セツなる想いや、状況や、タイミングってのが必要でしょ。ま、ナニがなくてもイマジネーションを活性化してくれる人は大切にしたく…結果的に、不思議な友情ってのもありうるのよね…


そもそも私は一人で千人(三分の一女性)接客しながら介護もしてたんだから、それどころじゃなかったの~


で、とっちゃんとも、次第にスーパー家族みたいになってきて、気がつけば、世界中にファンがいるだろう兄は60歳で、私もイヤハヤ歳になってしまって。



※兄が40代後半?のライブの時、私がステージに向かって、「とっちゃん!」と声をかけたら、別サイドから「おっさん!」なる声があがり、兄ガックリ!なんてこともあった。


でも、誰が何をいっても、兄が70歳の《歯抜けのトランペッター》になっても、私は彼を「とっちゃん」と呼びたい。



闇の中にうずくまっていた“先史時代”の私にとって、とっちゃんは生命の輝きと躍動感を引き出してくれた得がたい人であり、永遠の雷小僧と思う由縁である。


そうだ…とっちゃんは、こんなこともいっていたな。


という字は、の中にが閉じ込められてるだろ?だから光を呼び込むためには、門を開き、音を解き放ってやればいいんだよ」(なんだか白川静先生の“常用字解”みたいだが)


「闇の中に入ってゆく勇気を持つものだけが、自由の意味を知りうるのさ」とも…。Utaki1




私も赤ん坊のように泣き喚いてきたのだ。

何度も何度も闇に巻かれ、もう限界と思う度、オギャー!!



力の限りに叫び、何かしらの誕生と同時に、内なる光を知らされたのだ。

でもそれは一人で知りえたものじゃない。季節の変わり目には、いつも助け手が与えられた。


神の配慮としか思えない出会いに感謝を覚えながら、互いに気にしあう磁石のような人との縁について考えてみる…。


気になる人との間には…きっと魂の課題が隠されていて……人間も太陽と月のように、あるいは久高島と伊平屋島のように、互いに呼びあいながら、新しい次元に生まれ出ようとしているのね…。



響きあう魂の存在を感じたら、心の閂(かんぬき)をはずして、門を開こう。その時、どんな音を聞くかはその人次第だが、解放のための音を聞きたいなら、開くに限る。



耳と、体と、魂を澄まして!



その瞬間から、宇宙と響きあうライブがはじまるはずだ。




※続く。

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2009年7月27日 (月)

我が心の旅・沖縄(1)

K 沖縄から帰って二日経過。あまりにも特別な旅の何をどう書けばいいのか…今、途方に暮れている。


特に久高島で起こったことは……(到底伝えられない)という気持ちと、あまりに私的な体験だったこともあり…正直いって、この島でのことは、終生しまっておきたい気持ちもある。


しかし…あえてひとつだけ、魂に刻まれた場をあげるとしたら……島の東岸にあるイシキ浜だ。


その浜に、一歩足を踏み入れた途端、


(アッ…)


私は目もくらむばかりの清さを前にして、ただ浜に入る、それだけのことに躊躇いすら覚えていた。





(一点のシミもない…)
Ishiki



島では、日中、思うところあって白い帽子を被り、白い薄物の服に、踝まで隠す白いスカートを身につけていた。



強い日差しの下、淡い緑の模様が入った日傘を手にし、小さな籠を肩から下げていたのだが、自身がまとった白より遥かに白い浜辺を前にして言葉もなく……


(いったいここは…)Ishiki1



足元には、文字どおり、真っ白な砂が輝いていた。歩く私の背後には、熱帯の緑があり、岩陰から長く伸びる蔓の先には、ところどころ、ピンクの浜昼顔が咲いていた。


真っ青な空には、水平線と並行して浮かぶ白い雲が流れ、目の前には、エメラルドグリーンに輝く海が広がっていた。


イシキ浜は、古来より、琉球王朝の聖地として知られる場である。浜から臨む海の彼方には、人間の魂がやってきて帰るところである、天国ともいえるニライカナイがあると信じられている。


いわば天国への入り口のような場なのだが、そこには賽銭箱はもちろん、拝殿と呼べるようなものは何もない。

Kutaka4 多くの人が訪れるだろう浜辺だろうに、休憩所もなければ、官公庁の役人がつくる但し書きも、土産物売り場も、自動販売機もない。


あまりに清く、あまりに可憐なそこは、人の手によるものが一切なく、ゆえにか、どんなに深い闇を背負ってきた人でも、瞬時にして浄化されると思えるような、圧倒的な光が満ちている場であり、長く、久高島の人たちによって守られてきた場でもあった。


私は30分ほどいただろうか?その間、浜には私以外、誰もいなかった。だが波打ち際には小さなヤドカリがいて、サンゴ礁を持つ波打ち際には、小魚たちが泳いでいた。波と風の音しか聞こえないそこは生命が満ち満ちており=《在って在るもの》と出会う場とも思えた。


イシキ浜には、多くの人たちが自分を無にして祈り続けてきた場所だけがもつ、特別の気配がある。


だからだろうか。いながらにして自身の存在が消えてしまったような、あまりにも輝かしい、眩暈にも似たノック・ダウンを感じた私は、あの日…





真昼の永遠を見た
…と思ったのである。



(※ちなみに、浜には数年前、白い石でできたマリア像が流れついたという。像は島の一部の人しか入れない場に安置してあるとのことだが、かくも柔らかなバイブレーションあふれる浜なら、さもありなんと。


もちろん浜の写真も撮ったが、今回はあえてupしない。あの空気を伝えきれないという思いと、私の宝という気持ちもあって、したくない。


心惹かれる方は、直に行かれることをお薦めする。(↑島の点景と、イシキ浜に向かう道↓島の北端にあるカベール岬での写真。)


Kabeel2

私は久高島で、これまでの人生で《最も美しい地理的な場所》を見たと思っている。それがよりにもよって今、人間社会のドロドロを見つくしたような今、だったとは……



他、パラオや、サイパンや、台湾から帰ってきたおばぁたちとの切なく深い交わりや、「ヤマトにはいつ帰るの?」といってくれた漁師のおじちゃんたちとの楽しい食事や、「なぜここに?」泊まった宿では、私の知人と親しい“女性牧師”だった方と出会って絶句したり…濃い命の交流は忘れられないが、それらすべてを含めて、



久高島の素晴らしさは、<なにもなくてすべてある>ことだと思っている。To



今回、それを知りえたことは、大きな幸いであり、先々の私のライフスタイルにも影響するだろう予感大。



※御存知のように、沖縄は重く厳しい歴史を背負っている。しかし熱帯の明るさを併せ持つゆえにだろうか、人々は総じて、陰影に富んだタフでチャーミングな表情をもっている。


歌わなきゃやってられない、踊らなきゃやってられない…それもあってのことかもしれないが、簡素とエレガンスが共にある町並みや表情は、離島においてさらに顕著だ。






命は辺境ほど濃い。





過去、私が「はじっこ」や「すれすれ」や「極」に惹かれてきた理由は、これもあってのことかも?




※沖縄編は間を置かず、4回シリーズで続く。近日また!

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2009年7月17日 (金)

夏の御挨拶

O ●まだ片付いていないこともあるが…それはそれとして…私にとって二度目の訪問となる、沖縄への旅程が決まった。


もはや霊的家族(大勢いるなぁ)の一人と呼ぶしかない、電気ラッパの近藤兄による《皆既日食》ライブも楽しみだが、他にもあれこれ。


ずっと気になっていたイザイホー(12年に一度行われていた神事。現在は中断している)で知られる、久高島に行く。


沖縄随一の聖地として知られるこの島は、今に至るまで原始共産制に近い制度が保たれており、外部資本の介入や、土地の売り買いができない。よって島には大きなビルや、めぼしいレジャー施設もない。


かつ、沖縄における拝所は御嶽(ウタキ)と呼ばれているが、それらは海辺クバの林であり、人間のつくったものは何もない。


(本でいえば、書かれた文字ではなく、それを書かしめる無限の空間、余白のような場といえるかも?)


かつ、母系社会の中心をなす久高島のノロ(神女)たちは、世界や、国や、島や、漁に出ている男たちや、家族の平安を祈り、“最後に”自分のことを祈るという。それだけでなく子供が生まれた時には、


「この子がえらくなりませんよう、無事でありますように」


とも祈る。エラクなろうとする、させようとすることの弊害を知り抜いているがゆえの伝統だろうが、今の日本にこんな場があること自体、奇跡といっていいだろう。


なんてことをいっていると「え?あんたクリスチャンなのに、そんなところに行くの?」といわれそうだが、


私自身まったく矛盾を感じていない。神と自然と人々が《生活レベル》で調和して生きることは素晴らしいことであり、“生かされている”ことを知るものが、己を低くして祈る場は、みな尊いと思うゆえだ。


※旧約聖書にも書かれている。エズラ等の「預言者」たちが神の言葉を賜る時、“人間Angel の手によって造られたものがなにもない野原にゆけ”と示されたと。


神は、人工物の中におられない。私たち自身や、自然の中に、今も、いつも、ずっと、御自身を反映する不滅の光として存在しておられる。


私は…直感先行人間ゆえ、先のことはまったくわからないのだが…去年の今頃を思うと、このような場にゆけることは奇跡であり…本当に在り難いことだと思っている。


他、かの地の航空会社に勤める旧友の御見舞等、大切な予定もあるが、炎天下ゆえ、休み休み味わってゆけたらと。いずれにせよ、詳細はまた。




●先にupした記事に添えた《最後の写真》について。


実は、先の記事を書いたのは11日夕刻だった。あまりに空が美しいので途中で飛び出し、デジカメで写したところ、びっくり!


何もない空の部分に“白いまん丸”をはじめ、複数個の丸が映ったからだ。


写したのは《東の空》だったから、そこに月はなく、しかもあの週の満月は7日だった!


ってことは…あの○は?


何も念じず写しのだから《念写》でもないが…目に見えぬものが、かくもクリアに写ったのははじめての経験で、しかしお化けを見たような不気味モードは皆無で、ただ、あららって感じで。


“我がココロのビー玉”を愛するがゆえに映ったのだろうけど、“内なるものが外に反映される”という事実を、これほどわかりやすい形で確認できたことは嬉しく、他愛もなく喜んでいる。





今年の夏も暑くなりそうですが、皆さんは、どちらか行かれますか?


どこにも行かずゴロ寝もまたよし。どこに行っても行かなくても、どうかお体を御自愛し、それぞれの場で、ステキなものを見てくださいね。

 


熱帯夜の夢の中では、テナー歌手の歌う、ラクリモーサを聞く……。





どなたもよい夏を過ごされますよう、




DOS・キャサリン・うに・あずき・あやこ・SCAより、暑中お見舞い申し上げます

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2009年7月13日 (月)

なぜ私に?

●猫好きの友、Uさんが泊まりがけで遊びにきた。彼女は職人系の生活の達人で、楽しい人だが、ん?今回は少し様子が違っていた。


実は、猫を愛してやまないUさんは、家猫意外に外猫(野良)たちにも餌をあげていた。


集合住宅に住むため、近くの公園で、夜、数匹の野良たちに餌をやり、完食を確認した後、皿を片づける作業を毎日続けていたのだが、



「状況が変わったんです」C_5


ここ数日で猫数が激増。聞けば、近くに住む獣医さんも、自宅の庭で野良たちに餌をやっていたとのことで、


「一人住まいのその方が、突然入院され、お宅が閉めきりになったんです」


よって行き場をなくした猫がUさんの餌場に押し寄せ、その数、約20匹!


越境難民(?)の中には、子猫もいた。当然可愛いい。餌をやらなくては死んでしまう。だがUさんの労力・餌代・時間は以前の比ではなく、仕事にも支障が出て、このままでは自分が死んでしまう。


思い悩んだ末、近所に住む猫好きの友に作業分担を提案したところ、即、いわれてしまった。


「私は忙しくて無理!でも、お願いだから、その子たちにも餌をあげて!」


生き物の命はみな尊い。そんな理屈は誰だって知っている。でもこの状況で一人だけに作業を押し付け、命の価値を説くなんて、そんなのヘン!


猫好き同士は決裂寸前になり、Uさんは一晩だけ餌やりを別の人に頼み、一時避難をしてきたのだ。


「私にだって、できることとできないことがあります…」


深夜、御近所に隠れて葛藤まじりの義務感で餌やりを続けるものの、飢え猫集団の奪い合いを目にする作業が、苦しくてならないとも。


「まず、“私自身が幸せでなければ”どの猫とも幸せな関係はつくれないと思うんです…」


涙声の彼女に向かって、


「区立公園でのことだから、区に相談するのはどう?」と、アサハカな質問をしたところ、さらに重いトーンの返事が返ってきた。


「そんなことしたら、みんな殺処分されます」


その言葉で…私は以前見た、《写真集》を思い出したのだ。




●保健所に集められた捨て犬だけを写した写真集だった。写された犬たちは、迫りくる運命を察知していたのだろう。犬の顔に眉はないはずなのに、すべての犬の額は、みな“ハチの字型”になっていて、なによりそのが、とてつもなく深かった。


犬たちは、極度の緊張を強いられる檻の中で、人の足音がするたび、ピンと耳を立てることを繰り返していたはずだ。


(僕がここにいるのは、何かの間違いだ。ほら、全信頼をよせていた飼い主さんが現れた…)と思った途端、(ああ違う…臭いが違う…)絶望につぐ絶望を重ねたあげく、今度は(もしかすると…この人が救い出してくれるのかもしれない)と、あまりにも淡い期待を抱き、犬たちは来訪者を見つめるのである…。


私は写された犬の眼をしばらく見た後、D_4


(ガス室で苦しむ断末魔犬の声をテープに取り、犬を捨てたすべての人間に送りつけるべきだ!)


と思ったのだが…振り返れば…自身も離婚後、育てられなくなった猫を猫嫌いの母に預け、それきり猫はどこかに消えてしまったではないか…そんな半端な愛し方をした私が、人のことを責められるのか?


どうしたら犬も猫も人も喜べる世の中ができるんだろう?


地域に犬猫ボランティアがあるのかもしれないが…どんなに物があふれていても、生き物の殺処分が当然とされる世の中が、豊かであるはずがない…とうなだれていたら…しばらくのち、また別の景色が浮かんできた。



●26歳の私は…伊豆のとある病院の個室で付添婦として働いていた…その時の患者は裕福な老婆で、肺癌末期の方だった。


しかし当初の容態は悪くなく、私は老婆の(そこまでいうか?)という言葉に辟易しながら、黙々と働いていた。


ほどなくして、老婆をとりまく環境がみえてくる。早くに夫を亡くした彼女は気丈にならざるをえず、ゆえに嫁との折り合いも悪かった。


可愛がっていた息子や孫も遠くに住んでいたため、彼女は長年「頼れるのは自分だけ」と思い、病室でも鎧を着こんでいたのである。


(弱みをみせたらつけこまれる)(この小娘の仕事ぶりも監視しよう)

A 老婆の気は休まる暇がないようだったが、私は、ただでさえ狭い病室を牢獄にしたくなかった。


(※茶室もそうだが、どんなに狭い空間でも、心ひとつで壮大な宇宙を思い描くこともできる)


私は患者の訴えに耳を澄ましながら、愚弄や罵倒に極力巻き込まれないよう、窓辺にやってくる鳥を見たり、花を飾ったり、時にFMラジオで弱音の音楽を流し、「フン、耳障りだ。止めてくれ」いわれれば、黙って止めることを繰り返していた。


やがて老婆は変調をきたし、発熱や呼吸困難が頻発する。彼女の言葉使いが変わったのは、それからだった。


「おねえさん、どこ?」


女王様のように振舞っていた人の体が急速に縮み、


「頼むよ、いっちゃいやだよ、そばにいておくれ」


しきりにせがむようになった。ことに夜、闇が怖いのだろう、天井灯を消してくれるなといい、何度も何度も起こされるようになる。


ねぼけ眼で起きあがったある夜、私は老婆の顔に、あの犬の眼を見たのである…。



もちろん、私だって天使じゃない…神様の愛を知らなかった頃だから、なおさらだが、小動物のようにおびえる人を前にして、(そらごらん)と思わないでもなかった。


だが80年余の人生の最後、全身全霊ですがってくる人を前にした時、私の口に、おのずとのぼってきた言葉があった。


「大丈夫ですよ。そばにいますからね」


私は毎回(コノヤロー)と“自身に”毒づきながら、持てる生命のありったけを絞りながら、病者と関わってきたのだ。


しかも、血まみれ、汗まみれ、糞尿まみれの勝負のほとんどは、惨敗だった。病者たちと心が通ったと思ったのも束の間、その多くは死の淵の向こうに連れてゆかれたからである。


病者の数はきりもなく、私は、毎回の勝負に負けて負けて負け続け……(もう自分の中に何も残っていない!すっからんになってしまった)世界の淵のようなところに、たった一人で残されているように思ったこともあった。

F_2 だが…精根尽き果て…空っぽの器になってしまったと思えたその時…何もないはずの心の底に、なお、かすかに立ちのぼる、淡い気配があった。


目にみえない“それ”は、最初あまりに小さく、私は無視し続けた。しかし、怒りや嘆きや哀しみといった一切の感情を突き抜けてあるそれは、私にとって、なにかしら大切なもののように思えてならなかった。


(これって…一体…)


何もないと思っていたところに、誰がくれたのだろう?一輪の花があったような。その花の輪郭はまだ不確かだったが、《ゼロと1》は明らかに異なり、私はその花を知りたいがため、次々患者を求めてゆくようでもあった。


あるいは、荒地を掘り続けた野犬か、金の鉱脈を掘りあてようとする、《山師》のようであったかもしれない。


なんであれ、私は自分の嗅覚だけ頼りに、「ここには何かある」と思い、明確なキリがつくまでは、誰がなんといおうと、毎回の仕事をやめようと思わなかったのである。

R_2 (長年、穴掘り犬を続けた私が見つけたものは、自分の庭に埋もれていたビー玉だったが、私はそのことに心から満足している)


そもそも…私は、なぜ、こんな仕事をはじめたのだろう?

多分…私も、あの犬のような眼をしていたからだ。


思春期の“思い込み”もあってのことだが、世界から拒まれていると思った私は、(自分はみっともないから…勉強ができないから…食べ物を吐き続けているから…)


生涯、引き取り手はないと決め付け、自分に相応しいところにゆこう…と思っていたのである。


何を隠そう…実は私の方こそ、この言葉を誰かにいってもらいたかったのだ。



「大丈夫ですよ。そばにいますからね」



だが私は《不思議な力》を得て、聞きたかったその言葉を、自ら発するようになってしまう…。



●心の整理がついたのだろう。帰宅したUさんから℡が入った。獣医さんがいつ退院されるかわからないが、「すべての外猫への餌やりは、20日までにします」


つまり、別の餌場を求める猫たちのサバイバルがはじまるわけだが、Uさんは「どうしてもいう猫と関わってしまったら、場合によっては、家猫にして世話をします」ともいった。


20匹中、可愛いいと思える猫だけを選んで飼うのではなく、《どうしても見捨てることのできない瀕死の猫》との縁を感じたら、飼うのだという。



「それが今の私にできる、精一杯のことです」F_3



●マザー・テレサは、カルカッタの路上で倒れていた人たちを拾いあげ、「人間らしい死」を提供すべく、世話をし続けた方だ。


というと、「またその話か。耳にタコができた。そんなことは誰でも知ってる」といわれそうだが、本当にそうだろうか?


多くの人はマザーの活動を《知識》として知っていても、その情景をつぶさに思い浮かべることはできずにいるのではないか?


(※私が何度もこの件を持ち出すのは、皆さんにインドゆけとか、ホームレスの世話をしろといいたいからではない。私自身も含めて、“真の豊か”さに不可欠の、《愛について考える機会》になればと思っているからである)


たとえば、マザーが近寄ってきた時、ある人は多くの通行人にされたように、蹴飛ばされるか、石でもぶつけられると思い、身を硬くしたはずだ。


また、ある人は、なけなしのサリーを剥ぎ取られると恐れ、朽木のような手で前をかきあわせたかもしれない。


長年のサバイバルを送ってきた人なら、当然の反応だが、予想に反し、彼らはマザーの下、それまで味わったことのない扱いを受ける。


ヒンドゥー教や、イスラム教や、仏教から、カトリックに改宗しろと迫られることもなかった。屋根のあるところで体を清めてもらい、食事や、毛布や、微笑が与えられた。


ある時、かつぎこまれた人がマザーに訊ねた。


「どうして私に、こんなことをしてくれるのですか?」


泥棒か、詐欺師か、放火魔か、人殺しだったのか定かではないが、彼が悪事の限りをし尽くした人である可能性もあった。


そしてそんな人が倒れていたら…おそらくは「自業自得だ」「いい気味だ」「ザマミロ」とほっておかれるのが常だったろうから…男は、訊ねずにいられなかった。


「なぜ私に?」


マザーの答は簡潔だった。M_2





「  Because    Ⅰ    love  you   」






その瞬間…男の口がわずかに開き、抜け落ちた歯の隙間から、注がれたおかゆがこぼれたかもしれない。


(愛している…?)



それは遠い昔…どこかで聞いたような言葉だったが…そんなものは遥か彼方にかき消えてしまい、自分には縁なきものと思っていた。だが今、


(この俺を…愛している…?)



男がその言葉の意味を知ったのは、生涯が終わる直前だった。芥子粒のように小さく思えるその言葉は、男を内から照らし、寺院や通りに降る雨のように、干からびた心を濡らし続けた。



《決して見捨てない人》の腕の中で、金色の雨のような言葉に浸された時、おそらく、男の眼は、あの犬のような眼ではなく、人間の眼に変わっていたはずだ。






「    Because    Ⅰ     love    you    」






マザーにこういわせた“同じ力”が、私を招いてくれた。そして、これまでもそうだったように、これからも様々な波は押し寄せてくるだろうけれど…私はそのつど、この光に安らう。



それぞれの場で、懸命に生き抜いた犬も猫も人も………みな、この光に安らう……




様々な痛みを超えて、今、私は祈る。



あなたの今日に慰めがありますように。


Dscf0009_2

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2009年7月 1日 (水)

星のまたたき

     この夕べ     降り来る雨は      彦星の

                   

                   漕ぎゆく舟の     櫂の散りかも

          

                              

                             ※万葉集第十巻より。詠み人知らず

7 七夕が近いから…でもないのだろうが、プラチナ色に輝く北斗七星の夢を見た。その夢の中で、私は夜空に浮かぶ不思議な柄杓型の星を仰ぎながら、まっすぐの道を歩いていた。


そこに突然、祖父が登場。


祖父は、大正時代の慶応ボーイで、生前は、文学や音楽を愛するロマンチストだったが、同時に神経質でプライドが高く、家業をたたんだあとは、怒鳴ってばかりの人だった。でも夢の中の祖父はメチャ若く、ベレー帽なんぞを被って自転車に乗り、本当~に楽しそうだった。


「おじいちゃん、ちょっと待っててね」


綺麗好きだった祖父のため、私が茶業会館(!)を掃除してから呼びにゆくと、あれれ?もう祖父の姿がない。

Gp でも、そこに一枚、楽しいイラスト付きの葉書が残されていて、以下の言葉が添えられていた。




「   Later ! とみこ happieness を忘れないようにな!  」 



星のまたたきのような祖父の言葉に、思わずにっこり。



どうやら天国って本当にいいところらしい。

夜空の高いところから、キコキコ、自転車をこぐ音も聞こえたような初夏の夢。

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2009年6月24日 (水)

日々の波音

●某日、明朝収集のゴミを出しにいったら、赤地に黒チェックの、小ぶりのビニール袋があった。少しも汚れていないそれが妙に気になり、月明かりの下(イルカを拾ったように)拾う。


子供のお稽古道具みたいだけど…(お習字セットかな?)と思って開けたら…なんと、2オクターブ強ある、折りたたみ式の真っ黒な木琴が現れた!


(私の精神年齢が、どんどん幼くなっているので、こうしたものがやってくるのかしらん?不思議でうれしい)


見た瞬間、今、苦しんでいる人たちのことが脳裏に浮かび、深夜、その人たちのことを思いながら(小学生以来!)木琴を叩いて歌った。         ↓ waga   reizoko 




賛美歌298番 Dscf0003  

やすかれ   わがこころよ   

月日のうつろいなき

み国は    やがてきたらん   

うれいは永久に消えて

かがやく   み顔をあおぐ  

 いのちのさちをぞ受けん

 


詠唱を通して私の心にも浄化あり…。




でも、木琴は連結部分の紐が弱くて音に乱れがあり、私に猫名をつけてくれた親友の内山さんに相談したところ、「送って!修理するから」と。


彼女は、クラフト系は何でもやる楽しく器用な人で(石鹸も作る!)早速送ったところ、紐をとりかえ、クッション部分にピンクのスポンジを入れた写真が送られてきた。


後日、音階部分の黒い板に花の絵を描き、猫たちに叩かせると聞いて、にっこり。Omo 修理が終わったら写真を送ってくれるとか。楽しみだニャン!→(ドキッと美猫の故・内山面こと、おもちゃん)


●流れのまま動物編。


知人がシャドウという名の犬を飼い始めた。犬種は?彼は語り部で、まことしやかなウソもつける人ゆえ…ほんまかいなと思い、試しにシャドウとテレパシー交信をしてみたら…マカ不思議な波が返ってきた。

シャドウは耳の後ろを撫でられることや、一緒におでかけするのが大好きだが、ドックフードの種類は、たまに変えてほしいと。でも、重い人生を背負ってきた知人の慰めになっているようで、とてもうれしいとも。


●本の中の犬猫たち。


数えあげればきりがないが…特にドストエフスキーの<カラマーゾフの兄弟>のラスト、アリョーシャと子供たちとのエピソードに出てくる雑種犬の、ペレズヴォン!


早くに死んでしまった少年ミーシャが、何度も何度も、リズミカルに呼びかけていた姿と、未来の革命家を予感させる少年、クラソートキンの眼の力もあって、《痛みと弾む心》の両方を思い出させる、印象的な犬。マズルカでも踊っているような響きの名前が、とても好き。



大江健三郎
の小説(「日常生活の冒険」?)に出てくる、猫のジブラルタル。不確かな記憶によれば、灰色長毛種のペルシャのように思うが、主人公が「ジブ、ジブ」と呼ぶたび、ぞわっと不思議な快感あり。私はかの海峡と何か縁があるのかも?


土地にも磁石がある…というか…長く旅をしてきた魂は、土地や人との色濃い記憶を残しているのだろうと。



ふと思う。

(涙って、いいものよね…)



涙は目の中のゴミだけじゃなく、心のゴミも洗い流してくれる…人間は泣いたあと、軽くなるって、知ってた?


うん、だから自分を重く感じている人は、たくさん泣く必要がある。“自分”がぎっしり詰まった心は重くて、息苦しいから。ココロにも風を入れる隙間が必要で…大泣きすると、ビー玉もみつかりやすいよ。


Wool ●同行二人


とは、四国巡礼のお遍路さんが身につけているお札(というのか?)に書かれている言葉で、<あなたは一人ではなく、お大師さんと一緒に歩いています>という意味だ。


捩れたものをどっと抱えていた頃は、煩わしい言葉に思えたが、心境の変化か、この頃は、とてもいい言葉に思えてならない。


長い道のりをゆく間、人は空海であれ、キリストであれ、聖霊であれ、あるいは恋人、伴侶、友人、犬猫であれ、同行者を求めずにはいられない。


同行者は得がたいものである。誰だっていいわけじゃない。欲しくても与えられないことがほとんどだけど、「もし」与えられたなら、その時は素直に受け入れるのが正解だろう。


涙や笑いやケンカがあるとしても、同行二人はより豊かで、味わい深い道のはずだから…。


ちなみに、私の友人の銀ちゃんは、奥様だけじゃなく、猫のエルビスと一緒に暮らしている。ステキなハニーのいる別の友人、絹子さんは、犬のコットンや猫のウールを飼っている。



私は、これまで“真に”同行者を求めてきたかな?



…先のことはわからないけれど…わからないまま、今は心の中に、寄せる波と引く波の音を聞いている。


わかっていることは、その音の向こうに、静かな光をたたえる深い慰めの場所があるということ。



“祝福”っていうのは、そこと繋がっていることよね…






時が満ちればさらに。




Dog2

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2009年6月20日 (土)

庭の喜び

●子猫の庭の、Gエンジェル・トランペットの伸びる勢いがすごい。この分だと、になるのもそう遠くなさそう。


某日、葉っぱの上にいたカマキリの赤ちゃんと、目が合った。


体調1cmほどの小さな体だったが、大きな眼をもつあの顔で見られた時のインパクトたるや!


そっと手を伸ばしたところ、薬指の先に乗ってくれて、その感触たるや!


Baby・kamaが私をどう認識してくれたのか?だが、青空の下、顔と顔を合わせて触れ合うという、単純明快なコミュニケーションの喜びを感じる。


ほか、葉裏のあちこちには、てんとう虫もへばりついていた。茎の上で上下動を繰り返すもいた。ひらひら、紋白蝶も飛んできたが、もちろん、この世界も「人間の目に」ウルワシイと思えるものだけ、やってくるのではない。


虫喰いだらけの葉っぱの下には、ムカデもいた。毛むくじゃらの足をスリスリする蠅もくれば、べちゃっ、と潰れたチョコレートのような、鳥の糞を張りつけた葉もあった。


そのすべてを見て、しみじみ思う。↓pinboke dakedo kodomotachi ga tukuttekureta oshibana dayo! F


(豊かだなぁ~)


やがて木になるだろう緑は、集まってくるものを追い払うことをしない。好きなように齧らせ、宿らせ、休ませ、風雨に打たれながら、ぐんぐん背丈を伸ばし、次々、花をつけては芳香を撒き散らし、終わった花の横で、これからの花を育てている。


植物は取引をしない。あるがままの姿をさらけ出し、水と空気を貰うだけで、私たちに山ほどのものを与えてくれている。


人間のココロが貧しいとしたら、きっと、その逆ばかりやっているからだな…



●ハーブ系の伸びにも目を見張る。あまりの増え方にラベンダーを刈るが、隣りのミントも伸びていたので香りが混じり、くらくらするほど爽やかな作業となる。


ラベンダー用の枕カバーも作成。干したラベンダーをぎっしりつめて眠る時の喜びたるや!

Jimi ジミー・ヘンドリックスはヤク浸けになってパープル・へイズを創ったが、私はナチュラル・ハイで<紫の夢>を見るノダ。




●この家に転居して庭いじりはじめた時、石だらけで地面が硬く、開墾に泣けた。でもある時、シャベルの先に、ころん、と別の感触が。


(なんだろう?)


土をぬぐってみると、キラッと光る、ビー玉が現れた!


きっと、向かいの家の子供たちが投げ入れたのだろう。ある時は5つ、ある時は7つ、透明の、水色の、黄色のビー玉が、あちこちから出てきて、見つけるたび、私もキラキラ心が躍った。


うん、ガラス玉だけじゃなく、ゴムボールまで出てきてね。その数、なんと91ケ!

Dscf0007_2 とてもじゃないけど捨てられず、全部洗って磨き、お気に入りのガラスの灰皿(煙草は吸わないけど、形がおもしろくて骨董屋で買った)に入れたら、ますます幸せな気分になって。


ハタと思う。


(天国って…きっとこういうものなのね…)





《 宝はすでに与えられているが、隠されている 》



私たちの中に、発見されることを待っている宝がある。それはどこでもない、自分の庭=自分の心の中にあり、<静かに光っている天国>なのだ。


(人や、虫や、鳥や、星が美しく思えるのは、この宝を隠しているからだな…)


そしてそう思えるのは、今の私が、掘り起こしたビー玉の光を介して、この世界を見ているからだ…


転居前、子供たちがビー玉を投げ入れてくれていた…不動産屋も知らなかったその事実に、心底“有り難い”ものを覚えながら、さらに思う。


(ムカデや、蠅や、ドクダミ軍団に気をとられるあまり…私は久しく、この光のことを忘れていたな…)


ビー玉をひとつつまんで、太陽の光に透かしてみる。透明な球体の中に輝くをみつけた私は、その夜、ハーブ枕で極上の夢を見る…


そして不思議な予感を感じて目覚めた翌朝、庭に面した窓のカーテンを開ければ…


(アッ!)


ささやかな緑の上には、一面の朝露が広がっていた。


地下から湧き出たのか、それとも天から降ってきたのか、どちらでもあるように思える、やわらかなビー玉のような球体のすべては、緑の上で、誰もが知っていて見落としている「秘密」を露わにしていた。



その時、時間は消えて、永遠があった…



尊い秘密を開示してくれた水滴は、地上に現れた一瞬の宝のように虹色の光を放ち、


oneness その光に照らされた私は、黙ってただ、そこにあるだけで、不思議な響きを持つ鐘のように揺れたのである……。






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2009年6月15日 (月)

濃い命の場を

三沢光晴さんが急逝された。


私がその名前を知ったのは、《主婦の友社》に勤務する編集者である、友人のS君経由で、S君がかつての同僚だった、H君とてがけた単行本、<チャンピオン・三沢光晴外伝>(同社刊)がきっかけだった。


お二人の企画を聞いた時、(主婦の友社からプロレス本!)私は大胆な取り合わせに絶句。よくぞ!と思っていたら、彼らの上司もナイスな方で、


「ま、あいつらの気持ちが、熱かったからさ…」三十代の部下たちの企画を上に通し、「どーんとやってみろよ」に、なったのだと。


お二人は、好奇心とお酒がめっぽう強い格闘技好きな編集者で、“みぎわ”にもよく通ってくださった。


私が過去、武道をやっていて(格闘技ではない。型と組み手だけだが、「もろ蹴り100本!」なんて号令で、左右の宙を何百回も蹴り続けていた)プロレスではスタン・ハンセンブルーザ・ブロディが好きだったが、ヒクソン・グレイシーには神々しいものを感じる…


といったら盛り上がり、深夜の店に、上記本の初稿までもってきてくださり…あーだこーだと内緒の編集会議(?)まではじまって……


しばらく後、出来上がった本のラストページに、「special  thanks   migiwa 」の文字を見つけた時は、思わず泣けた。


※本であれ、人であれ、店であれ、また私自身が著者であれ、経営者であれ、付添婦であれ、産婆であれ、いろんなものの《生き死》の現場に立ち会ってこれたことは“本当に幸せ”だった。


そこにはいつも濃い時間が流れており、常とは違う、魂との関わりがあったからだ。

※思えば、私の人生はスタートからして、色濃い死の気配に包まれていた。きっと私は、本能的に、それに見合うだけの生命力を取り込む必要性があると感じていたのだろう。


武道も、踊りも、看護も、経営も、旅も、少なく深い恋愛も、私が取り込んだエネルギーは、それに見合うものだった。


そして濃い命の場を渡り歩いてきた私が、創造や、破壊や、死や、再生といった、宗教や芸能や、身体芸術に関する場に立ち会うことは、極めて自然なことであり、同時にそれらの行動は、《大地との関係が薄れて》命が痩せてゆく一方の都市にあり、巫女治療師(ヒーラー)もどきといわれた、不思議な働きに繋がっていったのである。


もちろん…私はそれを狙っていたわけではない。《結果的に》そうならざるをえなかった。宿命というのか摂理というのかわからないけれど、ぎりぎり押し出されて、それしかないというような、毎回の招きに応えてきただけ…なのである)


もとい。青年編集者二人が、熱狂的に語り続けた三沢さんについては、ずっと気にしていたが(個人的には蝶野正洋も好きだが)いつかリングサイドにゆく機会があるかも…と思っているうち…


三沢さんの享年は46歳だった…。友人たちの涙に添えて、一筋に闘い抜いた戦士の、あまりにも早い最期に合掌。


●しばらく前の訃報に関しても。


みぎわの近くには、エイベックスや音楽関係の事務所も多かった。そのため、音楽雑誌の編集者だったお客様から、撮影に使わせて欲しいと頼まれ、営業前に店を貸したこともあった。


(どんなミュージシャンがくるのかしら?)と思っていたら、なんと、忌野清志郎さんだった!


音楽評論家の渋谷陽一さんのインタビューに答えていた彼は、極めて礼儀正しい方だったが…小一時間ほどチェーンスモーカー状態で…あの頃、すでに喉頭癌だったのかと。


もっとも、健康はひとつの価値ではあるが、目的とはなりえない。健康であるかどうかが問題ではなく、問題は《与えられた命をどう生ききるか》だ。


命を支配する存在をリアルに感じつつ………「愛しあってるかい?」多くの人に問い続けS た彼にも合掌。

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2009年6月10日 (水)

点描

●《暴力の陰に孤独あり》Fukuro


とは、常々思っていることだが、昨今、映画もTVもゲームもバイオレンスだらけで、この時代の孤独は本当に深いのだと。(もっとも、アダムとイブの子供である、カインとアベルのしたことを思うと、時代のせいばかりともいえないな)


並行して、経営者時代の景色を思い出し、真逆の言葉だが、《笑顔の陰にも孤独あり》などと思う…。




●キュートな顔立ちのSさんは、業界大手の会社に勤務するシステムエンジニアで、高給取りだったのだろう、クラブ遊びが好きな方だった。


彼の御友人が「こんな店もあるよ」といって伴って下さったのが、今はなき“みぎわ”で、50歳直前のSさんは、お会いした早々、六本木のクラブにいたマリコについて話された。


マリコは21歳で可愛かった。服や宝石も買ってあげた。ホテル代や旅行代も含め、この1年間は湯水のように金を使った…云々。


みぎわの飲み代とはケタが違う話が続いたが、私はこの種の話は聞き慣れていたため、「ステキな子だったのね」と微笑み、ま、優等生のボンがハマった、ハシカだろう。いつかマリコと一緒にみえるかも?などと、他愛もないことを考え、まずはさらりと受け流した。


Sさんは明るかった。




いささか自慢げに語るマリコの話も、口調の軽さゆえにか、さほど嫌味でもなかった。奥様が亡くなって5年、手先が器用だという彼は、家事全般も苦ではなく、再婚話もきているけれど、もうしばらくは遊んでいたい…等々、くったくない笑顔で話された。


(つまり、あなたにとって“みぎわ”は《箸休め》っていいたいのね)


メイン・デッシュじゃなくても、それはそれ。縁があって出会った以上、私としてはいつもどおりに接し、お気に召さなければ、それまでのこと。




だが意外なことに、Sさんはその後、お友達まで連れてきてくださり、Sさんを紹介してくださった方も目を丸くする。


「へぇ…あいつ、常連になったんですか?派手な遊びが好きなヤツだったから、ここに通うのが不思議ですけど…」


私も不思議だった。横に女の子がつくわけじゃなし、常連の方々とも一線を引いて接しておられるようだし??




数ヶ月後、その疑問に答が与えられる。


珍しく遅い時間帯のことだった。Sさんが一人で来店されたが、なんだろう?妙に空気が硬くて、いつものニコニコ顔じゃない。



「あのね…実はね…」



常の日のSさんの語り口は、立て板に水だった。しかしその夜の彼は、ぽつ、ぽつ…もどかしいくらいの口調で、ひたすら言葉を選び続けたのである。



「あのね……女房の…こと…なんだけど…さ…」


構ってやれなかったという奥様は小学生時代からの同級生で、病死ではなく自殺だった。それも遺書ひとつ残さぬ縊死で、出張から帰ったSさんが第一発見者だった。

それだけいうとSさんは他に誰もいない店で大声を上げ、


「○○子!○○子!!」


亡き人の名前を呼んで号泣し、カウンターに突っ伏したのである。





私は黙って立っていた…。



一瞬、カウンターの外に出て隣りに座り、肩を撫でさすりたい気持ちにかられもしたが、その選択がよくない方向に流れることもありうると思い、結局、泣ける場所を見つけたSさんを、泣くにまかせた。



「うっうっうっう……○○子ぉ…○○子ぉぉ………」



Sさんの顔は、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていった。私がそっと出したおしぼりで、Sさんが顔をぬぐったのは、多分、午前二時。


「………すみません…」

蚊の鳴くような声だった。



その言葉が、私へのものだったのか、亡き人へのものだったのか、それとも別の何かに向かってのものだったのか、確かめようもないまま、永遠とも思える数分間が過ぎていった…。

Sさんの呼吸が、次第におちついてきた。大きく上下していた肩の揺れもおさまり、カウンターから、視線が離れた。



「………かえります…」



立ち上がったSさんが、さっきまでの顔が映ってしまったようなカウンターに、いくばくかの札を置いて店の扉を押し開けると、私も後を追って表に出る。


「Sさん!」

Sさんの足が、瞬間、とまった。




そして私は、渋谷の空にぽっかり浮かぶ月を背にして立つSさんに向かって御辞儀をし、いつもどおりの言葉を口にしたのである。


「ありがとうございました…」






小さく開いた扉の向こうに、はにかむようなSさんの顔を見たのは、それから半月後のことだった。


「いらっしゃいませ」



以前と同じように笑顔で接し、同じように、Sさんも笑って応える。しかしその笑みの向こうに、それまでとは違う、なにかしら《通う心》のようなものが生まれた……と思ったのも束の間、その日をかぎりに、Sさんが来店されることはなかった。





人づてに聞いたところによれば、Sさんは会社を退め、どこかに転居されたという…。






さらに時をへて…私は今、ぼんやり思っている…。



Sさんが新しい道に踏み出すきっかけとなったのが、あの夜だったのか?

マリコの店は、今も六本木にあるのだろうか?



Sさんに対する、マリコの役割と私の役割は違っていたはずだが、“だからこそよいのだ”と思える今、会うこともなくなってしまった方々の消息を訪ねることもなく、すっかり数が減ったという、ネオンの巷を思っている…。





●傷イルカのヨウちゃんを、海に放した。傷が目立たなくなってきて、水が恋しいのだと。


陸・海・空
を知る稀少種のイルカだったが、今度、会えるとしたらかな?


(そういえば、ヨウスコウカワイルカってのがいたな…)


と思った途端、ハタと気づく。これからは太平洋じゃなく、揚子江のヨウチャンになるのね!


であれば、どれほどの時間がかかるのかわからないけど、どんどん、どんどん川を溯り、かの国のどこかにあるという、桃源郷に辿りついてほしい。



いっしょにゆきたい気持ちもあったが……私はココロのみぎわにとどまるのみ。ヨウチャン、サヨナラ。元気でね。






Yosuko

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2009年6月 5日 (金)

愛の水路を

7 ●先に、ジャコメッリの写真を通じてモノクロの魅力を再確認したが、色彩についても少し。


私はルドンという画家も好きで、(好きなものが沢山あるなァ)ことに<黒の時代>をへての色彩の爆発、次元を超えた世界を映す、彼のパステル画が大好きだ。


多層に輝くルドンの魅力についての説明は省くが、同時に私は、小さな子供が抱く、<単純な喜び>も大切にしている。


たとえば《白黒のボールが10個ある部屋》と《七色のボールがある部屋》のどちらか選べといったら、子供はどうするだろう?


答は明らかだと思うが、私も「こっち!」といって走ってゆくような、躍動する喜びを大事にしたい。


(虹が黒かったら、誰も喜ばないな…)


私が絵描きで、描きたい絵があったとすれば、歩んできたすべての道は、絵の具を獲得する道でもあったといえよう。そして、もっとも深い黒をも含む、すべての絵の具が与えられたと思える今を、心から感謝したい。


●我が生涯最初に出会った作家である、小川国夫先生の(1)遺作随想集(2)遺作短編集をみつけて購入。(1)のタイトルにハッ!


Ogawa 先生は、我が郷里である田舎町の景色に、若き日にバイクで放浪された、イタリアやギリシャの景色をからめながら、数々の作品を編んでこられた方だ。


(※不思議なことに、私が生まれてはじめて会った牧師と、東大時代の同級生。その後、先生はソルボンヌに留学して放浪。牧師は、知的障害者施設を開設)


本書には、地上に生きるものの哀しみを超えてある、星の光がちりばめられているが、それだけでなく、芥川龍之介が捕まえられてしまったような、“真の芸術表現”に付随する、デモーニッシュな世界についても語られている。


そして今回、カトリックである先生の視点を介して、普遍の光を確認できたことは、私にとって<大きな幸い>といえよう。


そう…先生とはじめてお会いしたのは、私が20歳になったばかりの頃だった。


先生は、生涯、静岡から転居されることもなかったが、あきらかにコスモポリタンであり、私は先生の持つ超一級の知性と、侠客のような(血と闇を隠し持つ)無頼の気配が好きだった。ある時、先生が、


「焼津はナポリに似ている」


といわれ、仰天したこともあったが、(当時の私は、郷里を全否定する一方、ひたすらイタリアに憧れていた)でも、この言葉を思い出したってことは…郷里の風景を認知したってことで…“ようやく”自分が郷里を相対化できたことを知る。


(2)短編集にも驚く。
O2


忌み嫌っていた郷里の“方言”に対して、まったく抵抗なく読めたこと。それどころか美しいとさえ感じたことと、個人的な驚愕が。


先生の御著書を購入したのは、おそらく15年ぶりだ…


なのにその本には、なんと、先に紹介した「牧師の話」を小説化した作品が収録されていたのである!!


学園の風景や牧師の風貌も、私が知っているそれと重なり……「今」この本に出会ったことに<畏れ>を感じた私は……慄然…


※この驚きは、ブログにupしきれない、私の活動を知る方だけわかってくださることだと思うが…天国におられる二人の先生からのエールが、ヒシと伝わり、どんな時代がこようとも…私はもう…逃れようもない役割の中にいるのだと…


不思議なことが、次々おこるだろう予感大。


F ●知人からステキなカードをいただいた。


本物の花を摘み、機械を使って乾燥させたあと、色を留め、花びら一枚一枚をボンドで張る、繊細な作業のたまものだ。


力強く、清い足取りで《近づいてくる人》は誰?ミステリアスなことに、顔が見えないのだが…


見つめるうちにハタと気づく。あぁ、これは私たちのもとに、日々、祝福を携えて訪れる“聖霊”だと。


よきものは、日々、私たちの近くにきている。しかし雑音にとらわれている耳に、足音は聞こえない。だが、最初、かすかに聞こえるだけの音に耳を澄ませているうち、少しづつ音は大きくなってきて…(なんだろう?)不思議なオトズレを、心待ちするようになる。


もちろん、聞こえても聞こえないふりをする人もいる。音の存在すら認めず、(心の)扉がノックされても、開こうとしない人もいる。まったく別の、苦しみをもたらすものを招き入れてしまう人もいる。


聖霊は、よきもの(愛・光・平安・喜び)を運ぶ(しんりちゃんのような)存在といえるが、「そんなものあってたまるか。喜びってのは、“自分で掴み取るものだ”」という人もいる。


そう?それ式で「真の喜び」を掴める?


水が飲みたければ(日本では)蛇口をひねる。水路を開く決定権は私たちにあるが、水は彼方にある<水源地>からやってくる。


同じように、「真の」愛が欲しければ、<愛の源>の存在を信じ、心の水路を開くことだ。


源は「神の領域」であり、そこに通じる水路は、すべての人に与えられている。そして水路を開くよう、促してくれるのも聖霊であり、喜びは掴み取るものではなく(もちろんその努力は否定しないが)すべからく、「与えられるもの」だと、私は思っている。


うん。自分で掴みとったものなら、(エゴによる喜びはあっても)感謝は生まれないよね。せいぜいが、「どうだ、ザマミロ」で→(分離・孤立化)


与えられたものと思えたら、与えてくれた存在に対して「ありがとう」が生まれ→(一致・共振)


(※共振が深まると言葉も失せ、音叉状になり、響きだけが残る)


もちろん人間、いつも喜んでなんかいられない。喜怒哀楽、毎回の感情に正直で、ひとつの感情に固執しないってことが自由ってことで、自由でありたいなら、子供たちを手本にするといい。


小さな子供たちは、びっくりするほど素直に、「ありがとう」や「ごめんなさい」や「なぜ」や「大好き」や「大きらい」をいってケロリと手放し、「今」を夢中に生きている。


なのに、多くの大人たちは、蛇口を閉ざしたまま喉が渇くと泣くように、心を硬く閉ざしたまま、愛がほしいと泣いている。


(オレの水道管は腐りきってるから、ダメに決まってる…)自己評価を重ねて落ち込むより、まずは蛇口を開いてみたら?


神様の評価は、私たちのそれとは違い、私たちのアホさ加減を「すべて」御存知で愛してくれている。

だから心を開くことさえできれば、(開けないなら津波を待ち)、いずれにせよ、勢いよく流れ込む水が、汚れたあれこれを押し流してくれるだろう。

「あなたが」神様を捨てることはあっても、「神様が」あなたを捨てることはない…


なーんて、キイタふうなことをいってるが、私は、つい最近のヤマも含めて、とことん嘆いて砕かれてきたクチである。空っぽになったことで局面が変わり、次第に“開放系”になってきたのだ。


ま。選択は人それぞれ。「好きにすれば」ってとこか。



●我が周囲にも“自分で紡いだ悪い夢”に苦しみ、輾転反側を重ねる方がいる。某日、その人たちのために、永遠の少女にして母が(!)深夜、即興の子守唄を歌う。



♪ねんねの森の  ねんねのクマさん  

ねんねのウサギに  ねんねのタヌキ


ねんねんよー  ねむーいなァDream   

ねんねんよー  ねむーいなァ



やさしいメロデイを聴かせることができず(→季節はずれの写真も)残念ですが、今日の哀しみは今日だけで十分。明日はまったく違う風が吹いてきますから、

みなさん、ぐっすり眠って、いい夢を見て。なにより、






愛の水路を錆びつかせないようにね!

じゃまた、お元気で

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2009年5月31日 (日)

音・音・音

W 五旬祭の日が来て、一同がひとつになって集まっていると、突然、激しい風が吹いてくるような音が聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。

                                   

           使徒言行録2-1~2



●今日はキリスト教歴でいう、聖霊降臨祭(ペンテコステ)

<聖霊>というのは、神からのパワー、ホーリースピリットのことだが、クリスチャンにとっては恵みの源で、人は知らず、私の場合、説明しがたいこれがくると、霊なる杯が満たされ、愛(アガペー)にあふれた覚醒状態になる。(※↑十字の滝。by横尾忠則)


あまり人にはいっていないが…私は過去何度か、次元を超えるような幻視体験があり…それ的なシーンをリアルに描いた、聖書内のこの箇所も大好き。


素晴らしいね。ふっきれると、どんどん開かれる。促されるまま、越えてゆこう。


●我が生地、静岡は今、空港をごり押し開港しようとしている。悪評紛々、友人がらみで嘆かわしい話も多々聞き、近年、あっちもこっちも嘆き話ばかりだったが、嘆ききった極みに、スーパー表現者のジャコメッリ本を読んだためにか、頭の切り替えができた。


何があろうと、私は私。


短い人生、ひらめきのまま、やりたいことをやるまでで、自分の生まれた土地を完全否定する必要もなく、それどころか、“芳醇な闇”ともいえる宝の山をもっているのだから、今後はそこに向かってどんどん根っこを伸ばし、眠っていた宝を、掘り起こしてゆくのが正解。


だから…というわけでもないが、曽祖父来途絶えていた<茶の文化>を思い出し、完全な真似事で、茶を点てるようになった。


初心者仕様の抹茶の銘は、今の気分にぴったりの<雲龍>で、先日、本格的にやっている友人から、大きな耳かき状の茶杓もゆずっていただく。


シャカシャカシャカシャカ……茶せんの音に耳を澄まし、季節の菓子など食し、ささやかな宇宙を楽しむ。五感が鋭敏になり、とても落ち着ける。よきものにはすべて、よき余韻がある。砂糖やクリーム系にもサヨナラで、はまるかも?


●シャキッと切り替わった感ある昨日、庭に接木したもののドクダミ戦線との闘いで、なかなか開かなかったエンジェル・トランペット(ダチュラ)が、開花。Dscf0005


どんなにこの日を待っていたことか!


夕暮れになると、大きく開いたラッパ状の花びらから、くらくらするような香りが放たれ、甘やかで濃い音色を聴くよう。それとハモるように楽しい情報次々。

七月、我が魂の友にして、エレクトリック・トランペッターの近藤兄が、皆既日食の沖縄の離島で野外ライブをやるという。題して「闇から光へ」兄とは久々。もろもろからめて行くことにした。



黙示録の天使が吹くラッパのように、私の中の封印も、次々、解かれてゆく予感大。ここに至るまで長かったけど、すべてのことには時がある。待った甲斐があった!

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2009年5月15日 (金)

シフトチェンジ

またまた前言撤回。しばらく(多分今月いっぱい)ブログをお休みします。みなさん、お元気でFace_2ね!


今の気分はこんな感じ。

※「輝ける横顔」 by  Redon →

 

Piyo_2    と、これも私。

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2009年5月11日 (月)

バラの季節に

●某日、神奈川県相模原市にある、「三・一教会」の礼拝にゆく。http://church.jp/31


かつて拙著でも御紹介した、沖縄出身、同性愛者であることをカミングアウトした平良愛香牧師が所属する教会だが、訪問は二年ぶり?


予告なしにも関わらず、お会いした瞬間、平和と活力を感じる笑顔で迎えてくださり、うれしいことしきり。


平良先生は、音大卒で牧師になられた方でもある。ゆえにだろうか、礼拝では賛美も重んじられ、プロテスタントでは珍しい、“キリエ・エレイソン”(ラテン語で、主よ憐れみたまえの意)の詠唱も。


天井・壁・椅子ともに白い、小さな礼拝堂で静まっていると、心の深奥にある“内的神殿”が、ゆっくり開かれてゆく感がある…


<深み>と<高み>は繋がっており、天国を映す場とは、畢竟、心の内にあるのかと…     Dscf0093


礼拝後、皆さんとのランチをへての帰り際、隣接する米軍
基地
添いのフェンスに咲くバラが見事で、思わず声をあげる。

「きれい!」


ピンクのバラは、純粋な愛の象徴。教会員の方が育てた花を分けていただき、<日本とアメリカ>、もしくは<闘いと平和>、あるいは<自我と自己>という分裂する世界を越えて咲くバラを手にして帰る。


帰宅後、Dscf0097 花瓶に活けて、うっとり。首が重くなったら、ガラスの皿に浮かべて、うっとり。花びらが散った後は(桜の時も試したノダ)入浴時、浴槽に浮かべて、色と香気を楽しむ。

花の“最期”は、生命を出し切って漂う、茶色の片だった。

湯船の中で変わり果てた姿をみる…ボロキレのような残骸にも見えるが、世阿弥もいっているではないか、時分の花は、まことの花にあらず。


明らかにこれも花であり、すべての時期を越えてある「真の花」を思い、しばらくみつめたあと掬いとり、ぎゅうと絞る…

翌朝(養分はなきに等しいが)大きな生命のサイクルに戻すべく“花の葬礼”、庭土に混ぜる。


バラは消えたが、バラは私の日々を明らかに豊かにしてくれた。泣きたい時、笑いたい時、人間の言葉ではなかったが、その存在だけで慰められたのだから、私はバラと会話をしていたといえるだろう。


儚い
ってことに気づくことは、素晴らしいことだな…。

●星の王子様とバラについて。

御存知のように、王子様は、ふるさとの星に置いてきたバラとそっくりなバラが、地球上にゴマンと咲いているのをみて嘆く。しかし哲学者のようなキツネと友達になったあと、王子様はバラたちに向かっていった。

R 「あんたたちのためには、死ぬ気になんかなれないよ。そりゃぼくの花も、なんでもなく、そばを通ってゆく人が見たら、あんたたちとおんなじ花だと思うかもしれない。


だけど、あの一輪の花が、ぼくには、あんたたちよりもたいせつなんだ。だって、ぼくが水をかけた花なんだからね……


不平も聞いてやったし、じまん話も聞いてやったし、黙っているならいるで、時には、どうしたのだろうと、聞き耳をたててやった花なんだからね…」


関わっていないバラと、関わったバラとでは、まるきり違う。同じように、《特別の人》と出会えた人は幸い。不特定多数の人と表面的につきあうのではなく、一人の人を通して、深い愛に開かれうるからだ。


王子様に向かってキツネがいった。


「あんたが、あんたのバラをとてもたいせつに思っているのはね。そのバラの花のために、時間をむだにしたからだよ」



無駄な時間の中から愛が生まれる!
(この世界は、無駄を省くことを求めてきたので、愛が生まれにくいのは当然か)キツネはさらにいった。


「人間っていうものは、たいせつなことを忘れているんだよ。だけど、あんたはこのことを忘れちゃいけない。めんどうをみたあいてには責任があるんだ」


そして王子様は(ぼくは、ぼくのバラに責任がある…)ことに気づき、辟易していたはずのバラのもとにゆくため、抜け出してきた星に、また帰っていったのである…


真の関わりがなければ闇のままだが、関わりが生まれたら、闇の中に “ ぽ ” と灯りがともる。(そんなの無理!)と思える状況下でも、ほんの少し勇気を出し、関わりに向かって、一歩(半歩でも)足を踏み出すこと。


もちろんバラも変化を余儀なくされるが、満開の時だけ愛するとしたら、バラを愛したとはいえないはずだ。


蕾から茶色になるまでのバラを、《丸ごと愛する》ように、時間の制約の中で生きている私たちの、弱さや、やりきれなさも含めて、丸ごと愛してくれる人がいたら幸いだし、それを続けることができたら、誠実といえるだろう。


(私は誠実だったかな?)


ヒヤリとさせる問いには黙秘するのみだが、この先、「もし」叶うのなら、ほんの少しの勇気を出し続け、そのように歩いてゆきたい…


Dscf0098 ●かの日に拾った傷イルカは、その後順調に回復。今では日に一度、ちょっぴり息を入れるだけで十分の状態に。手放しがたく、名前までつけてしまった。



太平洋
の洋と書いて「ヨウちゃん」。読書の時はヨウちゃんと一緒。その人生(?)の重さに反して軽量の彼。無口だけどいいヤツです。


と、ここまで打ち、しばらくお休みしたいと思っていたのに…なぜか緊急にupしたいと迫る次のテーマがあり、近々また。心って不思議ね。

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2009年5月 2日 (土)

ひたひたと…

Dscf0066 “豚インフルエンザ”について思う。


やっぱりね…くるべきものがきたKのよね。




何年か前に、ある種の蛙たちに<ツボ黴菌>が蔓延し、絶滅寸前だと聞いた時、これ的なことは、きっと食物連鎖の上にもくると思っていたが…



人類が自然に対して行ってきたことを考えれば、当然のものが、返ってきたのよね。


並行して、まったく関係ないようだけど実は繋がっている、我が蔵書について思う。


何がどう繋がっているかは先のお楽しみ(?)だが、書いたのはニコス・カザンツァキ(1883-1957)という、ギリシャ人の作家である。


クレタ島のイラクリオン生まれの彼は、閣僚経験もある人だが、第二次大戦中、軍事政権下での政治活動で国外追放になり、その後、欧州各地を流浪しながら数々の名作を書き続け、《現代のホメロス》といわれた人でもある。


※馴染みやすいところでは、アンソニー・クインが演じた往年の名作映画、《その男ゾルバ》の原作者といえば、おわかりいただけるかも?



という大作家の書いた本「アッシジの貧者」(清水茂訳・みすず書房刊)を、古書市でみつけた私は、ギリシャ人の作家が、イタリアの聖者を書く不思議を思いつつ、即、購入。貪り読んだのが、ひと昔前のことだった。

K1 カザンツァキは、生涯で二度、聖フランチェスコに助けられたことがあり、長年、親しいものを感じていたという。


ナチの政権下にあった祖国で餓死寸前だった時と、目の腫瘍で死にかけた時の二回で、彼はその生涯の終わりに、「命の恩人」のことを小説にしたのだった。


そして今様ホメロスが、カトリックの聖者をどう描いたのか興味シンシンでページを繰ったのだが……

思ってもみないラストに愕然!


もちろんカザンツァキは、本書で<兄弟なる自然>を愛し、吟遊詩人のように讃えたフランチェスコのことを、深い愛情をもって描いている。


世のものさしを、次々と越えてゆき、極限までエゴを消したフランチェスコには神秘体験も多々あったが、バリバリの政治家だった作家は、よくぞここまでといえるような描写で、彼の足跡を辿ってもいる。


しかし国家をはじめとする組織悪をゴマンと見てきた作家の筆は、それだけにとどまらなかった。


作家は、フランチェスコの願いとは、ほど遠いものになってしまった修道会や、バチカン内の権力闘争を克明に描き、宗教の名のもとにある腐敗偽善をこれでもかというほど、描き抜いたのである。


初回に読んだ時、私は(もっと光を!)と思ったのだが、ゆえあって再読した今回、この闇あればこその光…と深く納得。

というのは…人間は、時に他者を救うため=“解放”するためなどと願って《自分本位》に動き、当初の願いに反して、他者を“支配”してしまいがちなものだからである。



自らの支配欲に気づいて軌道修正できるうちは、まだいいが、確信犯的行為をし、果ては「私のどこが悪いの?」的に、自分の行動の意味も検証せず、他者を傷つけたことも気づかぬまま、自分の正しさを主張し、愛とはほど遠いところにある宗教者も多々いるからである。


以下は私自身への戒めも含めた言葉。



“無自覚な悪”
というものがある。与えられている気づきや学びの機会を活かさず、自ら愛を遠くしているものが多々いる。

Dscf0077 そしてカザンツァキは、「宗教の名のもと《でも》生まれるエゴの諸相を描き、世の物差しを越えた聖者と、世のものさしにどっぷりの世とを対比させ、絶望すれすれの地点から、のおりなす像を、劇的に描いたのだった。


おまえはどっちを選ぶ?喉元に鋭い刃物をつきつけられたような作品だったが、たとえ光を選んだとしても、地上にいるかぎりこれがつきまとう…といわれたような。



でも…最期は光が勝利するのよね…と思っていたところ、

本書のラストは、スペインで行われた異端審問等、血と闇の時代の到来を予感させる震撼させる描写で終わり…たった一人の聖者が照らした光と、何億の人たちが呑み込まれた闇の落差を思った私は茫然自失…


「彼はなぜ、このような聖人伝を書いたのか?」


長くなって恐縮だが、以下はフランス人のジャーナリストに応えた、カザンツァキ自身の言葉である。



「ともかく不安を醸し出し、うまくいけばおそろしいと感じられる書物を私は書いている。というのは、人類が破局に向かっており、われわれの世界はそれを呑み込もうとする虚無の縁に立たされているのだということを、繰り返し彼らにいわなければならないからだ。


このことを心配している作家はごく僅かであり、ほとんどいない。彼らはセックスや心理分析の小さなお話で楽しんでいるからだ。もっと感性の豊かな画家や音楽家たちは、大詰めがきていることを見抜いている。


けれども、作家たちは頽廃的な喜びに耽っている。われわれは終末が近いのだということを彼らにいわなければならない。


そういうわけで、私の書物は決定的な日を引き延ばそうとして書かれているのだ。


私が聖フランチェスコのこの生涯を書いたのは、われわれの世界にとって、聖者でもある英雄が必要だからだ…」




そしてこの言葉が<1957年>のものと知った私は、さらに絶句!!

C

これってまるきり現代そのものじゃないの!彼らって誰?私たちのことじゃない!



炭鉱にいるカナリアは、毒ガスが流出するといち早く察知し、警鐘の歌声をあげるというが、私たちはこれまで何千羽、いや、何十万羽のカナリアの歌声を聞きながら、その声を無視し続けてきたことだろう…その結果として、当然の「今」を迎えたのだ…


じょじょに水位をあげてきた波が足元によせてきたような、そんな感覚を味わいながら、苦い飴玉をころがすように“決定的な日”という言葉を、何度も、何度も、ころがしてみる…


そしてその日の午後…暗澹たる思いで表に出た私は、世界の終わりを想って歩きはじめたのだが…五月の夕暮れはあまりにも爽やかで清々しく、どっちにせよ(肉体だけ)死ぬ自分の、死の形や時を思い続けることは、困難に思えてならなかった。


そもそも私は、花や木や鳥や動物と友だちであるように、長年<死>とも友だちだったのだ。だったら、どんな死がくるとしても、むやみやたら怖れる必要はないではないか。(その時がきて、死でさえも「ようこそ」と、もてなせたらすごいだろうけど)


また、遠くない未来、毎日マスクをかける羽目になったとしても、エニシダジャスミンが満開の今、素晴らしい香りがあちこちから流れてくるのだから、自分が「今」大切にしたい人のことを考えたいし、今、苦しんでいる人たちに、ささやかでもいい、明るい何かを届けたい。

Dscf0074

希望はどこにある?



そう思った瞬間、歩く道の先に、“路上画”を描く小学生×3人が現れたことは、私にとって幸いだった。




乙女天使たち
が描いた絵は、やってきた車に無残に轢かれてしまう。


「ああ死んじゃった~」みんなで声に出して見つめるそれは、降る雨に打たれて、あとかたもなく消えてしまう絵でもある。

豚インフルがきたら、どーせみんな、死んじまうんだ。洪水直前のような今、そんな絵を描いて、いったいなんの役に立つ?

なーんてことは、いわないで。前にも書いたけど、「役に立つ・立たない」に縛られるあまり、この世界はヘンな方向にきちゃったんだから、それ的な目線は、超えてゆかないとね。


うん。警鐘の歌を歌うカナリアも超大事だけど、私たちの足元を照らしてくれる絵も本当に大事で、女の子たちは、みんなが歩く路に花を咲かすため=世界を明るくするため、明日を怖がり続ける大人たちに代わって、懸命にチョークを走らせてくれたんだからね。


「写真とっていい?」私の問いに、はにかみながら応えてくれた女の子は、地面いっぱいに書いたのだ。




※ものすごいがんばったどー


そして私は「しんりちゃん」にも似ている今日の天使たちに向かって、「ありがとう」をいってまた歩き、ひたひた…ひたひた…さらに水位をあげてきたらしいギリシャの浜辺なんぞを想って歩き続け、現在、ただいまのねぐらに戻ったあと、一人メモしたのである。


※これ式でいくんだどー

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2009年4月25日 (土)

明日の山道

●ピンクがきている。Dscf0049_2

吹く風に心地よさを覚えたある朝、ストッパーを使って玄関を開け放していたら、ドアの前の敷石が(薄茶色なのに)心なしか、ピンクに染まっているような…。


目隠し用の白い暖簾も、日差しの加減なのか、うっすらピンクに見え、空気の中に、微量のが溶けているように思った私は、しばし、うっとり。


不思議な甘さに促されて表に出ると、足元には、御近所から飛んできたのだろう、大ぶりのつつじの花が一輪。


彼方からの想いのようなそれを拾い、庭のウツギと共に、小さなガラス器に飾る。

Bee_2 ほか、祈りの友からの手紙には、ほんのりピンクのハンカチが添えられていて(ありがとう!)信州の親戚からの葉書も、レンゲ畑を飛ぶミツバチの図で。



グリーンもきている。

某日、リスたちに手袋をあげた近山にゆくと、すでに新緑。つやつやの緑の中を歩いていたら、階段をくだる私の前に、突然、4歳くらいの男の子が現れた。


幼い子が急勾配の階段を登ってきたことには驚きだったが、後ろにおばあちゃんを従えた彼が、これから冒険にゆく騎士のように捕虫網を掲げた姿を見て、思わず微笑。すれ違いざま、小さな騎士に向かって声をかけた。

Dscf0057 「蝶をとりにゆくの?」 「うん!」


「もうとったの?」 


長槍のように捕虫網を握りしめた騎士が、赤いほっぺのまま、高らかに宣言した。


「ううん、まだ。これからとるの!」


成果のほどは知りようもないのだが、小さな体にみなぎる力をもらった私は、息を切らして笑うおばあちゃんにも、「気持ちいいですね」と声をかけ、新緑の山をあとにする。


●某日、過去に看護した人たちと歩いた道を思い出す。


私は決してよい看護者とはいえなかったが、それぞれの人がもっていた“生命のリズム”に合わせて、一歩一歩、歩いた道を思い巡らす。


粋でイナセが売り物の《トビ職》だった男性は、老いさらばえた自分の体を受けいれられず、「ああ、情けねぇなァ、こんなになっちまってよぉ…」といいながら、うつむき加減で歩いていた。


また良家の奥様だった女性は、脳外科の手術後(Auschwitz的な)丸坊主になり、歩くより先に「帽子が欲しいわ」と、つぶやいていた。


そして…母と歩いた道には、いわくいいがたい景色があり…これら病む人たちと共に見た景色の中には、みっともなくも精一杯の自分が、あっちにも、こっちにもいて…すべては味わい深く、豊かな道だったのだとも思う。



堀田善衛
のエッセイ集、『空の空なればこそ』(ちくま書房)を読むかたわら、そんなことを考えていたら、ふいに、古い歌が口をついて出た。


詠み人が誰だったのか忘れたが(無責任でスミマセン)初夏に向かうこの季節、心や体に不調を抱えている人たちのために、また、その人たちの心に結ぶ映像が、少しでも爽やかなものであるようにと願い、気休めかもしれないが、以下に御紹介させていただくことにした。

   


         

         風かよふ   明日の山道    君あゆむ

                      

                    いえざるも      清しきかな




Green_2                          

                                                            

                          





                           ※ saigo  ha   sugashiki  to  yondene

                             yoi  hibi   de   arimasu yo-ni  !                           

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2009年4月21日 (火)

韓流さまざま

旧お客様で、NHKの若手ディレクターである大野兼司さんから、番組案内をいただいた。

大野さんは、以前も動乱期のチェコで行われていた<地下放送>を紹介する番組や、中原中也や金子光晴等を扱った、現代詩特集を制作されるたび、御案内をくださったのだが、今回は、お隣りの韓国映画を題材にされたとのこと。

NHKの教育番組にてオンエア予定。①~④の番組タイトルにも響きあうものを感じて、以下に御紹介。 ヨン様だけが“韓流シネマ”ではない。手ごたえのあるGWをお望みの方はぜひどうぞ!

K0001

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2009年4月14日 (火)

春色あれこれ

●某日、少し不安な気持ちで出かけた日の朝、びっくり!拙宅前の道沿いのガードレールに、イルカがひっかかっていた!


正確には“イルカ型風船”だが、子供が手放したものが飛んできたのだろうか?見た瞬間、ひと目惚れで、絡んでいた紐を解き、捨て猫ならぬ捨てイルカを家に持ち込み(!)心に響く(大丈夫だよ)の声を聞きながら、笑顔ででかける。


帰宅後、長い紐を切り落として汚れをとってみたら…あらら~?なんとイルカ腹部に、大きな傷があるではないか。そっかぁ、へな~っとしてたのは、このためだったのね。

普通なら、この段階でポイ捨てだろうが、このイルカに関してはそうしたくなかった。だったら治療しようと決めて透明テープをペタリと張り、ヒレ部分に見つけた空気穴に口をつけ、ぶわーっと息を吹き込む。

Dscf0040 再生~!


と思ったら…ほかからも漏れているのか、一日経過すると、また、へな~っとなってしまう。それでも手放しがたいものを覚えた結果…花に水をやるよう、毎朝、傷イルカに息を吹き込み続けている。

ものいただけな目と口元、けっこう気に入っています。


●ついでに(だいぶ前の作だけど)海で拾ってきた貝やガラスや漂流物を使った、素人クラフトも御紹介。


某日、“海からの贈り物”を見ていたらハタとひらめき、菓子箱や包み紙を、ジョキジョキ、鋏で切り、あーだ、こーだいいながら、イタリアの彫塑作家、ロッビアの作品写真も切り抜いて貼り付け…わーい、小さな“海の礼拝堂”が完成!Dscf0038


書斎はヘビーな所だから、リビングは心軽くしたい…なーんてつぶやいていたら、え?何でも拾ってくるヤツだなって?



うん。人や物との出会いからくる響きあいは喜びでしょ?DOS(どーしようもないおばちゃん少女)は、痛みを超えてある喜びを形にしたく、人様の目も気にせず、心のまま拾うのです。




●某日、読書中にパタンnn……パタンnn……という、かそけき音を聴く。



なんだろう?不思議なリズム、思いもよらぬタイミングで続く、この音は何?


音の出どころを探した結果、またまた微笑。なんてことはない。子猫の庭からつんだハーブの花が、パーカッショニストになっていたのだ。

(へ?)


花瓶に活けた花が<はらっ>っと散るたび、花びらが、下に置いてあったクッキーのアルミ冠を叩いていたの。



パタンnn……パタンnn……Dscf0039


心穏やかで静かな時、世界から与えられる様々な音が聞こえてくる。

だったら今度、山にでも行って、たくさーんの缶を並べてみようかしらん。そしたら風が吹くたび散る山桜で、シンフォニーが聴けるかもよ?


●仕事がらみの長いレース内、ひと山超えて気が抜けたのか、風邪で微熱。うつらうつらの午後、思いたってトマトを湯剥きして冷やし、メープルシロップをかけて食べてみたら………いける~!

(これってみんな、組み合わせの妙なのよね…)なあんて思いつつ、FMから流れてきたイーグルスの歌にも微笑。



♪ Take it to the living  onemore  time  ~

神様は、私の好きなものや私の思いを越えて必要なものを、よーく御存知で、いつも絶妙のタイミングでプレゼントしてくださる。


で、各方面から届く友からの慰めや励ましにも心から感謝しながら、今日もトマトを食べつつ歌うノダ。onemore time~

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2009年4月12日 (日)

復活祭~!

一昨日、親しい友人たちだけに御案内した、「私事イベント」がありました。えっ、それってなに?

内緒だけど、当日は、友人たちと快晴の日比谷公園にて、吹き抜けてゆく風+名残の桜つきランチを味わい、幸せモードに。

人生、山あり谷あり。メリハリ・スパイス、丸ごとうれしく、しんりちゃんも“復活クッキング”を楽しんでいます。

Easter※otomodachi 

to  taberu 

  gohan    niha

yorokobi    ga   

itppa~i 

dayo❤      

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2009年4月 5日 (日)

桜の頃に

S_2 花の歌人、西行を思う。


以下の歌は、皆さん御存知の辞世だが、実際、歌人の最期がその通りになったというから、すごい。 


   願わくば  花の下にて  春死なん

                                                 その如月の   望月のころ


憧れとは、「自己―対象」を一体化せずにはいられない、強力な焦点を結ぶエネル
ギーのことでもあるが、“満開の花+満月”と一つになった歌人が、生涯をかけて憧れていたものを思い、ナニヲカイワンヤ。


と同時に、この頃私は…この歌に(これって違うかも)的な気分も覚えている。天才の作を前にして、あつかましいことしきりだが、「なんとしても、自力でそのような死を掴みとるぞ」的な、力みを感じてしまったからかも。


「求めよ、さらば与えられん」もちろん、それも真実だが、人間、人生の最期まで、それ式をやり続けられるものだろうか?Cat


こういう感覚は、日本人ならではのものかもしれないけど、真の成熟の道を辿ってゆけば、おのずと現れてくるのは、掴もうというより、手放すではないだろうか?


開いた手のひらの中、毎回のにのって、感情の好悪を超えた必要なものが、折々入ってくる…そんな感じではないだろうか?



ブツブツ呟いていたら、かの天才の辞世は先の歌ではなく、<末尾にあげる歌>の方が相応しいのではないかといった、知人の言葉を思い出した。


然り。上記の歌に“掴もうとする心”が見えることに対し、こちらの歌では、“自己を手放して委ねた心”があり、自他一如、すべてが溶けあって一つになった、より深い世界観が見えるように思えるのだが、どうだろう?



(正確にいえば、西行はこの歌で【自分ではなく、自分を生かしめている存在を現している】というべきだろう)


歌の背景を説明すれば…かつて霊峰は火を噴いていたことがあった。東海道を旅する途中の西行が、山影をみて詠んだわけだが、いったい彼に何があったのか?死はまだ先のことだったから、辞世のはずもないのだが、なぜか彼はこのような歌を詠む…


私見を述べれば、この歌の主役は山ではなく、“澄み切った青空”だろう。そしてその空を前にした西行には、すべてを手放した者の軽みと、明るさと、哀しみがある。だが余韻といえるようなその感情すらも、水絵の具のひと刷毛のように、空に映ったかと思うと、たちまち消えてしまう…

消えてしまう…



“もののあはれ”
(無常観)は、日本文化の基調をなす重要な感情だが、しかし私は、そこから派生する、感傷や詠嘆のみを、この歌に見ているわけではいない。


人間なら当然だが、西行の心にも濁りや、捩れや、叫びの色調があったはずだ。だが、ふつふつと湧き出るそうした思いもすべて消えてゆき、(浄化されるともいえる)かつ、それらを汲み取ってなお澄み切った空が、歌の中にあるからだ。


私たちの日々の生活の場がそうであるように、儚く消えてゆくものと、永遠に在り続けるものが共にある…そして西行は、このような歌を詠んだ後も、さらに旅を重ね、さらに詠み、歩き続けたのである。

その意味と、彼方に広がる“染みとおるような青”を思う春の宵、心のまま、以下の歌を御紹介させていただく。



   風になびく  富士のけぶりの  空に消えて                                                                    
                             行方も知れぬ   我がおもひかな



Sky_2

                          
 

 

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2009年3月29日 (日)

受難節によせて

Sb 花のたよりを待つ時期は、クリスチャンにとっては痛みを覚える時期でもある。


というのは、それ系の人たちにとっての一年は、キリストの生涯と呼応しており、この時期はキリストが十字架にむかって歩んだことを観想する、《受難節》にあたるからだ。


ってなことを、店時代、深夜の客に話したら、いきなり、大胆な質問をされたことがあった。


キリストは、なぜ十字架にかけられたの?なんのために、あんな死に方をしたの?」

(ウッ)


その質問に答えるべく、二千年来、世界中の学者たちが本を書き続けているわけだが…それ系の本をまったく読んだことのない、超初心者の方に向かって、いったい何をどういったらいいのか?


いいかげんなことをいって逃げたくない。ありきたりな辞書的説明もしたくない。考えあぐねた私は、大胆にも自分の言葉で説明しようと思い、「遠回りの話だけど」と前置きをし、あるエピソードについて話しはじめたのである。


「この店の名前は“みぎわ”っていうでしょ…」


私はまず、「みぎわ」とは、聖書からの引用で「神様は、死の影の谷をも越えて、私たちを憩いのみぎわ(水辺)につれていってくださる」という詩からの言葉であることを説明した。と同時に、その名は私が生まれてはじめて(4歳の時)に会った、牧師のお姉さんの名前でもあると。


「ふーん、なんかママは、その人たちに思い入れがあるんだね」


幼い頃の遊び友達でもあった「みぎわさん」は、精薄の人だった。そしてその弟だった牧師は、東大の哲学科を中退したあと神学校に入学し、神学校時代、クリスチャン作家でもあった、お父様が自殺されてもいた。Nr


「えー、クリスチャンでも自殺するのか?」


する。いたましいことだけれど、する。しかしそのことには触れず、“そのような境遇にあった方だからこそ”私の父が死んだあとも、私たち母子に心使いをくださったのだと加えた。


「そうか、で、ママはその牧師さんから洗礼を受けたんだな」


違う。先生は、一度として「教会に来い」とか「聖書を読め」とかいったことはなかった。でも私の話を聞いてくれた唯一の理解者だと思っていたから、私が東京で介護の仕事をするようになったあとも、文通を続けたのだ。


「ココロの父ってところか」


近いかも。でね、先生は「みぎわさん」を身近に見ていたこともあって、私の田舎に精薄者施設を開設されたの。完璧清くて、腰引いちゃう?そう…確かに勲章ものの人生だけど…先生は50代に病気で倒れ、寝たきりに。先生御自身が、最重度の障害者になっちゃったの。


「えー、神も仏もないっていうか」


うん、私も最初、そう思ってた。ひどすぎるって。でもどんなになっても、私にとって先生は大事な人だったから、お見舞いを続けたの。みんな奇跡が起こって治ると思ってたけど、ちっとも治らないじゃないかって。うちの母が「人間、あぁなっちゃ、おしまいだ」なんていった時は、「先生のことをそんな風にいわないで!」って言いあいになり、「神様、なぜ?」って悔しくて泣いたこともあったけど…


「で、その人どうなったの?」


もっていた能力のすべてを奪われて、<無能の人>にされた。当初は意識もあったから、御自身の人生のすべてが無に帰すような思いもされたはず…でも、私にしたらそれでも先生は生きているって…


たとえ寝たきりになっても、私のことを大事に思ってくれた人がいてくれることは励みだったし、最後まで見とどけたいっていうか、妙にひかれて、結局、亡くなるまでの24年間、ずっと御見舞いを続けたの。

(酒の肴としては、あまりに重い話だったが、私の語り口の軽さもあってか、客は黙って聞いていてくれた)


でね、20年くらい過ぎて(私の母が死んだあと)先生が倒れる直前まで、背広の胸ポケットに入れていたっていう手帳を、奥様が見せてくださったことがあったの。その手帳には、先生が万年筆で書いた直筆の文字が並んでいて…Ink1




《祈る人》

開かれたページには、ウ・タント事務総長(当時の国連事務総長)や、高名な哲学者、県知事等、先生が内緒で祈っていた人たちの名前が10名ほど書かれていた。知らない人たちの名前もあったが、きっと皆、大きな役職についていた人たちだったに違いない。世界がどのようにあってほしいのか、先生の思考を伺い知ることのできる、貴重な情報でもあった。


でも…そのリストの最期には、有名人でもなければ役職にもついていない。それどころか、当時は教会員でもクリスチャンでもなかった、一般人の名前が二人並んでいたの。誰だと思う?

                                          Ok_2

  
   ・新井悦与

   ・新井登美子

  私たち母子の名前が書かれていたのよ!


(これっていったい…)


先生は、悪霊にとりつかれていたような家で呻いていた私たちのことを、特別に祈っていてくれた…

(なぜ?)


バカなことをしてきた私たちが倒れるのではなく、よいことをし続けてきた先生が倒れてしまった…

(なぜ?)

Mt なぜだかわからない…でもその時のことを思い出すたび、申し訳ないような痛い嬉しさを覚えて…きっと先生の祈りがあったからこそ、私はマザー・テレサにも憧れたんだって思うようになったの。


「だからね」



イエス様が十字架にかけられたのも…私たちが生かされるためだったんじゃない?私も含めた人間はみんな、《自分さえよければ》っていう、しぶとい気持ちがあるけど、神様がそれじゃダメだよ。“お互いを大事に思って愛することが、どんなに素晴らしいことか”気づくようになるために十字架が与えられ、身をもって気づくためにも、みんな、その人でなければ背負えない、その人なりの十字架が与えられているんじゃない?


「その人なりの…」






うん。病気とか、怪我とか、事件とか、自分が引き裂かれるようなことがあっても、それを背負ってゆくことで、どんな形になるかはわからないけど、きっとほかの誰かが生かされることになる…


きっとそれは、人間的には「やめてくれ」っていいたい、みじめに思えることだろうけれど、そのみじめさを通して神様の愛が現れ、最終的には、“そのことがあったからこそ”自分も含めた、多くの人たちが喜びに満たされる。


粘土でこねられた器が、火によって完成されるように、誰も火を避けることはできないし、火なしには完成もない。



※24年間寝たきりで亡くなった先生の生涯は、この世的に見れば、大負けの人生だろう。しかし闘病中、先生がどのようなものを見聞きしていたかは誰にも分からず、最低の時に最高のものを見ることも、人生には多々あることである。私は先生にまつわる様々な思い出を鑑み、先生が今、天国でピカイチの場におられることを、当然のこととして信じている。


「ふーむ…」


その時の客は、わかったような、わからないような顔をしていたが、話し終えた私は、不思議なくらい、楽になっていた。


(そうなんだ、あの痛みがあるからこそ、この喜びもあるんだ…)




Gio_2 そして、先生亡き後も、私は多くの方々に祈り支えていただき、えっちら、おっちら、痛みと喜びが不可分の「愛の法則」について思い巡らしながら、今、ある人のことを祈りはじめたところである。私にとってはとても祈りにくい人だったが、私自身が解放されるためにも不可欠のことと知って、ようやく。


※私はかつて、摂食障害で10年間苦しんだが、聖書の中にも、12年間、血を流していた女(婦人病だろう)がいて、イエス様の衣に触れさえすれば治してもらえると思い、群衆にまぎれて触れた瞬間、癒された話が書かれている。


貧血していただろう女。青白くて冷たく、すべての医者から見離されていた女。血は不浄のもの=「その人の罪の結果」と見られていた当時、女は社会的な交わりからも締め出され、壮絶な孤独の中にいたはずだ。しかし血と闇を抱えていた女は、キリストに触れた瞬間、それまで知らなかったによって癒され、喜びに満たされた!


そして…私もそのように癒されたのだから…先生がそうしてくださったように、縁あって出会った苦しんでいる人たちのために、祈れるようになりたい。



※店時代、「ばかやろ、ばかやろ」といいながら通ってくる客もいた。根深い怖れや人間不信がベースにあるゆえにか、私のことをコテンパンにいいながら、関わりを重ねようとしてきた人もいた。


あの頃は、祈るどころか逃げたいの一点張りだったけど…私だって似たようなものだったんだから…これからは、天国の先生や守護天使の「みぎわさん」にも支えていただき、少しづつでいいから、そうした人たちの(ことこそ)祈れるようになりたい。


客からの(大きすぎる)質問の答になっているのか、甚だ疑問だが、ちなみに今年の受難日(キリストが十字架にかけられたことを記念する、聖金曜日)はRc 月10日。その三日後の12日が、(キリストが死を超えて復活したことを祝う)復活祭(イースター)にあたっている。

※復活祭は、《移動祝祭日》といって、毎年、日が違う。これから光が満ちる季節を探った結果なのだろう。ややこしいことしきり、《春分後の満月の直後の日曜日》ナノダ~♪


十字架の血と闇をへて光に招かれるこの時期、水色の手帳を買った私は、久々の万年筆を手にしたところである。

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2009年3月27日 (金)

エコとエゴ

先のコラムに関して、心優しい自然派の友からメールがきた。「除草剤なんて使わないで!ドクダミは干してお茶にすると美味しいし、“清楚な十字架”の花もステキよ」


ベトナムで使われた「除草剤や枯葉剤」の害については、もちろん私も知っている。我が庭にやってくる蝶やてんとう虫のことを思うと、痛恨の極みの使用だったが、問題は地続きの長屋住民全員に、「地面の管理責任」があるということだ。


私は丸三年、ドクダミと闘い続けた。たまりかねた昨年、隣家にお手紙も出すも改善の気配なく、逆お隣の方が「仕方なく」と除草剤を使いはじめ、私も必要最小限と思い、使った次第である。


そこに友が「大地を汚さないで!」と悲鳴をあげてきた。マンション生活者の彼女から「ドクダミ茶をつくったら」「清楚な十字架を見て」といわれたわけだが、もろもろ背負い、骨まで砕かれたような今の私の前には、「血まみれの十字架」があるだけで。

まっさら美しかった地球など、もうない。大地も…人との関係に比例するように…汚れてしまった…

しかし…それでもここにいる間は、小さな自然を守るべく、除草剤に変わる何かを探るべきだろう。自分の「本当の居場所」を探して長い私は、きっと、この家も越してゆくのだろうな…


そんなことをつぶやきながら、今後もエコとエゴについて、考えてゆきたいと思っている。

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2009年3月14日 (土)

安かれ

我が書斎は六畳ひと間きりだが、ブログにupした写真やポスター、蝶の標本やイコンやエッチング等が飾ってあり、狭いながらもなかなかにぎやかだ。(↓この写真もそのひとつ。以前、買った写真葉書のコピーで、誰の作か失念)

D

私はこの犬の顔がとても好きで、見た瞬間(自分が死んで天国にいったら、こんな顔でイエス様にお会いしたい)と思ったのだった。

(経営者時代、店のお客様にお見せしたところ、「随分ご苦労したワンちゃんですね」とか「8歳のメス」とかいわれて苦笑)


私はいつも、この犬の視線の先にいる(おそらく飼い主だろう)「相手との関係」を思うたび、幸せになる。

この犬の表情の中には、その人との絆、その人との信頼、自分のしてきた良いことや悪いこと、愚かなことのすべてを知りぬいた上で、ありのままの自分を愛してくれている、そんな人をみつめているような、穏やかで澄んだ光がある。


へたな人間よりよほど深い、練成の果てに現れたまろい宝石のような光を覚えるたびに、私は、地上での生涯を終えてイエス様に会うことが叶うとしたら、


  (御前にきました)


この犬のように静かにみつめ、その方の放つ光に照らされながら、黙ってただ座っていたい…。


血統種でもない。ボルゾイのような貴族犬でもない。ブラシもかかっていない、どこにでもいるような雑種ではあるけれど、誠実に生き抜いた一匹に注がれる惜しみない視線を思う時、私はこの犬の持ちえた内的な豊かさを味わい、いつも幸せになるのである。


「この顔が理想!」


といったら、かの日のお客様たちに笑われた。(スーパーモデルや女優の顔じゃなく、犬の顔!)

顔と顔をあわせる時、おそらく人は無意識の内に、相手の中に自分の姿を探すはず。そして磨きぬかれた鏡のような方と出会う時、人は光としての自分をみつけるはず。


究極の我が家
にいるように、知らず周囲を寛がせる顔というものがある。そんな顔に出会う日を夢見ながら、まだまだ巷でファイトしてるのだワン!

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2009年2月28日 (土)

笑いの効用

●悲劇は喜劇と紙一重というが、その違いは、自分の立ち位置の違いかと。D0001_2


私は言葉を愛しているが、私が放つ言葉の受け取り方は千差万別で、拙著の読者や、店時代のお客様方とのズレや、果ては我がブログ経由でも(そうとるか!)という解釈に出くわし、ビックリ。


御承知のように、我がブログは皆さんとの交信はしていない。しかし何人かの方々のお顔が、次第に把握できるようになり、私は毎回、複数の方々のお顔を思い浮かべながら、多少の緊張感と楽しさをもって綴っている。


有難いことに、そんな中、我がブログに対する「感想がらみの意志表示をしたい」と思われる方も現れ、メルアドを御案内している方から、「あれ、俺のことでしょ」的連絡をいただいたり(違うんだけど…)

Ag また私が、「そっちじゃないよ、こっちだよ」なる言葉をupすると、「こっち」を「どっち」と思われたのか、繊細かつ敏感なのだろう、ある方が、「俺が否定された」とばかり、いきなりの過剰反応もあったりで…嬉しいような、哀しいような。


あのねぇ……私は近年、しんどいことが続いて、もう書きたくないって気持ちになりかけてたんだけど、もろもろへて勇気が与えられ、また書こうって気分になれてたのよ…とか、



坐骨神経痛
(!)の予防のため、毎日、腹筋・背筋50回×3自主トレを続けてたのに、最近さぼり気味で、こりゃイカン、再開しようって思ったとか、その種の気持ちもこめて「こっち」にゆこうと思ったわけで…別段、あなたさまを否定しようだなんて、そんな…まさか…


我が手元から離れた言葉たちは、今日もどこかで一人歩きを続けており、願わくば、歩く子供たちが、皆さんの幸せに貢献するものであってくれればと思いつつ、そうもいかないことも、多々あるのだなァと。


言葉は、受け手のメガネ次第で決まるもの。上述のような話題ですむうちはまだしも、妄想がらみで被害者意識や加害者意識をふくらませ、攻撃衝動が生じることもあるわけで、だから、交信はひかえるしかないのかなと。


そしてBb_2 私も人間ができていないから、過剰反応を目の当たりにすると、時にはイラッとして、自他に「アホちゃうか」といいたくなるが、事態をどうみるかは、自分の立ち位置次第。



渦中
に身を置いてしまえば悲劇になり、一歩離れて「鳥のように」空から見れば、喜劇になる。どちらを選ぶかはあなた次第だが、ま、それぞれが生み出す毎回の《劇》を楽しんでいるうちは、いいのかなと。


その上で思う。完全な人は誰もいない。ドジ姫の私が、人のドジ男ぶりを知っても、苦笑+哀笑で親しみさえ覚えるのだが、大事なことは、誰に対してであれ、今後も『自分を信じて愛するように、相手のことも信じて愛したい』ということ。


皆さんも、まず、自分を信じて愛してくださいね。それがあってこその相手ですよ。そして私は今後、あなたの御期待に添えるような文章をupしますとはいわず、


「あなたって私のことを、そんなに気にしてくれてるのね❤」とだけいって、DOS(どーしようもない、おばちゃん少女)は、皆々者の平安を、心からお祈りさせていただきます。



Hoshino_2 ●以下は、口に筆をくわえて素晴らしい詩画を描かれる、クリスチャン詩人、星野富弘さんのステキな言葉。



「絵も詩も、少し欠けていたほうが、いいような気がします。

不完全なものが合わさったときに、一つに、ぴたっとおさまります。」



●某日、葉山の親友、海野佳子さんから、春の海からの贈り物、新ワカメを送っていただく。


採れたてワカメはヘドロ色で、ゲゲッとおどろの茶色だが、ぐらぐらの湯に通す“ワカメしゃぶしゃぶ”にすると、瞬時にして驚きの緑色に変わり、ミネラルたっぷり、柔らかなみどりごたちにみとれながら、ポン酢にして、食べる。絶品~!


後日、佳子さんといっしょに、葉山内にできたステキなピッツエリアにゆく。食べながら、海や子供たちを取り巻く世界の状況を、共々話しあう。


※聞きながら、私は目の前にある大粒のブラックオリーブを採ろうとしていたのだが、種が大きくて皮が薄いため、突き刺すことが叶わず、フォークの腹にオリーブを乗せようとしていた。


話題はさらにヘビーな展開になり、フルートのような声で話す佳子さんの額に雲がかかり、重い沈黙に包まれた時、


※口元まで運んでいたフォークの腹からオリーブが転がり出て、ポヨン・ポヨン・ポヨヨヨヨン……

幾多の皿を越えたジャンピング・オリーブが、テーブルの上を転がり…

その動きを目で追った私たちは……しばし沈黙…のち爆笑!



たったひと粒のオリーブが、転がり落ちた。ドジな人間がおこした、ただそれだけのことが、心の空気を変えた。オリーブは《平和の象徴》。笑いは闇を破る《光》。


状況は厳しくても希望は絶えることがなく、輝く笑顔の内に解散。



Bear ※もろもろあって、ブログはしばしお休みします。皆さんお元気でまたね!

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2009年2月20日 (金)

通奏低音をききながら

Goya ●ひと昔前、夢中だったゴヤについて考える。宮廷画家だったにも関わらず、雇い主だった王様一家を“あのように”描いたことや、官能的なマハたちや、市民戦争や、夢魔や、黒い絵について。

集中して向き合った作品の残像は、我が脳裏から消えていないが、時をへた今、彼が生涯の最後に描いた“二枚の絵”を親しく思う。

すべての時期、それ以外ありえなかった仕事にうなづきながら、画家の環が、そのように閉じられたこともよしと思いつつ。


ドストエフスキーが天才であることは、誰も疑わないだろう。ふと「三人のス」について考える。

(1)“罪と罰”のスヴィドリガイロフ、W1

(2)“悪霊”のスタヴローギン、

(3)“カラマーゾフの兄弟”のスメルジャーコフ、

ドストエフスキーにとっての《ス》は、何か強力な意味があったのではないか?その発音について解説した評者はいるのかと思いつつ、特に(2)を書いて発狂しなかった天才の強靭な思念と筆力に唸る。


人間の可能性のひとつの「極」を現した彼らを追っていると、(ソコマデヤレルノカ!)的な、恐るべき「魅力」を感じずにはいられないが、三人の最期はいわずもがなで、作家は(1)では無垢なる娼婦、ソーニャを、(3)では天上的存在、アリョーシャをも生み出している。


両極を描いて物語世界の調和を現した大天才は、バクチ打ち、アル中、思想犯で捕まり、死刑寸前の恩赦と、シベリア流刑をへてきた、信仰者でもあった。


ドストエフスキーが、今、生きていたら、何を書くだろう…?私は、ごく普通に見える人たちの、無自覚な悪にも興味があるのだが。

W3 ●別件。哲学的考察。

肉体をもって地上に生きるかぎり、(自分の知覚にしばられるので)人は苦しみを避けられない。


たとえば、コップひとつとっても、とらえ方は千差万別で、きれい・きたない・大きい・小さい・安い・高い・丈夫・もろい…等々、現象世界は個々人の目をはじめ、五感を通した認識と解釈でできているといっていいだろう。(これを仏教では空という)



可変的
なものに依拠するかぎり、すべては空しい。すべてはひと時のものでしかないからだが(ゆえに文学も生まれるのだが)「もし」不変的なものに立脚することができるとしたら、どうだろう?


《真理は人を解放する》

(=恐れが消える=安らぎが生まれる)


バッハの変奏曲にある「安らぎ」は、いったい、どこからくるのだろう?楽譜を数学的に解析した人によると、宇宙の構成法則である[1/f]の“ゆらぎ”があるとのことだが、

B 私自身は、現象世界を示すような主旋律の背後に、「つきることのない川の流れのような」“通奏低音”が“聴こえないほどの音量で”鳴り響いているからだと思っている。

この世を(主旋律を)無視して生きるのではなく、この世にあって、この世を越えるものと共に生きることが可能であれば、どんなにか穏やかで、強いだろう。


(世界は空だから、ほっといて安らげとはいってないよ。人間に貧困や飢えを押し付ける「システム」は、もちろん改良する必要がある。でも人間がそれだけで安らぎが得られるとは、とても思えない。先進国での自殺や富豪の孤独死もあり、真の愛と平和を生きるためには、世の価値を越える必要があるってことをいいたい)


といいつつ…私メも日々妄想を重ね、勇み足があったり、いたずらに恐れたり、落ち込むことの繰り返しなのだが…大丈夫。そういう時も自分を責める必要はなく、内なる「後味」が、軌道修正してくれる。


苦くて重い味、辛くて痛い味を覚える時、(あーだ、こーだと存分騒ぎ、騒ぎ疲れて脱力したあと?)自力爆沈でできた空間に、風が入ってくる。で、あれれ?何か聴こえるよ…耳を澄ますと、


「そっちじゃないよ、こっちだよ」


よき流れに導いてくれる(通奏低音のような)キラキラした声が聴こえてくる。促しのまま、心を開いて動くうち、(この前のバス停の彼女とのような)不思議でステキなこともおこってくる。


ようは…繰り返しそのチャンネルに合わせ続ける、「意志」だけが必要なのよね…。


●春先の天気は変わりやすい。大腸癌をへて静養中の「夏みかんの君」は、低気圧W2_2 が近づいてきた日や雨の日は、即、体調不良とのこと。渇いた心を潤してくれる雨が、つらく思える人もいる。そのことにも思いを馳せ、鳥の声、雨の音、今日もかそけき音を聴く…。

   ※shimanto  no  mizu  no  kessho shashin → by masaru emoto   

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2009年2月19日 (木)

感冒必読書

W 風邪で本年初ダウン。数日寝込み、まともに本も読めない状況が続いていたが、回復期に行った図書館で借りてきた本にはまってしまう。


「敗北を抱きしめて」(ジョン・ダワー著・岩波書店・増補版上・下)


噂には聞いていたが、歴史学、および社会学における大傑作で、ミクロとマクロ、鳥瞰と虫瞰、部分と全体のバランスや、章ごとの構成が抜群で、第二次大戦後の日本社会を一大交響曲のように描いて飽きることがない。

(翻訳者の力による部分も大だろうが)読み進むうち、天皇、官僚、軍人、米兵、ヤクザ、娼婦、作家、漫画家、兵隊、一般庶民等々の肉声や呼吸がリアルに迫り、よくぞこれだけの資料を集めたものと唸り、時にひっくりかえって笑いころげ、時に頭を抱えてため息をつき、果ては抱きしめ本を抱きしめて風呂にもちこみ、なおりかけの風邪がまたぶりかえし…

困ったものではありますが、ああ、日本はこのように構築されてきたのかと思いながら(ふと敬愛する作家、故・堀田善衛さんの「市民」に関する講演など思い出しつつ)さらに読み進んでおります。クシュン!

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2009年2月10日 (火)

マーマレードができるまで

●某日。低山を歩くのが好きで、近場で単独行。スカッ晴れに喜びながら歩くうち、すぐ体Risu がほてり、手袋をとる。


木から木へ飛び移る台湾リスの動きにみとれながら、一時間ほどで下山。直後、やややっ!リュックのチャックが開いたまま、手袋が片方、なくなっているではないか!


お気に入りのスェードの黒を探しに戻るが、皆目見つからず、シュン。しばしのち、ハタと思いなおす。


きっとあの黒の左手は…リス夫婦の家に化けたのだ。オスが親指あたりに鼻をつっこみ、メスが薬指あたりに尻尾を押し込み、きっと二匹の春リスが、ぬくぬくで遊んでいるのだ…リスたちへのギフトと思えた途端、失せ物も、よしと思えたから不思議。


●某日。御近所に転居してきた、華僑のSさん宅へ。実は、Sさんのパートナーの彼女は、大腸癌の術後二年目で静養中。だが、もと看護師さんだったこともあって、病状の把握と管理はほぼ完璧で、拝見する限り、びっくりするほどお元気だ。

Natum 先日も、庭にある夏みかんで造られたという、マーマレードを届けてくださったので、ささやかなお返しに伺ったところ、あれこれ話しこんでしまい、「私もマーマレードをつくってみようかしら?」とあいなった。

その途端、どっと夏みかん+ジャム瓶までいただく。さらには「よかったらこれもってって」と、実家に帰ったかのごとく、お土産までいただいてしまう。


(これで御見舞いといえるのか?)少しく反省しながら、うれしく帰宅。


●某夜。ふとつけたTVのNHKスペシャル、《闘うリハビリ2》に釘づけになる。


付添婦時代、患者さんのもとにこられた見舞客のほとんどが、「がんばって」と声をかけたものだが、励ましのつもりのこの言葉が、患者さんに対して、時に負荷を与えるものであったことを思い出す。


(これ以上、どうガンバレってのよ…)F0001


もちろん、患者さんは見舞い客の訪問を喜んではいる。しかし着飾った人が突然やってきて(病院なんて縁起が悪い)(早くオサラバしたい)の気配ありありで、15分か30分ほどだけいて、「がんばって」をいって去った時などは、患者さんの寂しさが増したように思えたことも、一度ではなかった。

患者さんの体調に負担がない限り、ゆっくり丁寧に語りあう…そのことこそ慰めなのだが。「がんばれ」をいう前に、「しんどいね」「大変だね」があり、その上で(一緒にいるよ)の視点が必要なのに、ほとんどの人は、そそくさと逃げるように帰っていったなと…。



番組内では、左半身麻痺になった昆虫カメラマンの方が、リハビリをへて、花のカメラマン(動きを追いかけなくていい)に復帰された姿が映っていたが、彼の言葉も印象的だった。


「(もと通りの体になるという)回復はどうでもいい。動けるにこしたことはないが、それより、やりたいことがやれればいい


彼が撮る写真の枚数は、確実に少なくなったはずだが、一枚にかける想いは、以前より増したのではないか?


今の自分を受け入れ、
捩れた手でカメラを構えてシャッターを押す姿を見るうちに、「傑作の誕生はこれからだ」とさえ思えた。適切な指導者や、介助者を得た上でのことだが、人間の意欲についても想うところ大。


●本ブログ、up後に手直しすること度々。誤字・脱字はもちろんだが、時には、あきらかな情報ミスもあり、後日、図書館等で資料チェックをして、ヒャー!!と恥じ入ることも数回。


(ウラをとれ、ウラを)


いったいどれほどの方々が読み返してくださっているのか?だが、オソマツな初回文を読まれた方の中には、(こんなことも知らずに…)と、ガックリきた方もいたのでは?ごめんなさい!


実は、私はドジ姫でもある。「みちゃいられない」と、皆さんに支えていただいた人生であったことも正直に告白し、グツグツ、感謝と反省のマーマレードを煮る。


●台所仕事の間、私はFMを流すことがほとんどだが、“苦甘の香り”が広がりはじめた頃、ジェイソン・チャンピオンなる、アメリカ人で、R&B・ゴスペルシンガーの言葉が耳に飛び込んできた。

体型ともに(?)大型新人と銘打った彼は、デビューアルバムにまつわる話をしていて、へー、プロダクションが仕立てた一発屋かと思っていたら、なんか、そうでもなさそうな。


「誰でも、相手が自分のことをどう考えているか、相手の反応を気にして、心配になることがあるだろう。でも僕は、そういう心配をとってあげたいと思った。人がどう見るかではなく、ありのままの自分に自信をもってほしいと思った」


クリスチャン一家に育った彼は、幼少期から教会音楽にどっぷりだったそうだが、ある時、“新しい方向にゆきなさい”という内なる声を聞き、エンターティメントの世界に進んだそうな。


「苦しい状況の時、神様は必ず助けてくださる。だから、勇気と希望をもって、たちむかっていってほしい」


グツグツ…希望なしに、人はがんばれない…グツグツ…そして希望は絶えることがない…午後の勇気をもらった私は、黄金色に輝きはじめたマーマレードの味見をしながら、思わず笑顔。



すべからく祈りつつ。Jam

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2009年2月 4日 (水)

朝のあいさつ

ある朝、たとえば、どれほど重い荷物を背負っていたとしても、与えられている祝福を心から信じることのできるような、晴れ渡った朝。


私は、家の近くにあるバス亭に、一人立っていた。


でかける前の段取りが悪く、一バス遅れてしまったが、ま、なんとかなるわい。そう思って待っていたら、当然のこととして、先頭に立つ私の後ろに、人が並びはじめた(私の横にはベンチが一台置かれていたが、座る人はないままだった)


(きれいだなぁ~)


澄み切った空にみとれていたら、突然のギフトのように一人の女の子が現れて、ひょこん、とベンチに座ってしまった。


女の子…といっても、プクプクの彼女は20代後半?オカッパ頭に、リンゴほっぺのニコニコ顔で、私はひと目見た瞬間、彼女が軽度の精薄者であることがわかった。


※我が人生、最初に出会った牧師が、精神薄弱児・者の施設を開設されたこともあり、私は幼い頃から、彼女のような人たちとも、親しく交わっている。

世人の判断はともかく、私は“永遠の幼子”ともいえる彼らを、イノセント・ピープルと思っており、彼女と出会った瞬間も(あ、お友達だ!)と、心が躍ったことを、まず報告しよう。


弾む心と響きあうように、彼女がいった。

River




「おはよう」

私も笑顔で答える。

「おはよう」

まっすぐで、あたたかい声だった。

「元気?」

「うん、元気。あなたは?」

「私も元気」


ようやく出会えた大切な人と、ぎこちなく手を繋いでいるような、少し照れくさくて、うれしい時間だった。はにかみながら見つめあう私たちの間を、朝の風が吹きぬけてゆき、私の首に巻かれていたピンクのストールが、ふわりと揺れた。その動きを目で追いながら、彼女がいった。




「風があるね」

「うん」

「今日はお天気がいいね」

「うん」


彼女は空色のダウンを着ており、両袖の先、手首の周りだけに、ふわふわ、白い羽根が付いていた。


(変わったデザインだな…)


羽根のゆえにだろうか、彼女が天使のように思えてきた私は、彼女といっしょにいる、ただそれだけで心が軽くなっているのがわかった。


列に並んだ人たちは「横入り」した彼女に対して、何も言わなかった。いっても無駄だと思っていたのか、それとも手にした携帯画面に釘付けで、気がつかなかったのか定かではないが、その時、私たちは世界と繋がりながらも、完全に二人だけだった。


《永遠》ともいえるような、あたたかい沈黙は、《地上時間にして》わずか数分間だった。

F

ほどなくしてバスがきた。すると彼女は、ゆっくりと立ち上がり、私に向かって、こんなことまでいってくれたのだ。



「ありがとう。声をかけてくれて、うれしかった」


(彼女から声をかけてくれたのに!)


小さな出会いを無条件に喜んでくれている人の、「喜び」をもらった私も笑顔で答える。



「ありがとう。私も」


ささやかな景色だった。だが世の有象無象に取り巻かれているさ中にあって、この出会いが“本当に大切なもの”に思えた私は、彼女と離れがたいものを感じて、バスの中でもすぐ後ろの席に座る。

そして思う。

(私はこれまで…無垢なる人たちのことを書いてきたけれど…それがどれほど役に立ったのか…彼女にお礼をいわれるようなことは、なにもできていない…)

すると、私の思いなど知りようもない彼女が振り向き、念押しするようにいった。




「ありがとう。声をかけてくれてうれしかった」



その時、私が感じた痛いような喜びをわかってもらうためには…我が半生を説明しなくてはならないのだが…それ抜きでも、朝夕の挨拶さえすたれてしまった時代に、「役に立つ・立たない」という尺度を越えてある《愛》に気づかされたことは、恵みとしかいいようがなかった。



私はたいしたこともしてこなかったけれど、どんな勲章より尊い、無垢なる人からの言葉が、胸に光っている!



彼女に手を振ってバスから降りたあとも、私はこの経験の中に“隠されている意味”について、考えてみた。


確かに彼らは、「役に立たない」ものといわれている。この世界は「役に立つ」ものを追い求めてきたので、彼らは長く世から、はじき出されてもいる。


戦争ともなれば、「お国のために」働けない彼らは“劣等種”とされ、独裁者たちは「兵士にもなれない」彼らを、無用のものとしてほおむってさえきた。

であれば、役に立たないものは、愛されないのか?障害者や病人や老人は、愛の対象外なのか?


人はすべて、一人では何もできない赤ん坊として生まれ落ち、誰かの手を借りて育ち、死の際には(多くの場合)誰かの手を借り、旅立つように造られている。


人の一生には病気や事故や災害等もあり、つまり、人が生涯を通して(霊的考察はともかく)社会に役に立つ存在であることは不可能であり、にも関わらず、役立つことだけを追おうとするため、当然のこととして、無理や歪みが生まれてくるのである。


そして人間は、「役に立つ」ものをつくり、売り続けてもきた。それはいたしかたない力動ではあるけれど、人間は「真に必要」でないものまでつくり、欲望を肥大化させ、他者との繋がりを失いかけているのではないだろうか?


比して、Ag_2 バス停で出会った彼女には、合理性・即時性・効率性といった、世がよしとしているものは微塵もみられなかった。

彼女のような、「兵士にもなれない」平和そのものであるイノセント・ピープルは、やさしさや、ためらいや、素直な触れあいを、ありのまま現しており、地上の権威にも属さず自由で、(バスの列にも横入りできちゃう!)ゆえにこそ、尊くもろい存在のように思えてならなかった。

もしかすると…この世界がさらにひどくならないよう、ギリギリのところで底支えしてくれているのは、有能な政治家や事業家たちではなく、彼女のような、無能とされている人たちなのかもしれないな…


“ほんとうの愛”を運んでいるのは、誰なのか?


百万の言葉も使わず、一言の言葉と笑みで、相手の心を開いてしまう彼らは、ことによると、この時代を開く、のひとつなのかもしれない…


でも、間違えないでほしい。私は、本来よきものである知恵や知識を否定して、精薄者礼賛をしているわけではないのだから。


そうではなくて、「知恵あるものとされている」我々が、実は、《付け刃の浅知恵》を振り回しているに過ぎず、そしてそれを越えて、真なる知恵への道を歩く勇気と、誠実さをもてたなら、私たちはこの世界を、もう少し明るくできるのではないかと思っているのである。


はるか昔…この世界は、本当のやさしさや本当の賢さ、それ自体が放つ光で輝いていたのではないだろうか?


そして、それがどれほどひどい場所と化してしまったとしても、(絶望すれすれの希望)私たちの日々の選択如何によっては、世界が光を取り戻すことは、なおも可能だと(アホなロマンチストは)思っているのである……

Se


いったい、どこからはじめればいいのかな?

むつかしく考える必要は何もない。まずはあなたがこれから会うだろう人に向かって、心をこめていうだけでもいい。


「おはよう」

何気ない言葉の中にも、生きて働いているがある。


「こんにちは」

人はみな、愛の交流なしに、生きてゆけない。


「はじめまして」

鎧を重ね着してても重く苦しいだけだ。だったら少しづつ身軽になり、私たちの中に流れている愛の促しに耳を傾け、(どちらが先でもいい)その人に向かって、呼びかけてみよう。


(無視されたら?)


それもOK。思いのまま吹く風のように、過剰な期待はせず、示された人に、心からの挨拶を送ろう。


※先日、私の友人の友人で、悪性リンパ腫だった彼女(27歳)が帰天。またアウトドア大好き人間で、20年来の心やさしい旧・お客様(60代)も、アフリカのキリマンジャロから下山中、事故で帰天。人生は短い。ゆえにこそ日々の出会いを大切にし、闘いのさなかでも、この世で出会えた喜びを分かちあいたい。

Wind



バス亭で出会った彼女との時間は、ステキだったな。(本当の天使だったかも?)


そして、きいたようなことを言っている私も、実は、すぐへこむ弱くて愚かな人間だけど…そうしたことも承知でありのまま、できれば彼女と交わしたような言葉を、他の誰かとも交わしてみたいと思っている。





「あなたに会えてうれしかった」






何度も空から落っこちたSCA(Second Class of  Angle)は、ただいま飛行訓練中。

彼方からの笑い声が聞こえるような空に飛び込み、トライ&トライ!

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2009年2月 1日 (日)

立春氷解

再び辺見庸さんについて。Bird


昨年末、我がブログにupした辺見さんがらみの文章を読んだ友人たちから「超大物にケンカをふっかけて」とか、「怒らせたらどうする」とか、「勇気がある」といわれて??


私は辺見さんの作品に「とても大事なもの」を感じたので無視できず、思ったことを、ただ正直にいっただけなのだが。



愛の反対は憎しみではなく、無視である。
私個人はケンカをふっかけたという気持ちはさらさらなく、むしろ愛したつもりだったのでキョトン。


ちなみに、私が過去多く接してきた職業人の傾向をあげれば、学者・ジャーナリスト・芸術家・職人・病人(←病人は職業じゃないけど)私が辺見さんを気にしているのは、それらすべての要素を持つ方と見ているゆえかも?


たとえば、仮説の迷路に耐えながら、深い思索にふける夜や、取材に追われる日々、雨音のリズムに色彩を感じる瞬間や、単調なリハビリに耐えてゆく時間などは、私にとってなじみ深いものであり、辺見さんの中にもあるその波長を感じた私は、超あつかましくも、自身と同じ絶滅危惧種、とても古い魂を持つ、同族種の匂いを感じてしまったのである。


もちろん私は、辺見さんのような絢爛豪華にして莫大な語彙を持っているわけではない。古代エジプトアレキサンドリア図書館のような、古今東西の知識に明るいわけでもなければ、“魂の神殿”を創り続ける不屈の建築家のような、緻密な計算力や強力な思念を持ちあわせているわけでもない。


また、もし私が癌にかかったら…美しい入り江にある小さな家に引きこもり、花を育てることと、一編の物語を書くことだけに時間を費すのかもしれないが、辺見さんは世界の現状を無視できず、(愛するがゆえに)御病気を持つ身で、旺盛な発言を重ねておられる。



もしかすると…私は、その姿に預言者の姿を重ねているのかも?Jm

未来を見る「予言者」ではなく、神の言葉を預かる「預言者」のことだ。


えー!!    Prophet Jeremia    by  Marc  Chagalls  →


御本人は完全否定されるだろうけれど、私はあながち遠くないかもと思っている。


旧約聖書の時代、世に腐敗が広まった時、イスラエルには、ホセアや、アモスや、エレミアといった預言者たちが現れ、「神にたちかえるよう」炎のような警告をしたからだ。


「もうじき世の終わりがやってくる」「町も城壁も家も焼き滅ぼされる」繰り返す彼らは人々から気狂い扱いされ、迫害されたのだが、神に召されつらい仕事に準じた彼らは、必ずしも高潔な信者であるとは限らなかった。

神の判断は常に世のものさしを越えており、時になぜ?と思える人もいて、中にはイヤでイヤで逃げ回り、鯨に飲み込まれた(ピノキオの原型)ヨナのような人物もいた。

辺見さんがそれ系の方であるかどうかは確かめようもないのだが、歴史を振り返る限り、少なくとも、神が「いきなり」世を滅ぼされることはなく、預言者たちを通して警告や忠告を重ね、時間的猶予を与えながら、「御自身に立ち返るよう」促し続けたことだけは確かである。

(ソドムとゴモラの話を知る人は多いだろう。今の時代、いったいどれほどの猶予が与えられているのだろうか?)


ファンというものはいつの世も奇妙な妄想をいだくものだが、現実的サイドからいえば、私は辺見さんの典雅・優美・幽玄・迫力を併せ持つ言語感覚が好きで、音楽にたとえれば、




Elg_2 ギリシャ人の作曲家、ヴァンゲリスの創った
“エル・グレコ”や、メシアンの作曲による「世の終わりのための四重奏曲」五章や、フォーレのレクイエムが思い浮かぶのだが、どうだろう?(いずれも年に一度聴くかどうかだが、深い浄化と永遠性に誘う名曲だ)

つまり、その思索において、表現力において、行動力においてスケールがケタはずれに大きい辺見さんは、ピヨピヨ作家の私など、まるきり問題外の存在なのだが、それでも昨年末の御著書については、一点、発言できる部分があった。

我が人生、丸ごとかけて取り組んできた、愛についての考察だ。

     
  

   《誰であれ、愛を知ることがなければ、蓄えた知識も、財産も、名声も空しい》



星の王子様に出てくるキツネもいっていた。大切なことは目には見えない。


目に見える事象を追いかけることが仕事である、ジャーナリスト出身の辺見さんが、目に見えない「愛」を求める道に真摯に乗り出したことは(越境したことは)本当に尊く、ゆえにこそ、拙い言説ながら、私は知る限りの愛を証ししたいと思い、書き綴ったのである。


毎回の自分に正直でありたい…ただ、それだけのことなのだけど。




だがその後、一転、キツイ試練が与えられた私は、人生何度目かのゲッセマネを味わい……


あ~あ、クリスマスに放った『喜びの音』は、空しいものだったのかなぁ…と、ひねたカマキリのようにつぶやいていたら、

一昨日、ネット上から、思わぬ風が吹いてきた。


共同通信が配信する新聞で連載中の辺見さんのエッセイ、<水の透視画法> では、昨年『永久凍土がとける音』なるタイトルで書かれていたとか。


音!!


その瞬間(諏訪湖の御渡りじゃないけど)私の心の凍結湖が、メリメリメリッと音をたてて裂けたのがわかった。


同時に友人たちからエール・メールがどっと着信し、「君が君であることを支持するよ」的なそれに、思わず落涙。


世界をやさしく溶かす音に、我が心も、ゆるゆる溶かされて、痛みの中で迎えた立春氷解。



かろうじてとは、まだいいたくない。世界はある。私たちに与えられている猶予がどれくらいなのかわからないが、「恐れるな。わたしが共にいる」といわれた方の光もみえている。何があってもなくても、つまりは大いなる流れに従い、示された道を歩いてゆくのみ。





★2月1日、(日)午後10時~11時29分。NHK教育TV。

《ETV特集》辺見さんの番組がオンエアされる。時代に押しよせる闇と、人智の光を模索する番組とのことで、ヘビー系に目をそらさずにいたい方々は、必見!

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2009年1月21日 (水)

きたるべきもの

俳人梶等太郎さんから、句集をいただいた。

Kaji


人間の深層心理をあぶりだすような、黒と金を使った、ドラマチックな装丁を手がけられたのは、梶さんのお兄様である、デザイナーの北村武士さんで、手にした瞬間、マリオ・ジャコメッリの写真を前にしたような、心深くからの揺さぶりを覚えた。(繊細な色調がスキャナーで取り込めず、残念)


梶さんの第二句集、『されど洪水』(文學の森・刊)が、今、私の元にやってきたことの意味を思い巡らしながら、感想などまじえつつ少し。

まず、私と梶さんとの出会いは経営者時代。旧知のお客様で、カンボジアのアンコール・ワットに魅せられていた写真家の、斉藤BAKUさんの御紹介だった。

当時、店のお客様の中には、詩・短歌・俳句をたしなむ方々が多くいらした。我が店では月刊新聞も発行していたのだが、すべからく新聞というものには、詩歌のコーナーがあるものと思っていた私は、

お会いしたばかりの梶さんに向かって、「“今月のうた”の欄に、俳句をよせていただけますか?」と、頼んだところ、親しく話させていただくようになったのである。


夜の世界の新聞という性格上、エロスの香りが漂っていることは必要だったが、露骨な猥談風は編集長(私のことね)の好みではなく、時には、そこはかとないユーモアが漂うものや、ドキッとするような、メリハリのある句を詠んでくださったら…などと、勝手なことを考えていたところ…

期待にたがわず、梶さんは閉店に至るまで、ド・決まりの句を詠み続けてくださったのである。


当時、詠んでいただいた句の中で、忘れられない句を以下に。(俳句を横書にするなんて!)


         性愛のあと   圧倒的な    虹を見ゆ


五・七・五の中に、大きな解放感がある句をいただいた瞬間、私は思わず目をみはり、以後、梶ワールドの住人に。また今回の句集の中にも、店で使わせていただいた句があって、当時の空気を思い出した私は、静かに微笑。


         蝶を追ふ    変電所から    闇となる


※ちなみに、新聞に掲載した際は、「闇になる」だった。私の好みはこちらで、「と」は、空気の流れを「止」めるのでは?………………どちらであれ、梶さんの世界には、“異界との交流”がある。エロスとタナトスの混在の彼方からやってくる、絶妙な光がある。そして私はいただく句を媒介にして、異界からの風に吹かれ、不思議な胸騒ぎを覚えながら、心の野原や荒野で遊び続けたのである。



        上段から    昏れてゆくなり   雛の壇


彼の世界には毒もある。飲んだら必殺の、“微量な毒”があることで生命力が喚起され、時に、血と闇と金泥の色を合わせ持つ、おそるべきシャープで、ドラマチックな世界も現れる。

        
         マクベスの   梟の知る   し逆かな


※し逆の「し」、迫力語がブログ漢字でどうしても出せず、ゴメンナサイ!「し逆」=主君を打つの意。

※以前、TV番組を作っていたある方から、『ドラマ=劇』であり、劇とは、劇薬の劇、すなわち「毒」のことだとうかがったことがある。しかし昨今、TV等で放映されているドラマには「毒がない」ので、本来のドラマになっていないとも………この時代、現実の方が、はるかにドラマを凌駕してしまったこともあるが……


この句には高雅な毒があり、(シェークスピアに親しんだことのある方なら)梟将の智慧と凶悪さをズバリついた世界には、思わず絶句のはず。

また鋭い批評眼をもつ彼は、古今東西の政治家や、悪徳商人の顔を思わせるような、苦おもしろい“絵”も詠まれている。



        出目金の    黒は黒らで    つるみたり



Kaji1

短い語句の組み合わせで、こんなに多様な世界が生まれてくる!!

こうした音色や色調は、もとより梶さんが持っておられたものだが、響きあうものを覚える私の中にも、つまりは、そうした類のものがあるということか…

句集の中には、ほかにも秀逸な句が多々あり、さながら、“心の万華鏡”を覗くよう…だが…全体を覆うトーンは、詩歌世界の華やかさを喜ぶ…というものではない。


たとえていえば、華やかな婚礼のさなかに死があるような、皆が笑いあっている背後に、不穏な空気が渦巻いているような、長くほっておいた毒麦が、伸びきって影をつくっているような、重い迫りもある。



私も含めて…人はすべて、「捲いた種は刈らねばならない」。そしてそれを刈ろうとしないのなら、ある日突然、すべての麦を一掃するための洪水が訪れ、大地は等しく水底に沈むだろう……

ゴシック・ロマン風の空気の中、またしてもの『黙示録的世界』を感じた私は、しばし沈黙…



だが…それでもなお…《にもかかわらず》思うのだ…「光」は失せていないと。

この時代の中、縁あって出会う人たちを、私は「愛したい」と思っている。「愛=光」のみえにくい時代ではあるけれど、「愛は不滅」のものゆえ、なにがあったとしても、その存在に気づくことさえできれば、私たちが、闇(肉体ともいえる)の中に輝く光に照らされることは、可能なのである…




最期に一句。洪水がやってくる前なのか、それとも、過ぎ去った後の景色なのかは定かではないが、彼方に水平線を望むことのできる、美しい句を御紹介させていただくことにする。すべての人に訪れるだろう、刈り入れの時を思いつつ―




          一湾に    逆光の船    鳥渡る






(※写真も梶氏による)

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2009年1月12日 (月)

ココロの天気概況

楽しげにしているからといって、丸ごと楽しい人生をやっている…とは限らない。Gajyo 苦しげにしているからといって、丸ごと苦しい人生をやっている…とも限らない。


職業柄、過去の私は、“ええかっこしいの意地っ張り”をやらずにはいられない場面が多々あった。


浜松のホスピスで逝った母の看護に追われていた頃は、往復の新幹線の車中で泣き、店で笑うことを繰り返していたが、当時も、お客様たちからいわれたものだ。


「いつも幸せそうでいいねぇ」「俺らはママみたいに、優雅なことは、いってられないんだよ」…等々。


人はメガネ次第で、いかようにも判断するものだが、悲哀を味わった日々も、過ぎてしまうと見方が変わる。

私があの山を越えることができたのは、私から笑顔をひきだしてくれた方々との、交わりがあってこそだったと。

誤解やオカボレも多々あったが、私は自分を励ますようにお客様を励まし、また、励まされることを続けて、《結果的に》危機的な季節を越えてゆくことができたのだ。


つまり、このブログも、どう解釈するかはあなたまかせだが、目下のところは、人生想定外のキツイ状況にあり…さすがの私も胃痛でエビ状…

でもキツイ中にも喜びはある。ようやく歩み寄れた姉弟をはじめ、友人たちも祈り支えてくれている。


Eiko 模様眺めが続くなか、多くの方々からいただいた賀状のうち、今日は、弟からきた落涙感謝の一枚と、我が心の姉、荒井英子さんからいただいたカードを添えることにする。


ほかの方々からの、有形無形の支えも染み入るように嬉しく、奥歯に物が挟まったような言い方で申し訳ないが、できることはしつくし、神に委ねるほかない私から皆さんへ、感謝とともに《ココロの天気概況》を報告させていただくことにする。




波高し、されど快晴。

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2009年1月 7日 (水)

リズムいろいろ

いろんなことが同時に起こって、対応にあたふた。ジェットコースター的年のはじまり、

「なにごとも、甘いもんや、おまへん」を肝に銘じて、基本のテンプレートに戻し、

“祈りつつ牛歩かな”のスタートです。

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2009年1月 5日 (月)

時満ちて

私は動きながら考えてゆくタイプ。ひらめきのまま、あれこれやりながら、軌道修正してゆくので、傍から見ると、危なっかしいことしきりのようだが、確信的ビジョンがくると、モー然と動き出す。

だが…店が閉店して以来、私は“思春期返り”をやっていたような…

「よい別れ」ができなかった母とのことを洗い出し、あれこれやりながら、霊的和解を得たあと、先頃、姉弟との和解も得ることができた。ようやくこれで(真の意味で)他者に向かってゆける…しみいるような喜びを胸に眠った元旦の、初夢がコレだった。

Hatuyume とても美しい、静かな入り江で、二人の天使が、祈っている。


これって、なに…?


夢の意味がわからぬまま、前回の“鎌倉コラム”を書き終え、過去のもろもろを手放して、完全・空っぽになって迎えた4日の朝、

♪キンコーン



真っ白いカンヴァスに
新しい色が飛び込んできたように、またしてものドアチャイムが鳴った。


かつてのお客様で、IT関係の会社を起こされた社長さんこと、落合弘さんから、本が届けられたのだ。



『エリザベス・キューブラー・ロスの思い出』
(翻訳・松本太郎。監修・堂園涼子。麻布小寅堂・刊)

以前、カウンターごしに、落合さんともお話したのだが、私はマザー・テレサに並ぶ、卓越した魂にして、偉大な先駆者であるロスのファンで、(クリスマスにも、彼女の著書を紹介したよね)そのことを覚えていてくださった落合さんが、本書の監修者とお親しいそうで、二冊も送ってくださったのである。

ロスは、終末期医療に莫大な貢献をした、スイス国籍をもつ、アメリカ在の医者だったが、世界中のホスピスは、彼女なしに今はなく、彼女は、心身を病む人たちのために、生涯、不屈の精神で働き続けた人でもある。

そして二冊いただいたことに意味を覚えた私は、各界の著名人がロスの思い出を語る本書を、近在に住み、いつか、パートナーのDr共々、海のみえる場所にホスピスをつくりたいといっていた、ハトコの夫・緩和ケア医(ホスピスの麻酔科医)にも送り、自身も読みはじめたところ………アッ!


初夢の意味が、俄かにわかった。


天使たちが祈っていた場所が、どこの海なのか、私がなにをしなくてはいけないのか、突如、わかったのだ。

そう…私はこれまでずっと、《生命の回復》のための現場にいた。その現場こそがメインで、そこに集う人たちと関わることで、「結果的に」なんらかの文章も書けていたのである。

しかも…私が圧倒的に尊敬する二人の女性は、作家ではなく、《行動する愛の人》でもあった…


……これって、もしかして…私が、過去やってきたことを否定せず、すべてを活かせるような、新しい現場を…つくれ…ってこと?

エライコトになってしまったが、握っていた手を開いたからこそ入ってきたビジョンは、宝であり、やるしかないという気で、あらゆる可能性を探りはじめたところである。

え?え?いったい何がはじまるの?


何かはじめようとするたび、私はいつも、周囲から反対されてきた(突拍子もないことばかりだったからね)いわく、「無理に決まってる」「やめとけ」「無謀だ」「年を考えろ」…

しかも今、世間は大不況のさなかにある。

スッテンテンになる…?でも、もともと何もなかったのだし、守るべきものも何もないのだし。

加えて私は、日本が一番景気がいい時、付添婦をやっていて、病人看護にあけくれていた。だったら、その逆もありかも?


ともかく…どんな時代でも、多くの人の愛が開かれうるような、“本物の場”をつくることさえできれば…開かれたシェルターのような場さえつくることができれば、可能性はあるはずだ。

というわけで(個人的幸福の追求は、またまた保留で?苦笑)すぐに…とはいかないだろうが、このたびも、ゴールめざして進む気になっている。

現時点では、声を大にしていいたい。Psea_2

                   

天使たちよ、希望の海を示してくれて、ありがとう。

尊いきっかけをくださった落合さんにも、ありがとう。

どーしようもなく愚かな私を、サポートし続けてくれた皆さんにも、ありがとう。



先々、具体化の道がみえてきたら、また、御報告させていただきますね!皆さんと爽やかに再会できるよう、ふわっとがんばります!

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2009年1月 3日 (土)

比較宗教的年頭

連日快晴。Image029_2

鎌倉での時間が、予想外にステキな展開だったので、思わず報告。

私は「促しを覚えた時だけ」教会にゆくクリスチャン。でも折角、“それ系”の姉弟が集まるのだからと、生まれてはじめて、某教会の元旦礼拝へ。

新年早々、鎌倉彫の美しい容器を使った聖餐式にあずかることができたのは幸いだったが、いかんせん、牧師のメッセージが長すぎて…現代の諸問題について語るものの響くものが感じられず、ヤレヤレ早退。

だが、こうしたことも、すべて喜びに繋がってゆく。というのは、姉は若き日に、単身、渡米した人で(型破りの私と違い)当初は硬いクリスチャンだったのだが、年齢とともにこなれてきたのか、「やっぱりメッセージは、自分の痛みを通したものでないとね」等、忌憚なく話せたからだ。

仕事柄、日本文化の知識も必要な姉は、正月飾りのひとつひとつにも興味を示し、賑やかなことしきり。(雑踏の中を歩きながら話す私たちを、小型カメラを手にした義兄が、絶えず写しているという構図!)

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苦笑しつつの侃々諤々で辿りついた、ランチ店は大正解!土の香りのするシェフは、ラテンまじりの気さくな人で、カウンター席に座った私が、「ナポリかシチリアにでもいらしたような」というと、即、笑顔の返事が返ってきた。

「僕はイタリアのウンブリア州アッシジの近くの村で修行していたんです」

それを受けて、「私も、いったんですよ!聖フランチェスコが好きで、ペルージャも近いですよね」と、またまたのビンゴの中でいうと、

「ええ(サッカーの)中田も店に来てました」

するとスポーツ選手のトレーナーをやっているマッチョな弟が参戦し、イチローも取り入れている“初動負荷”理論に話題が移り、彼は当日午後にあった天皇杯の決勝戦を見にゆくのだと。

さらには、姉がイタリアの学会で知り合った青年でをやるおもしろい人がいると。日本で薪能を見たいという彼を、いつか私にも紹介する等々…

お互いがお互いにとって、“よいものを与えようとしている”ことが、「ごく自然に」感じられる、うれしい時、午後は姉夫婦と、鎌倉巡り。

鶴岡八幡宮

1782473_org_2 は前日撮影済みとか。姉は塗り替えド派手な宮の様子が、気にくわなかったらしいが、

「私はそれも好き。能舞台で薄物をはおった巫女さんが舞うと、本当に綺麗よ。神主さんが、上が白・下が水色の袴を着けているのも、清々しくて好き。あれは雲と水の色なのよね」

というと、意外や、姉も素直にうなずき、「ウン、日本文化は“水”なんだよね。清めの文化だから」と答えてくれる。次いで、

円覚寺にゆく。「本日無料」に一同笑顔。どこもかしこも、すがすがしく掃き清められており、《開放と集中》を同時に覚える空間を歩く。

元旦のみ開く《舎利殿》前に人が群がっている。わずかにほころぶ「蝋梅」以外、木立に色がないため、しきりに姉が「梅や桜の時も来たい」といいつつ、源実朝や足利家についても語ってくれる。

建長寺にゆく。山歩きも好きな私は、以前、ここ経由で《天山コース》も歩いたことがあるが、広大な境内を、ゆっくり歩くのははじめて。うち、法堂にあったパキスタンからきたという、“釈迦苦行像”に言葉を失う。

そこには、真理を求め続けて至った方の、《等身大の痛み》があった。国内唯一の苦行像とのことだが、痩せImg_1126325_15692844_7_2 さらばえた姿の“輝くまでの痛み”を見て、流れてくる微細な金粉のような空気に包まれた私は、姉と二人、十字架との照応を覚える。

峻厳かつ高貴な場だったが、同時に、釈迦像の足元にあった、小さな獅子像を見て思わず微笑。

宝珠のような球に足をかけていたチビ獅子も、痩せていたからだ 。

写真ではそっけなく見えるが、チビ獅子も、夕暮れの光を受けて金泥に輝き、釈迦の痛みに寄り添うように、共に生きるように、痛みをも含む、命をわかちあっているように見えたのである。

“可愛い+愛しい+切ない”それに惹かれるのは、(そのようでありたい)と思うからなの?ふと目があった義兄と、笑顔で言葉を交わす。「獅子も痩せてるね」「痩せてるね」

04_kencho_2

その天井には、私たちを見下ろしている、大迫力の龍の画が描かれていた。

ゆえにだろうか、法堂を出た後、姉が少し不安げな顔でいった。「キリスト教だと、龍(ドラゴン)や蛇は、悪しきものよね…日本では注連縄なんかも蛇からきてるんでしょ?なぜって感じ…」

姉の不安をとりのぞきたくなった私は、雑学人間の知識を、総動員して答える。

「文化によって象徴は違うから。中国では、龍は雨=恵みを呼ぶもので、瑞兆。エネルギー、“登り龍”とかいうでしょ?蛇も、三輪山とか、御神体にしてるけど、きっと、お米を食べる鼠を取ってくれるから、恵みの象徴なんだよ」

「でも大事なことは、象徴は違っても、真理はひとつ。マザー・テレサもいっていたよ。《国や文化や教育が違うと、みんな違うように思うかもしれません。でも同じです。みんな、愛を求めています》って…」

それを聞いていた姉は、素直な子供のように黙ってうなづき、その後、私たちは一緒に、金色に輝く夕暮れの光に包まれる…

ここまでくるのに、ン十年…


少し肌寒くなった時間帯、バス亭に立った姉が、心底の笑顔でいってくれた。「じゃ登美子、元気でね。体に気をつけてね。祈っているからね」


そして、あと何回会えるのか定かではない二人に向かって、手を振りながら見送った私は、もしかすると、ようやく生まれたチビ獅子だったのかも…?一人になり、輝きはじめた宵の明星を見上げながら、思う。

気がつかなかったな…すぐそこにあったのに、気がつかなかった…なんのための苦行なのか、なんのための十字架なのか、芯のところは、長くわからずにいたけれど…なんだか今日はわかったような気がする…振袖姿の人や、祝い酒に酔いながら歩く人たちに揉まれながら、《見えないけれど確かに在る、大切なもの》を抱きしめていた私は、えもいわれぬ、痛いような甘やかさに包まれながら、ようやくみつけた「これでいいい」と思える道を歩いていた。

Heda0602a 何があっても、なくても、この光はかわらない…そして私は、この光を生きて伝えたいんだ…

帰宅後、姉からもらった、水にちなむ聖句入りの《Voice of Water》写真つきカレンダーを飾る。ささやかにして“決定的に”変えられたものを思う年のはじまり。声に出して再び言う。「神様、ありがとう…」

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2009年1月 1日 (木)

あかつきの光

    わたしたちは、とてもすばらしいことのために創られました。

    それは、生きて、愛されるということです。

                               マザー・テレサ


新年、あけましておめでとうございます。Newyear

みなさん、旧年中は、私のブログを訪問してくださり、ありがとうございました。ビックリや、ドッキリも多々あったでしょうけれど、今年もひらめきのまま、気まぐれ発信してゆくつもりですので、よろしくお願いします。

   otomodachi  heno  gajyo  dayo  →


★年頭の言葉は、昨年のクリスマスに、どんぴしゃり!拙宅近くの公営ホールで開かれた《マザー・テレサの映画会》の鑑賞後に、購入した本からのもの。没後六年、マザーの言葉は今も生きている。

「平和のために必要なのは、銃や爆弾ではありません。必要なのは愛と憐れみです。神の平和を輝かせましょう。神からの光が、世界の人々の心にある、憎しみと権力への愛着を消し去ってくださいますように!」

わたしたちの微笑が世界を輝かせる。その“事実”をさらに深く思い、今年も私とあなたが、あなたと誰かが、心からの笑みを交わすことができますように。


★お正月の我が家の花→(背景のカーテン、春の海の波のような水色なのに、うまく色が出なくて残念)Dscf0065_2

※経営者時代、毎週、無手勝流で花を活けていた。花代も手間も大変だったが、毎回の花の命の瑞々しさに触れることは、喜びとしかいいようがなく、花の名前を覚えることができたことも、幸いだった。

で、今年は《いわゆる正月》風の仰々しさがイヤで、やさしい色合い清烈な香りが欲しくて、啓翁桜水仙を活けてみた。

なんてことはない、ワインのクーラー容器を使った投げ込みだが、“やわらかさと激しさ”が共にある二種に“小さな春”を覚えて、室内に広がる香りと共に、しばし瞑目。



★楽しいトピックス。拙宅のド・近所に(私が夜の仕事の“序二段”時代から応援してくださった)華僑のお客様こと、Sさんカップルが転居されてきた。

「こんな近くに!」

昨年末、嬉し懐かし再会の宴。昔からグループの皆さん共々、大事にしてくださって感謝だったが、今後は、ラフなホームパーティ等、お客様ではなく《ハートフルな家族づきあい》がはじまるのね!

某日、お子さんなし・犬猫ありの熱々のお二人が、単身生活の拙宅にもみえて「彼氏は?」と質問。

そうね…私は長年、人の世話をし続けて燃え尽き、一時は「頼むから一人にして!」状態になり、“第三の処女”(!)と化していたのだけど、ここにきて、冒頭のマザーの言葉を受けて開眼。Sさんに向かって、

「いろんなことが片付いてきたら…長年、等距離で見てくれていた人のことが気になりはじめて…グッと近くなったの。彼がお客様じゃなかったことは幸いだけど、お互いの仕事や社会的背景を越えて、ただの男女として会いたいと思いつつ…個人的にはまだ…」

と、歯がゆいことしきりの返事をする。するとSさんいわく、

「そいつが、あやこさんのことを本気で思っているなら、飛び込んでくるさ」

そうよね…ture love は神様からやってくるものだけど…肉体があるってことは、めんどうで、ステキなことなのよね…

もちろん、今後もどんな時代になるのかわからない。でも何があろうとなかろうと、存分、彷徨ってきた私は、叶うことなら愛する人や友と一緒に、一日一日、平和(穏やか)で、活力ある暮らしをしたいと思っている。

いずれにせよ、なるものはなる。ならないものはならない。大事なことは、どちらにせよ、神様からの愛は変わらない。

という気持ちで、今しばらくは、やってくる春を待つように、“その人”との出会いを待つことにする。

★大晦日は我が誕生日。「The day after」の元旦は、来日中の姉夫婦と弟の4人で、元旦礼拝後、会食予定。(血縁系では生まれてはじめてで、落涙感謝!)

ゆえあって鎌倉。姉はアメリカの大学で日本文化と文学を教えているが、今回は日本の正月行事をビデオ資料にするため、一石三鳥(?)写真スタジオを経営している義兄と共に、鶴岡八幡宮の初詣風景も記録するとか。

メチャ混み覚悟……だけど、今の私は人混みもうれしい。姉が会食用にイタリアンレストランを予約してくれていて、なんとその店名がLuce(ルーチェ)。

ステキよ。イタリア語で“あかつきの光”って意味なの!


内外の光が響きあうような日々、どうかみなさんの一年も、輝けるものでありますように!

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2008年12月23日 (火)

喜びのおとずれ

メリークリスマス!Jc2

世界中の多くの人たちが、クリスマスをお祝いするのは、なぜ?

それは、この日に生まれたといわれるイエス様が、“エゴがつくる檻”の中にいる人間に、解放に至る道を示してくださったから。

プレゼント交換をするのは、その喜びをわかちあうってことなんだけど、神様から私たちへの一番のプレゼントは、この赤ちゃんが与えられたってことなのよね。


1540※自分の家系を見てもわかるけど、リアルな存在としてイメージできるのは、せいぜい、ひぃおじいちゃんくらいまで。大事業をなした人がいたとしても、親族や地域住民等に、百年間語られたら、スゴーイって感じでしょ?

でも、2000年以上前に生まれたイエス様は、今も世界中の人たちに語られている。

しかも、《公的生涯》は30歳~33歳のたった3年間で、その間、会社を起こしたわけでもなければ、一冊の本を書かれたわけでもなく、(聖書はいろんな弟子たちが書いた霊的記録)ネットもなかったんだから、その三年間で、いかにメガトン級の愛を生きられたか、わかるでしょ。

Shinri_2

なーんてことは知らなくても、どうか皆さん、あたたかなクリスマスをお過ごしくださいね。



心深くにあるキラキラ
も、忘れないで。


↓以下はDOS・SCAからの、ささやかーなプレゼントです

「silent.mid」をダウンロード

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2008年12月19日 (金)

音を待つ・音を楽しむ

もうじきあの“音”がやってくる。私たちの心の中に隠されている《よきもの》を開くため、闇の彼方から、あの音がやってくる…

それはとても“小さな音”なので、人によっては聞き逃してしまうかもしれない。でもそれは「必ず」あなたのもとにもオトズレますので、どうか心と耳を澄ませて、待っていてくださいね…

Img_1040893_19481465_0 闇が深まれば深まるほど、待たれるのが解放の光だが、それは外に探すものというより、単に内にある光に気づくというだけのことなのかもしれない…

そんなことを考えながら、ふと、前回の件で、日本の全教会の牧師や神父に、アンケートを送ったらどうなるだろうと夢想。

「あなたは死刑制度に賛成ですか?反対ですか?またその理由は?」

議論を重ねて、なんらかの文書を関係省庁に提出することができれば、世論を喚起するための、きっかけになるかもしれない…

などとトンデモナイことを考えていたのだが、近年の教会の“傾向は”(個人的には、素晴らしい働きをされている先生方も知っているが)「恵みのみを語る場」となりつつあり…私ゴトキが送っても、ほとんどは無回答、反対理由の中には、「政治と宗教は別だから」なんてのもあるだろうと思ったり…

ちなみに聖書は、姦淫の罪に問われた女が、石打ち刑(死刑)になる場面に出くわした際の、キリストについても語っている。(※姦淫は、相手があってはじめてできるものだが、女だけが引き出されたあたり、当時のユダヤ法の不備も示している)

大小様々な石を握りしめた人々は、まるで“自分が神になったかのように”上から目線で女を眺め(とんでもない女だ、いい気味だ、格好の憂さ晴らしだ)などと思っていたはずだ。そして、どうかすると自分にも石が飛んでくるかもしれない場面で、キリストはいわれたのだ。Bell1_2

 

「あなたたちの中で、罪をおかしたことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」

                              ヨハネによる福音書8-7

(※罪=自分中心の思いで自他を貶めることと捉えると、この聖句の意味がよりクリアになるだろう)

重い沈黙が渦巻く中、一人、また一人と石を捨て去ってゆく様子が目に浮かぶようだが、死刑制度に関してどう判断していいのかわからないクリスチャンがいたら、この場面の《どこに》自分がいるのか照らし合わせながら、考えてみるのもいいかもしれない。(※ちなみに、イランやソマリアでは《現在も》折々、石打ち刑が行われており、国連やネットから非難の嵐にみまわれている)

また以下は、日本国内のサイトで拝読した、幼い子を殺された御遺族の方の言葉である。(加害者は死刑になり、執行後10年経過した時点の言葉である)


「犯人は死んでしまったからいいですよ。でも私たち家族の恨みは今も消えておらず、私たちは終身刑にあったようなものです」

筆舌に尽くしがたい10年であったろうことは想像できるが、《加害者の死刑=彼らの平安》になっていないことは確かであり、同時に、《死=解放》と思っているため、生きている自分たちの方が「獄中」にいるという思いがある。

加えて、この視点の中には、やはり終身刑にあったに等しい、「加害者側の家族」への思いも皆無であり、どうしたら自分たちは、《生きながら解放される方法》を見出しうるのか、苦しむ姿が見てとれる。

双方の御家族が、この思いをどれほど重ねるかは定かではないが、この件に関して、「わずかながら」私にも想像できることがある。

彼らもまた、多くの災難にあった人がそうであるように、「なぜ私(私たち)だけが?」という思いに捉われているということだ。

しかし、実は「私だけ」の災難というものは、存在しない。

※私も過去、世界で自分一人だけが拒食症だと思っていたが、その頃が最も辛い時だった。しかし《私だけではなかった》。それも救いだったが、決定的な救いは、こんな私を「大切に見てくれた人がいた」(最初の牧師~多くの友、ひいてはキリスト)ということだった。

そのことを知り、「結果的に」様々な労苦を背負って生きている他者に、「些少なりとも」思いを馳せるようになったのである。


Ross_2 だから、お子さんを亡くされた御家族の方々も、「本当に辛いだろうけれど」与えられた試練を深めてゆくことで、「もしかすると」あなたのすべてを御存知の神様が、人を通して「大変だったね」「よくがんばったね」と言葉をくださり、

「いつか」特別にをいとおしむ心が与えられ、同じような境遇にある方々を、支援することができるようになるの「かも」しれない。

※これも私の大好きな本、『子どもと死について』(エリザベス・キューブラー・ロス著 中公文庫)

悲惨な死を遂げた子どもたちから、親兄弟等へ、不思議な形で、驚くべき(輝かしい)プレゼントが与えられたという事例が掲載されているので、興味のある方はこちらもどうぞ。



世界は繋がっている。
だから喜びも哀しみも伝わるので“霊的ネットワーク”から見ると、「自分だけの苦しみ」というものは存在しない。

そしてあなたの苦しみは、あなた一人だけのものではなく、その苦しみにも意味があり、



特別の痛みから、特別の花が咲くこともある。

クリスマス直前の今、喜びを促す音を待ちつつ、さらに祈りたい。



★重い話題が続いたので、おまけ。↑トップ写真のCDは、私の好きなBen Sollee(ベン・ソリー)のもの。クラシック用の楽器と思ったチェロで、こんなことができちゃうの?ジャケットイメージをうれしく裏切るスタイルに、ビックリ!

“干草のような”声で歌って演奏するベンには、のびやかな光があり、曲のタイトルにも励まされる。

「It’s not impossible 」「Boys  don’t  cry」「How  to see the  Sun Rise 」

末尾は、人様のブログで見つけたベン。(フレーム下部をクリックすると、「How to see …」等、いろいろ聴ける)表題にあるのは、ド・演歌風のゴスペル歌手、サム・クックが歌った「A  change is gonna come」のカバーで、もと歌では、


♪Ⅰ was  born  by  the  river ~


と壮絶風の人生を歌っているが、ベンのは楽しくて軽い!でもこの曲の大事なことは、演奏スタイルの違いだけじゃなく、「人生がchangeした」ってことよね。特別なオトズレの前、よかったら聴いてみてね!

http://akirart.blog.shinobi.jp/Entry/156/

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2008年12月13日 (土)

待降節のヒヤシンス

再び、辺見庸さんの新刊について。本題に入る前に、辺見さんの御宅に通う、ホームヘルパーの方に拍手。

御病気をもつ作家の心を察し、頼まれたわけでもないのに、『くまのプーさん』や『ピーターラビット』の絵本等に加えて、『マザーテレサ・愛の言葉』も置いてゆかれたと知って。

こういうことのできる方は少ない。素晴らしいな。



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B0a6a4c8c4cba4dfa1a2a5aba5d0a1bca1fという楽屋話も書かれている本書は、《死刑廃止の国際条約の批准を求めるフォーラム90’》主催の会で話された、辺見さん御自身の講演をもとにして書かれた作品である。


そして読者である私は、“すべての人間の中には神を反映する光がある=尊い”と思っており(当然だけど)人が人を殺すことは×と思っている人間である。

かつ、私は思春期に強い“自分殺し”の願望をもったことがあり、ゆえにメディアを通して悲惨な事件報道を見聞きするたび、他人事とは思えないものも感じている。

ほんの少しの加減で、自分の人生にもにもありえた事と思うからだ。

加えて、悲惨な報道に触れるたび、以前は被害者側の気持ちに立ち、(こんな幼い子が…)とか(家族全員…)と思っていたのだが、いつ頃からか加害者側にも気持ちが向き、(こうせずにはいられなかった)人の痛みについても、思い巡らすようになっている。

ヘビーな話題で恐縮だが、読んでしまった以上、無視できないものを感じ、本書にまつわるあれこれを考えてみた。



まず、お粗末な想像力を駆使して(正当防衛によるものは除く)殺人事件の加害者の人生に思いを馳せれば…


多くの場合、彼らは自身の話を親身に聞いてくれる人がもてなかった。「あなたは尊い存在だよ」と知らしめてくれる人も見出せず、に対する思いも希薄なまま、事至り、親族はじめ、関わる人たちに長く重い時間を持たせることになった……(大雑把な考察で申し訳なく思いつつ)

被害者側にも、もちろん、尊い人生があった。突然の災難に巻き込まれて恐怖を味わいながら、地上時間が切断され、愛する人たちとの別れも余儀なくされ、親族はじめ、関わる人たちに、長く重い時間を持たせることになった……

双方、残された御家族の気持ちは、いかばかりか。加害者側の関係者が「法」ではなく、世間からのバッシングで、自殺においやられることもある。

被害者側の関係者も、ノイローゼや自殺がありえる。そして加害者が「もし」死刑になったとしても、愛する者は帰ってこない上、さらに一人死んでしまったという空しさが生まれ、哀しみを深めた彼らは、多分、別の形での癒しを必要とする…

というように、人間の尊厳を貶め、双方に壮絶な苦しみを招く殺人は、《個人レベル》では最も忌避すべきものとされているわけだが、反面、《国家レベル》では、許されてしまう場面もあり、辺見さんは、その欺瞞について語られている。



その代表格といえる戦争と死刑について、私も考えてみた。


そうだ…1人殺せば殺人者。5人殺せば殺人鬼。20万人殺せば英雄になりうるのが人間の社会であり、国家による大量殺人に関わった場合、勲章さえ貰うこともあるのだと。P10701805b55d

実に、戦争とは、「あいつの金が欲しいから、殺してでもとってやる」という《強盗殺人の拡大版》であり、個人レベルでは、おおよそ受け入れがたいこの感覚は、いったいどういう精神構造が支えていたのかと考えてみたら、かつて見た、“ナチスのアイヒマン裁判”のドキュメンタリー映画、『スペシャリスト』を思い出した。

閻魔様も恐れるような、鬼瓦風の男が現れるかと思いきや、画面には、きりっとシャープなエリート・ビジネスマン風が現れて、ビックリ!

アイヒマンは、「自分は上からの命令を忠実にこなしただけだ」(それのどこが悪い)といい放ち、効率いいガス室(!)の開発をはじめ、何百万人のもユダヤ人を殺した彼の行為は、歴史が証明しているが、あぁ、近代以降の戦争を支えてきたのは、《他者に対する想像力》をなくした者の、あまりにも律儀な、この忠誠心だったのかと知ってゾッ…

戦争は、人道的にも、神の道にも反することが「当然」とされてしまうわけだが、それでも希望は失せていない。個人においてそうであるように、自国の暗部を徹底的に検証してゆくことで(ドイツがそうしたように)現実を変えてゆくことも可能である。

そして辺見さんは、国家による殺人である戦争のみならず、日本では今だ当然とされている「死刑制度を廃止すべきだ」といわれ、私もこれにうなづいたのだ。


といった途端、どこからか“匿名手紙”のような声が聞こえてきた。

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「この女は、何を夢みたいなバカをほざいているのか?」笑い声あり、「殺人鬼を野放しにしろってのか?」怒り声あり、「家の子が殺されたら、そいつも絶対殺す」罵倒あり、「犬畜生にも劣るやつらは、死刑以外にない」

欲求不満が渦巻く社会では、様々なスケープ・ゴードが要求されるものだが、このブログも非難轟々、炎上ならぬ、アクセスゼロになるのかも?

だが、そういう皆さんが、以下の“事実”を知ったら、どう思われるだろう?



《世界の国々の多くは、すでに死刑制度を廃止している》



本書には、EU(欧州連合)がHP上に掲載している、《死刑廃止宣言》の引用もあり、2002年5月以降、EUの全加盟国が遵守しており、全人類に尊厳があると明記した宣言文には驚愕!

Img_1593381_45623809_0 アムネスティによれば、2008年11月現在、アメリカのいくつかの州をはじめ、世界137ヶ国が死刑を法律上、もしくは事実上廃止しており、残り60の国と地域が死刑を適用しているものの、実際に行っている国は、さらに少ないとのこと。

(※EUの宣言を絶賛された辺見さんは、ヨーロッパがこの視点を、戦争に適用していないことを批判しておられる)


そして私は、これまで自分なりに、人間の苦悩や喜びについて考えてきたつもりだったが、人生に手一杯だったとはいえ、“小さな戦争”ともいえる死刑について考えが及ばなかったことを恥じた。

かつ、多くのジャーナリストの方々にもお会いしてきたが、この件について話された方は、誰もいなかったとも。(もっとも、それを話せる場でもなかったが)

つまり、ヨーロッパ等では、幼児を殺しても、テロリストでも死刑にならないわけだが、いつか日本もそうなるかもしれない…といったら、この国の人々は何というだろう?


「じょーだんじゃねー!そんなことになったら、みんな殺しまくりの、殺人鬼だらけの国になっちまう」

……そうだろうか?人間の尊厳第一だが、死刑制度は、殺人を抑止するために、有効かつ不可欠なものなのだろうか?少年法を改正して処罰年齢を下げ続ければ、少年犯罪も減るというように?

…私はそうは思えない。身をもって知っているが、人は人として尊ばれない限り、どんな懲罰が待っていようと、怒りを蓄え続けるものであり、蓄えたエネルギーは出口を求め、「ふさわしい場」を得て、「必ず」なんらかの行動を起こすものだからである。

また日本では、かつては斬首等、公開処刑もあったが、今では人知れず行われている。なぜだろう?行う側も残酷でよくないという、“やましさ”があるからではないのか?江戸時代には仇討ちもあったのに、なくなった。なぜだろう?果てしない恨みの連鎖の不毛に気づき、やめた方が懸命と気づいたからだ。


別の声も聞こえてきた。Chr_2

「ノー天気なことをいってるが、おまえは殺人犯が隣りにいるかもしれない暮らしが怖くないのか?そんなことになったら、俺はおちおち眠ってもいられない。町内で夜警団もつくる必要があるし、喜ぶのはセコムだけだ」


怖い…?でも私はすでに会ってしまったのかもしれない。内的光を見せてくれたホームレスの人たちの中にも、もしかすると、殺人者がいたのかもしれない。

また、知らずにもてなしたお客様たちの中にも、よんどころない事情で、人を殺めた人もいたかもしれない。


誰も「自分は殺人犯です」なんて札をぶら下げて歩かない。「汚職しました」とも「詐欺師です」とも、ふれまわらない。私も含めた人は皆、何度もついた嘘や、挫折や失敗と思える、自分にとって都合の悪いことは、隠して生きている。

もちろん、それを隠すことを責めることはできないし、(多くの人は、ヨーロッパは二度と行かないとはいわないだろうし)人が人と出会う度に(この人犯罪者?)などと、疑心暗鬼になっているとも思えないのである。

どのような社会がベストなのか?世界はなおも試行錯誤の途上にあるわけだが、少なくとも(変り種の)クリスチャンで、日本人である私自身は、人間を(個人レベルでも、国家レベルでも)殺すことは、神の創造の否定だと思っており、ゆえに(時に深い情動に揺さぶられ)被害者側の大きな痛みを忖度したとしても、死刑制度は廃止すべきだと、思わざるをえないのである。


加えて辺見さんは愛の人として信じじうる一人に、マザー・テレサの名もあげているのだが、その件に関しても少し。

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本書の引用にもあるように、マザーは《飢えた人、裸の人、家のない人、体の不自由な人、病気の人、必要とされることのないすべての人、愛されていない人、誰からもケアされていない人のために》働かれた方だが、


私は、そうした人たちの中に、キリストを見ていた方だとも思っている。

なぜなら十字架(死刑)にかけられたキリストは、裸にされ、鞭打たれ、唾を吐きかけられ、侮られ、血糊と悪臭にまみれ、誰ひとりケアすることが許されなかった、ぼろ屑のような状態だったのだから。

しかも、人間として最も深い孤独を知りえたキリストは、十字架上で「神よ、なぜ私を見捨てられたのですか?」と、絶望と希望が混在するギリギリの言葉を、絶叫してもいる。

だから辺見さんが示されたように、マザーも「神よ、あなたはどこにおられるのですか?」と叫んだとしても不思議ではない。(大きな使命を与えられた人は、見合う試練も与えられるものゆえ)

そしてキリストは、その絶叫をも含む生涯を通して、「愛の完成者」の道を示したのだが、十字架に至るまでの間、逃げることなく、武器に頼ることなく、言葉と行いによって真理を示し、結婚式に招かれれば宴席で飲み食いし(きっと踊っただろう)さらには、自分を裏切ることになる弟子たちをも「友」と呼び(!)その汚れた足を洗って、「あなたたちも互いに洗いあいなさい」といい、折々(人間でもあったのだから)笑っていたのである。

だからマザーも(巷のシスターにさえなりそこねた私がいうのも、おこがましい限りだが)魂の暗夜にとどまることはなかったはずだ。


私の乏しい経験から省みても、マザーが人間存在の最も深いところから放たれるに照らされていたことも、想像Img_1617004_34297146_0に難くない。そしてそれは本当に大きな喜びだったのだ。

だから辺見さんがいわれるように、私はマザーの目が、常時「負け犬のような、臆病ものの、失敗者のような目」だったとは思わないし、またそのような目を生きるよう、他者に薦めようとは思わないのである。


私は思春期に心を病んでいたから、病む人たちのもとにいったのだ。(きっと、共に癒されたかったのだろう)だから他者の痛みを知るために、飛び込んだのではなく、またその痛みを知らさんがため、他者に「絶望を知れ」ともいいたくない。


人は生きるために、日々様々な労苦を背負っている。そして流された涙のすべてを御存知の神様は、私たちが世にあって「真の喜び」を選択できるよう、ふさわしい時、ふさわしい形で、それぞれの人に、試練を通した気づきも与えてくださっている。

死刑について考えることができたのも、ようやくだったが、私はこの気づきに感謝こそすれ、今後も「負け犬のような、臆病者のような視線で」歩もうとは思っていない。


私は勝ち犬でも、負け犬でも、成功者でも、失敗者でもなく、世間の人がどう評価したとしても、今後も「私は私らしく」毎回出会う方たちと、願わくば友になってゆければと思っている。

キリストやマザーが、御自身の生涯を通して闇の中にある光を示してくださったように、ちっぽけでもいい、私なりに内的な光を掲げて、光のもとにある交わりを大事にしたいと思っている。(長年、自分を殺したがっていた、この私が!)



以下は大好きな本、『歓喜の街カルカッタ』(ドミニク・ラピエール著・河出書房新社)から。マザーが起こされた《神の愛の宣教者会》の本部の壁には、一遍のヒンドゥーの詩が掲げられていたとあったので。

   

   糧がふたきれあれば

   ひとつを貧しい者にあげなさい

   ほかのひとつを金にかえ

   ヒヤシンスの花を買いなさい

   あなたの心を肥やすため

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《自分のことも大切にして、神様がつくられた世界と響きあう喜びを忘
れないように》



思い切って書きました。皆さん、ヘビーなテーマにお付き合いくださり、ありがとうございました。この件に関してどう思われるかは、あなたまかせですが、来年から、議論百出の裁判員制度もはじまりますので、これを機会に、いろいろ考えてみてくださるとうれしいです。


そして今はキリスト教暦によれば、イエス様の降誕を待ち望む、待降節と呼ばれる季節ですが、皆さんは、どのように過ごされていますか?

私はまず、辺見さんをはじめ、尊い闘いの中にある方たちや、病床にある方や、愛する人たちと別れた方や、獄中にある方や、その方を恨み続けてやまない方や、疲れて果てて、擦りきれている方たちのために、祈りたいです。



《どうかそのような方たちの心の中に、マザーも愛でられたであろう、ヒヤシンスの花が咲きますように》C0133346_13435584_2

                


                 Peace   for  Everybeing   

             name  in   Juses

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2008年12月 6日 (土)

尊ぶべきもの

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12月4日~10日は人権週間である。近所で見たポスターには、

《大切にしよう、一人、一人の人権》

とあり、前を通るたび気になっていた。もろもろ含めて、この数回、きちんと書いておきたい気持ちになって。

で、警視庁発の標語に教えてもらうまでもなく、人間は、職業・性別・家柄・国籍・年齢・病歴・前科等、一切の条件を越えて、人間であるがゆえに尊い。(「全被造物が」といいたいが、今回は人間に的を絞る)

だが、大基本ともいうべき人権意識は、日本においては建前的部分が多々あり、本来、当然とされることがわからなくなっているため、わざわざ“週間”を設けなくてはいけないのだろうと。(電車にシルバーシートが設置されたように)

「人間はなぜ尊いの?」「命があるからだよ」「命はなぜ尊いの?」「…」

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問い続ける子どもに対して、「うるさい」「そう決まっている」と逃げるのではなく…私なりに人権について考えてみることにした。

まず、人が人を尊べなくなるとどうなるのか?自他がゴミ虫のように思えたら、「なにやったっていい」になる。(我がブログの「my story“思春期編”」にもupしたが、私はこの種の感情はトコトン味わっている)

「自分だけ尊い」or「自分たちだけ尊い」も×で(ヒトラーのように)自身を全能者のように見立ててしまい、やはり「なにやったっていい」になる。

それを抑止するための御題目が、“人権週間”なのだろうが、昨今、連発する事件や、年間自殺者数三万人をみるにつけ、人間の「尊さ」がみえなくなっている状況は、さらに広がってゆくように思えてならない。

当たり前だ。物が幸せを生むかのような幻想を煽りたて、物を売り続けるための競争社会を築き、永久に前年比を越え続けようとする限り、どんどん喰い合いが進み、他人は蹴落とす存在であり、尊んでなんかいられるわけがない。

だが人間は人間なので、喰い合いが続くストレスに耐えられない。勝った負けたの繰り返しの中、一瞬の勝利を味わっても、明日は我が身。戦々恐々で疲れ果て、みな心の中では

「誰か、俺を尊んでくれ!」

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と叫んでいるのが、今の日本の実情ではないだろうか?


※先日、駅の切符売り場で、隣りにいた60代とおぼしき、身なりのいい男性が、「キップハ、ニマイデマス」なる音声を出した券売機に向かって、「うるさい!」と怒鳴り、拳骨で画面を叩いていた。あぁこの人も…


人は自分を尊べなければ、他者を尊べない。

だが、いったいどうしたらそれができるのか?そもそも誰に尊ばれたいのか?上司か、部下か、親か、妻か、恋人か?そして尊ばれるためには、人間同士、延々、価値証明をし続けなくてはいけないのか?

私見をいえば、自他を尊ぶためには、人間にとって“最も尊いもの”を知る必要がある。

※お子さんのいる方なら、子どもが御自身を反映する部分があることは、わかるだろう。私も、店や新聞や本をつくってきたので、毎回の作品が自分を反映するものであることは知っている。

だから私は、いとも単純に、人間は、作者である神を反映する部分があると信じている。

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人間が尊いのは、神によって創られたからだ。(宗教的、哲学的考察の違いを越えて)究極には、この真理に立脚しないかぎり、人は人を尊べない。

もちろん、世間には自分にとって都合のよい(同系人〉だけ集めてよしとする人もいるだろう。なにもめんどうなヤツまで仲間に入れて、尊ぶ必要なんかない。

しかし世界は多種多様な人たちで構成されており、あなたが好むと好まざるとに関わらず、その人たちも神に創られた人間なので、尊い存在である。

人間のものさしだけでは、尊ぶべきものが決められない。たとえ親でも、認知症になってしまえば無価値に思えることもある。そして、あなたが(あなたもそうなりうる)無価値と思える人たちを前にした時、(寝たきり老人や、ホームレス等)どうする?多くの場合は目を背け、あるいは募金箱に10円か100円入れてサヨナラだろう。(あーはなりたくない、という恐れと、チクンと痛い愛のうずきを感じつつ)

さらには、あなたにとって都合の悪い人(大嫌いな人や、犯罪者等)を前にしたら、どうする?あんなヤツらのことなんかどうでもいい、ヤツラは人間じゃない、煮るなり焼くなり勝手にしろ…だろうか?

そして「もし」私たちが、そのような人に対しても、“本当に”誠実であろうとするなら、あなたは自身の中に眠る真の愛に促されて、越境してゆくだろう…

と、今回、なんだか熱く語っているが…現実には、私も越境どころか、自分にとって価値ある人(それもコロコロかわる)だけ尊びがちな、自分勝手な人間なのである。まったくなぁ~

神様の愛が足りないから、自他を愛せないのではない。神様は永遠不滅の愛の塊で、「いつも」私たちを愛してくださっている。でも「私たちが」エゴが生み出す恐れから愛の流入を拒み、供給源を断ってしまうため、自他を愛せなくなるのである。

私も、存分、ゴネながら進んできたのだ。(今もだけど)

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とんでもないことをいってくる患者や、客や、仕事相手をはじめ、自分で“異質”と決めつけてしまった人たちを前にするたびに、

(イヤです!あんな人なんか、尊べません!)

神様に向かって異議申し立てを繰り返し、だが自分で選んだ仕事だからそうもいっておられず、じゃ、どうしたら見方を変えることができるのかと存分苦しみ、毎回、トホホを繰り返してきたのである。

《あなたは、愛の成長の道を辿っています。この件に関しても、あなたを解放するために、あなたの深部を開き、眠っているを呼び覚ましましょう。すると、あなたにとって“今は”不都合に思えるその人も、“大切な人”に変わり、あなたは喜びに満たされるでしょう》

霊なる囁きを内に聞いても、実践編となるとまるでダメ。

(無理です!私はこれまで存分ハードルを越えてきましたが、まだこんなにハードルがあるなんて、あんまりです!しかもハードルはどんどん高くなってきて、とてもじゃないけど、越えられません!)

だが課題とは、「後回し」にすることはできても、「やめることのできない」ものである。そして私は、毎回「絶望の果て」や「限界の先」に示される光に導かれ、聖テレーズに与えられた言葉のような励ましを得て、おろおろヨタヨタ、歩いてきたのである。※『テレーズ《空の手で》』(C・Dメーステル著・聖母文庫。参照)↑illsut by masumi uchiyama


《自分で越えようとせず、小さくなって、子どものようになりなさい。そうすれば、ふさわしい助け手が与えられ、その障害もくぐってゆけるでしょう》 




★昨年のクリスマス、私は友人と一緒に、ホームレスの人たちが集う、某教会で過ごしていた。拙著『現代牧師烈伝』にも書いたが、この不況で、路上生活者はますます増える傾向にある。でも、私は「可哀相な人たちを助けてあげよう」と思ってでかけたのではない……………………もちろん、彼らをサポートしようとするその《行為自体》は悪いものではない。だが、自分が「格上」だと常に確認していたい人たちは、どこにもいて(きっと、確認していないと不安なのだろう)信仰者や、福祉世界の人の中にもあった、「めぐんでやる」式の《上から目線》を見てきた私は…………………………相手に対して、やさしいようで実は貶めている、そうした接し方ではなく、思春期に、そう接してもらいたかったように、私は病院でも、バーでも、路上でも、どこでも、毎回出会う人たちと、上でも下でもない、《人間と人間として》関わりたいと願い続けてきたのである…………………………もちろん、ホームレスの彼らと会った時も、初回は緊張したが、何度も通ううちに、びっくり、昨年は彼らの中に、を見たのである。たとえではない、本当の光だ。

クリスマス・イブの祝会後、軍手や、手ぬぐいや、ホカロンや、お菓子を入れた土産袋を手した彼らは、200人強。世のものさしで計る価値から、最も遠いと思われる人たちだったが、その体の奥から放たれる、不思議な光を見たのである。

一人一人の、顔や形は違っていた。だが学歴や職歴や役職や家族といった、人間を形づくる外側の一切が剥がれ落ちてしまったゆえにだろうか、彼らは、死にゆく人たちがそうであるように、内なるものが露わになっていた。

長年の風雨にさらされた体をひきずり、列をつくって歩いていた彼らは、山肌に傷を持つ、黒い山脈のようだった。そして出口近くに座った私の前を、無言で通り過ぎていったその時、揺れる山脈の中から、(彼ら自身も気づいていない)地の底から湧き上がるような、光が放たれていたのである。



尊い!



荘厳
としかいいようのない、畏れ多い《光の方列》だった。そして私は、大伽藍を歩く僧たちのような彼らを前にして、一瞬、ふし拝みたいような気持ちになり、静かに光りながら「路上」へと帰ってゆく彼らを、呆然と、陶然と見送ったのである……



すべての人間の中には、この光がある。

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クリスマスの何が尊いのか?その意味を、あなたがまだ知らないとしても、街に輝くすべてのイルミネーションより輝く光を内に持つ、あなたのために祈る。

《あなたの内なる光によって、あなたの今日が照らされますように》

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2008年12月 5日 (金)

序奏

FMから流れてきたジェームス・モリソンの曲に、なぜかドキッ。



《君に会えてよかった》


君はいつも 僕をギョッとさせるものをくれる

なんでもないことかもしれないけど

どうか そいつを僕にくれよ

いつか自分の心がわかるかもしれないから




あのことや、このこと…大事なことをいう前に、大きく息を吐くような感じがして。

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2008年12月 1日 (月)

記号名

師走。新しいジグソーパズルのピースを拾い集めるように、あちこち調査。

001 ゆえあって、浅草・鷲神社酉の市へ。モロ庶民派神社の三の酉は大混雑で、押し合いへし合いする人たちに混じり、もろもろ観察。

いつの世も、世間には、御利益を求める人たちの切なる願いが渦巻いている。「福をかきこむ」縁起物の熊手や、御札が飛ぶように売れてゆくのを見ながら、マニラの下町で見たキアポ教会の、ブラック・ナザレン祭の景色を思い出す。

 あそこでは、マリア様のメダイや、ロザリオだけでなく、怪しげな薬の類も売られていたが、買ってゆく庶民感情としては、浅草もマニラも同じではないか。三社祭で神輿を担ぐ人も、十字架の山車に群がる人も、


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浅草のお兄さんたちの威勢のいい声を聞きながら、熊手は買わず、幸せを外に探すことと、内にみつけることについて思う……


帰路、去年の熊手を納めるために、“聖火ランナー”のように掲げ持った、5歳くらいの男の子が、スキップする姿を見る。快晴の午後、並んで歩くおじいちゃんも、明るい日差しの中で笑顔。

「熊手ではなく」彼らの姿そのものに幸せをみた私は、互いの「内にある光」の響きあいを感じて、目が合った瞬間、ニコッ。象徴や形の違いを超えて、とても自然な交流。これだね、この感じ。

ふと見ると、沿道から離れた小さな駄菓子屋も、めちゃ混み状態。お酉様のおかげで周辺商家が潤っていることは確かだが(よかったね)といいたいところ、カルメラ200円、杏飴300円、ポン菓子100円等を売っている老夫婦は、常とは違うリズムで押し寄せてきた客と、小銭の対応に追われ、疲れ果てていた。

目が合っても、さっきの男の子たちとのような弾む響きあいがなく、生きることに伴う痛みを覚えつつ、老夫婦の中にもある光を思い、無事を祈って次へ。


ジェーン・グドールの来日講演のため、一ツ橋記念講堂へ。彼女は若き日、単身アフリカに渡り、驚異的な忍耐力と観察力をもって、チンパンジーの生態を研究し、ケンブリッジで学位を取得した後、人間を含む「すべての生き物」にとっての、よりよい環境づくりのために活動中の人である。Jgi2

http://www.jgi-japan.org

もちろん、彼女はアフリカの危機的状況を知っている。

多国籍企業や、世界の軍事産業のしていることも知りつつ、70代になった今でも講演(年間300日!)のみならず、Roots & Shoots (根と芽)の活動等で、世界中を動き回っていることに驚く。

加えて彼女の顔は(野生動物を相手にしてきた人だから、さぞやワイルドだろうと思いきや)穏やかさと気品に満ちており、醸しだされる、あたたかくて繊細な気配にも慰めを覚える。

宗教家や平和運動家が(既成概念と闘っている以上、無理もないが)少しも平和に見えないことはよくあることだが、少なくともジェーンは、悲惨度が増してゆくように思える世界で、チンパンジーからはじまった活動を通し、穏やかで、ゆるぎない喜びと生きているように見える。

犬でも猫でもチンパンジーでも、ひとつの対象に向かって「無心の愛」を注いでゆく時、おのずと現れてくるものがある。そしてその愛が、また人と人を繋いでゆく。

ジェーンはメデイアの前面に出たくて出たのではなく、森に籠もりぬいたことで、出ることになってしまった。「地域に住む人たちを大切にすることと、政府を喜ばせることを同時に行うことは難しい」といいつつ、与えられた役割を(森で得た喜びと共に)淡々とこなしているように見える。


Lrg_10142910_2 第二部は「森と海~生命のつながり」と題したパネルディスカッションで、会に招待してくださった、オーシャンファミリーの海野義明さんも登壇。

宮城県で牡蠣の養殖をしておられる漁師の方も発言されたが、彼の父上は、海を守るために「森に木を植えた漁師」として知られる方で、ひとしきり牡蠣談義。

海野さんは、沖縄白保のサンゴを守るため、座り込み等の反対運動もされた方で、沖縄のおじぃや、おばぁたちとの交流も語る。ジェーンいわく、大人たちは日々の選択ミスによって、子どもたちの未来を奪い続けている。かつ、どんな活動も、喜びなしには続けられないと。

ほか、全人類が北米に住む平均的アメリカ人のような暮らしを望んだ場合、地球は、あと5個か6個必要だとも。

ウーム…私見をのべれば、物は愛のかわりにならないので、人が物に満ちたりることはない。もちろん、最低限の物は必要だが、人が満ち足りた暮らしをするためには、どうしたって愛(アガペー)が必要なのだ。

そして世界は愛の欠如のために、多くの破れを抱えており、様々な依存症的症状を見せて、「もっともっと」とねだり続けている。

本当にひどい話だが、近年の食糧危機は、市場価格の人為的な操作によって起こっているということは、もはや周知の事実だ。

つまり、だれかが飢えて死ぬことより(飢えている人たちの存在は知らないふりをして)食べ飽きているものたちが、「さらに儲けるために」市場操作をしているという事実。

そうした行為は、まわりまわって自分たちの首を絞めることになるのは明らかなのだが…

という、人間のエゴが露わになっている時代に(ゴマメの歯軋りのように思えるかもしれないが)ジェーンのような人がいることは希望だ。静かに溢れ出る泉のように、力みのない彼女の強さがうれしい。


●新宿でクリスチャンの旧友と会食。互いの近況や、性同一性障害をもつ牧師のこと等話すうち牡蠣が出て、先ほどの会の、気仙沼の牡蠣との響きあいを覚えて喜ぶ。11003618

※私はグルメではない。過去、薀蓄叔父様たちと御付き合いさせていただき、ものの味も分かるつもりだが、それにこだわりたくない。どんなものでも、美味しく食べられたら十分。そしてその際の喜びは、味覚だけによらないのだ。

私はなにより、神様からのギフトのような、様々な響きあいがうれしい。「なぜ、あの人を知ってるの?」「どうしてここにあなたがいるの?」これ式のびっくりだらけできた私は、世界の食糧事情を思い、自分なりにできることをしつつも、今(ラーメンでも、レバニラ定食でも)えがたい友と食事をしている、そのことがうれしい。


●帰りの電車内で、気になる作家、辺見庸さんの新刊、『愛と痛み』(毎日新聞社)を読み始める。

経営者時代、私は辺見さんの御著書を何冊か拝読したあと(僭越にも)自分と似た感性を感じて、拙著と店の新聞をお送りしたのだが、(当然ながら)異なる部分も覚えて、つかず離れず、一ファンとして、大切に関わりたい方と心していた。

その辺見さんが、今作で「愛」という言葉をタイトルに使われたことは、うれしい驚きだったが、内容に関しては、とてもひとことでいえず…しかし“本当に大事なテーマ”ゆえ、改めてまた。

現時点では、御病気を持つ辺見さんが、お元気であることがうれしく、聞けば、先頃の講演会では三時間も(!)話されたとか。その上で御自分を「PPG」(パーフェクト・ポンコツ・爺さん)といわれたそうで、思わず微笑。

名前って不思議。紆余曲折をへて、ようやく本名に戻ったのに、いたずら好きな私には「猫名」をはじめ、どんどん、新しい名前が増えてゆく。

そこで、ひらめきのまま、自身にも記号名をつけることにした。




「DOS」
(どーしようもない・おばちゃん・少女)

もしくは、3b71ec40

「SCA」( Second  Class  of  Angle )

ってのは、ドス・スカ…どうですか?

 tori   de   hajimatta   kara   last   mo   hane → 





……人の心の奥底にある「愛」を呼び覚ましてくれる音が、すぐそこに近づいている季節、やってくる音は、きっと、あなたの心の扉もノックしてくれることでしょう…

皆さんにとって、よいひと月でありますように!

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2008年11月 7日 (金)

感謝に添えて

Ph_dazaifu 筑紫哲也さんが亡くなった。

大昔にお会いしたあと、我が友、トランペッターの近藤兄を紹介した御縁で、ライブに御一緒したり、遭遇すること、度々だった。

私が経営者になった際も、103人にまじって、まさか!の御寄付をしてくださったのだが…もうお会いすることは叶わない。

筑紫さんの好みの煙草の銘柄は、いまどき稀な《ハイライト》。肺がんときいて、むべなるかな…だったが、個人的には、御助力に感謝するとともに、「しまった」という気がしてならない。

何がしまったのか?氏を御紹介してくださった方はじめ、その時代に出会った方々とのエピソードは、次回up。

合掌。

                           

※写真は大宰府の紅葉

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2008年10月28日 (火)

猫からの本

Ashitake 例によって、今回の連載も、休み休みでゆく。

突然だが、猫を七匹飼っている我が友、内山さん宅「華」が、先日、11歳で帰天した。

前回、私がお泊りした際、七匹中、一匹だけが激ヤセの上、ひたすら鳴き続けていたので(?)

内山さんいわく、「拒食症だから」。

猫に拒食症?聞けば、華の実母であるは、わが子を産み終えたあと養育放棄(ネグレクト)になり、見かねた(?)ベテラン猫の桂(カツラ)里親猫と化して育てたものの、華は食の細い猫になってしまったという。

なんだか人間と似たような展開だが、華は今年に入ってから完全に食を拒みはじめ、内山さんは、仕事のかたわら、日に数回、華の口に、直接、練りもの状の食事を食べさせ続けたのだった。

また、華が鳴き続けていたのは、「外に出して」のサインだったとか。他の子がおとなしいのに、この子だけなぜ?

以前、内山家が一階だった頃、猫たちは、日夜、半野良的自由を満喫していたとか。しかし立ち退きがあって、階があがってしまった住まいではそれも叶わず、転居時、さんざん騒いだ猫たちも、次第にあきらめ、いつしか家猫と化したのだという。

だが、華だけは違っていた。食べ物を味わうことは忘れても、自由の味だけは忘れなかった。華にとって自由を獲得することは、何よりも価値がある、命がけの行為だったのである。

とはいえ、食事もとれない猫を外に出すこと=即死。なんとかして華の生命を守ろうと願う内山さんは、ミルクをスポイトで流し入れたり、あれこれ試みるものの「猫一倍頑固な」華はこれを受け入れず、ついには“緩慢な自殺”ともいえる拒食を貫きながら「give me free」 のシュプレヒコールを繰り返したのだ。


華は、夏を越えるのがやっとだった。

即身成仏のような姿で帰天した。


そしてかつての自分の姿を華に重ねていた私は、電話をくれた内山さんに、最期の時について質問せずにはいられなかった。

「母親は?」

「桂はゲージ入ってずっと華に寄り添っていたけど、桃は、何度かゲージに入ろうとしたのに、結局、入れなかった」

どうやら、この母子猫は似たもの同士、そっくりな頑固猫らしい。「食べないといったら、食べない」の華のように「育てないといったら、育てない」の桃にも、そうなるにはそうなるだけの理由があり、きっと桃も、そのまた母猫との葛藤があり、幼児期(猫格形成期?)に固定されてしまったものがあったのだろう。

そうかぁ、桃も華のそばにいてあげたかったけど、どう接していいのかわからなかったんだね…

内山さんはいった。

「華が一番、幸せだったのは、秋の公園で紅葉とじゃれあっていた頃かもしれない」

「精一杯生きた華は、いろんな人に愛されて幸せだったと思う」とも。

そして私は食を拒んでまで自由を求めた、愚かにして懸命な華にグッときて、せめてものハナムケにと、猫天使が虹にのってのぼってゆく姿を描き、「華ちゃん、天国でおいしいものをたくさん食べてね」(あずき)と書き送ったところ…

Doll

ニャーン!本日、香典返し(?)のような本が、《華名義》で送られてきたのである。Hana

華は、私が《人形の家》(岩波少年文庫・ルーマ・ゴッテン作、瀬田貞二訳)を読みたいといっていたことを、覚えていてくれたのだろうか?

そして生まれてはじめてもらった「猫からの本」を手にして想う。猫の天国ってどんなとこかしらん?

モン・プチ缶でできたお城があるところ?いやいや、マグロいっぱいの大海原を前にした魚港だろう…ううん、違う、そうじゃない。


天国は完全な愛と平和の場所だから、母子はじめ、わだかまりを抱いていたすべての相手との和解が用意されているところなのだ。そしてこの地上でも、天国を垣間見ることは不可能ではないのだ…と。



※《人形の家》読了。ミステリー作家の宮部みゆきさんが、書評で“児童書”を推薦していたことに興味を抱き、猫経由でめぐり合った本だが、想像外の展開と、あまりの傑作に、びっくり!以下に氏の書評文の抜粋を。


「…どれほど過酷な現実に遭おうとも、一度ある人々の間で共有され得た幸福は、たとえ失われることはあっても、決して空しく消え去ったりしない」(朝日新聞より)


カバーには小学校5、6年向きとあるが、児童書の概念を覆す作品で、再読、再々読の予感大。唸りつつ、その上で、近年、我が心の内に生じ、いろいろあっても消えない虹のビジョンを、さらに大切にしたいと思った。




虹は
祝福の象徴にして、天国からの架け橋。あらためて華ちゃんに、ありがとう!

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2008年10月12日 (日)

秋の気づき

この世のことは、すべて変わってゆく。人の心も、容姿も、とりまく環境すべても。

それを嘆く気持ちは確かにあり、ゆえに詩や歌が生まれ、わが国では、もののあはれが語られるのだが、それは執着と紙一重の思いでもある。

その上で思う。物事は変わっていいのだ。いや、というより、変わらなかったらどうなるだろう?


たとえば、金木犀の香りが、ずっと消えないとしたら?秋の一時だけ放たれる香りが、一年中、続くとしたら?

誰がそれを惜しみ、語るだろう…Kinmokuseithumb



麗しい名を与えられたこの花は、通常、香りに似合わぬ、お粗末な形をしているといわれるが、私は、オレンジ色の十字架のような形をもつこの花を、 心から、愛してやまない。


変わってゆくものと、変わらないものが共にある。 ささやかでうれしい、秋の気づき。

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2008年10月 4日 (土)

秋の詩(2)

では、前回の詩の訳文を以下に。格調高く、文語調でいってみます(私の訳ではアリマセン)ちなみに、後半にある、「難しき世のことどもと関わりなく」は、「世の苦しみを無視して」…ではないでしょう。私個人は、「それを知りつつも」、もしくは「そのさなかにあっても」と思っています。   

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      野の花

   


       野の花を見よ              Risu

      小さき 香りうすき花なれど

       その可憐なるものごし

       山男の疲れも  たけき女の思いも

       愁い包みたる人の心も

       和やかに慰めん                  photo   by  Iwago  Mitsuaki

   


   

       野の花を見よ

       踏まれても   また咲きそめし

       美わしきおもざしの中に

       去年(こぞ)の苦しみは 影もなく

       風にそよぎ  陽を浴びて

       幸せに咲いている

   



     野の花を見よ

        難しき世のことどもに

        関わりなく  生命(いのち)あふれて

        片隅にて不平なく

        讃ゆる声なきを嘆かず

        やわらかな花びらを抱く

        その健気さを   汝のものとせよ

                      

       

                    (中森じゅあん 「天使の愛」 中公文庫より)

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2008年10月 3日 (金)

秋の詩

私は今、大きな学びと恵みの中にある。詳細は説明しかねるが、この五ヶ月間の格闘は、半世紀分といえるほどで、執筆のかたわら、相談事に走り回り、原稿以外の書類を打ち続け、胃に穴が開くような日々を続けていた。

しかし、過去の経験から、嵐は澱んでいた塵を吹き飛ばしてくれるものでもあり、過ぎてしまえば、いつも抜けるような青空。それまでとは違う視界が開けることも知っているので、このたびの嵐も拒まず、受け入れることにした。

とはいえ、こちらも生身の人間。このままでは宇治土公さんのように、心筋梗塞で逝ってもおかしくない。と思った私は、知らず防衛本能を働かせたのだろう。過去、そうだったように、どんな小さなことでもいい、日常の中にある喜びをみつめようと思い、道端に落ちているガラス片を拾うように、日々、キラキラ光る希望を探し続けたのである。

幸いにも、神様は嵐と共に、様々なギフトも与えてくださった。試練にも意味はあり、「どんな事態でも」内的平和を保ちうると知りえたことは幸いだったが、いかんせん疲労モードが続き、気分一新、秋季限定テンプレートに模様替えを決めた。

この間の大きな恵みは、なんといっても、多くの方々から支えていただいたことだ。祈ってくださった方もいた。具体的に関わり、適切な窓口を紹介してくださった方もいた。思わぬ方から、落涙感謝の陣中見舞いもいただいた。

こうした交わりは嵐がなければ知りえなかったものであり、破れ(傷)に降り注ぐ雨のようなを覚え、人のやさしさに触れえた私は今、染み入るような喜びを感じている。

そう…植物は成長のために剪定が必要だが、きっと人間も同じなのだ。私たちの「霊的成長」のためには、天からの鋏によって、折々、枝打ちされる必要があるのだろう。

もちろん、その時には痛みがあり(できれば避けて通りたいが)それは「必要な痛み」であり、時満ちたある日、その痛みの源である傷の中から、新しい芽が吹き出すのである。

加えて、私の人生には、これまでも様々な嵐があったが、それがどのように作用したかも知っている。だからこの件に関しても、笑って話せる日がくるだろうけれど…今は秘密。今はただ、支えてくださっている方々に、「心から感謝して」この季節を生きてゆきたいと思っている。


なんだかよくわからない報告でごめんなさい!という、季節の代わり目を覚える今、ステキな詩を発見。

英語はまるきり苦手のクチだが、ふわっと広がる響きがステキで、訳文は、次回アップさせていただくことにした。誰の上にも等しく広がる、秋の空を眺めつつ―

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

         

       Wild  Flowers



Take  a   look at   wild   flowers

Though   they   are  thiny  and  less  fragrant

Their  lovely  grace  can  comfort  all



A  mountain  climber  so  exhausted

A  passionate  woman  consumed  by  ardor

A  man  whose  sorrow  bends  him  over



Take  a  look  at  wild  flowers

Although  stepped  on  they  come  back  rising

You  cannot  find  a  single   sign   of  last  year ’s   harm

In  this  year ’s  blooming

Swaying  in  the  wild  bathing  in  the  sun

They  break  out  in  blossom  happily




Take  a  look   at  wild  flowers

Without  being  troubled  by  the  world’s  affairs

Without  complaint  at  being  left  in  a  corner

Without  bitterness  at  living  with  no  praise

They  display  soft  petals  and  enjoy  life  fully

Take  them  as  your  teacher

                                      (by   Juan  Namkamori  )

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2008年9月11日 (木)

初秋の慰め

私の好きな季節。軽やかさとおちつきが共にあり、空の高みにまで声がとどきそうな、澄みきった日の夕暮れ、初秋の甘やかな風に吹かれて、炎暑の疲れを慰めている…といいたいところだが、身辺、なおも騒々しく、ちとめんどうな交渉事など抱えて、ため息をついたりして。

ふう~Mj   aruhi  no  yume  kodomo to maria sama ↓     


そういえば、このところ、新聞もTVも見ていなかったなぁ、そろそろ社会復帰しないと…などとつぶやきながら、ふとTVをつけたら、あららの操作ミスで、一度も見たこともない放送大学のチャンネルを開いてしまった。

なんとびっくり、いきなりの画面に現れたのは…写真家の藤原新也さんだった!

そう…過去、各界で活躍される方たちに集中的にお会いできたあの頃、私は藤原さんともお会いする幸いを得ている。流れのままに拙著をさしあげたところ、御著書をいただき、友人といっしょに個展におしかけたり、お年賀状の交換もあったのだが、当方、波乱の人生がはじまり、申し訳ないことしきりで、とんと御無沙汰のまま幾星霜…それがどんな星のめぐりあわせなのか、ここにきていきなりまた。

番組は終了間際だった。どうやら最近刊行された御著書に関するトーク番組のよう
だったが、全体構成さえわからずじまいで、あ~あ。

とはいえ、そのラスト数分間で、私は思わぬ慰めをいただいたのである。藤原さんは驕りもてらいもなく、ありのままの口調で語られていた。

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  「この頃、人に“与えたい”んだよね」

 (うろ覚えのため、正確には再現できないが)

「それも無理にそうするんじゃなくて、自然に、そうしたいんだよね」

淡々とした口調だった。

「っていうのは、自分が60歳を過ぎたってこともあるけど、この頃、どいつを見ても、みんな、かわいいんだよね」

広く知られているところだが、藤原さんは仏教に造詣が深く、かつ、キリスト教にも理解を示す言葉を、度々発言されている方である。しかし彼は番組のシメで、その種の教理理念を現すような言葉は一切使わず、ごく普通の日常語で、語られたのだ。

「50歳でも、40歳でも、それができる人もいるだろうし、60歳でも欲しがる一方の人もいる
だろうけど…」

そして番組終了後、私はこれと似た言葉を聞いた日のことを、ふと思い出したのだ。




780c685660dd8ba8bfcfl 横浜の寿町
で、ホームレスの方たちに伝道している50代の牧師を取材した時のことだった。

「先生は、今、なにか欲しいものがありますか?」

その牧師のいる教会は古く、失礼ながら、彼の暮らしぶりも、おおよそ優雅といえるものではなかったのである。しかし彼は私の質問に対して、心底、戸惑って答えたのだ。


「欲しいって…そんなこと…考えたことがなくて、ただ、あげたい、あげたいって、それだけできて…」


社会的背景も知名度も、まったく異なるお二人の、そっくりな言葉だった。そしてその言葉は、同じ源から出て別の川を辿り、長い長い時をへて濾過された、岩清水のような言葉に思えてならなかった。

(私を含めて)世間には、いい大人になっても「欲しい」を連発してばかりの人もいる。友になれるかもしれない相手から、「奪う」ことだけ考えている人もいる。

そしてお二人の言葉に触れた私は、自分は「本当に」与える人になる道を歩めているのかとヒヤリとし、そのくせ経営者時代に発した自身の言葉を、懐かしく思い出したのである。

「人にあげられるものなんか、何も持っていない」

いつもいつも、ぶーたれてばかりの客がいた。もてなす側としては、通ってくださる方に少しでも喜んでいただきたかったのはもちろんだが、それなりの努力を続けたものの、高学歴で高収入、大手の会社に勤務する独身貴族の彼は、根深い問題でもあったのか、延々、ぼやき酒を続けたのである。そして某日、カウンター内に立っていた私は、自分にいいきかせるように、彼に向かっていったのだ。

「持っているわよ。笑顔があるじゃない!」

当時は存分、手を焼かせた…と思っていた彼だった。しかし私の言葉に、きょとんとしたその顔は(藤原さんの台詞じゃないけれど)思えば、飛び立つ前の雛鳥にも似て…結構…かわいかったのである。


(みんな、元気でやっているかしら?)

突然、いいたくなった。精一杯だったとはいえ、与えることの少なかった私を、みんな、どうか許してね…



ロートル雛鳥は、ただいま羽毛の生え変わり中…各方面の無事を祈りつつ、はるかなる空を見上げているのである。

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2008年8月 4日 (月)

おしらせ

アメリカの大学で先生をやっている姉が、都内の某大学の夏季講座で教えるため、来日中。二人だけの会食なんて十数年ぶり?

ゆえあって横浜。どこに行くとも決めずに歩き、たどりついたレストランは、天空の城のようなnice viewで、海・空・ベイブリッジが一望できる席に着いた二人は、オノボリサンのように揃って歓声。

亡母との完全和解をへて、姉を見る目も変わってしまった私は、すごーくくつろいで話している自分に気付き、幸せでした。

もちろん、それぞれ課題は山積みだけど、「開拓者魂」を持つクリスチャン姉妹は、互いの導きを祈りあって解散。喜びのまま、「やったるで」モードに入ったこともあって、今月いっぱい、ブログをお休みにさせていただくことにしました。

Shiisa

                   

                       

                   来月またね

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2008年7月23日 (水)

花の音

朝顔は、英語でmorning-gloryという。それを知った時の新鮮な驚き。

“朝の栄光”。この「栄光」という言葉の意味を、知っている人は少ないだろうけれど。

そこで小さくて偉大なドラマを以下に。96612

たとえば、キリキリ巻かれた細長いネジのような蕾が、長い夜に耐えているとする。

ネジにとって、夜は思いのほか長く、ネジはネジであることの自分に耐えがたいものを感じているとする。

なんとかして咲こうと試みるものの、巻き込みの強さに辟易するばかりで、自身の体はビクともしない。

そしてネジが、もうダメだ、開花なんかありえないと思ったその時、ほのかに東の空が明るみはじめる。

ネジにも訪れる光の一撃。するとネジは、夜通しの格闘が嘘のように、いともたやすく緩み、回転しながら咲き始める。

開花は奇跡。

「栄光」は、開花をもたらすもののために使われる言葉。

その“栄光の時”小さな子供や無垢なる人たちは、きっと、回転して咲く、花の音を聞いている。

そこで私も猫の額の庭に散水し、花に耳をすましてみる。

(……………)

青空の下、錆びたネジ一本拾って、ぽいと捨てた一日のはじまり。彼方では、笑っているようにも聞こえる波の音。朝のスケッチ。

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2008年7月17日 (木)

真夏の夢

Peace あまりに暑いので4歳に返ってしまった…わけではないけれど、


夏季限定テンプレート
に模様がえ。(カテゴリー別に並べ変えると、下に潜水艦も出てきます)



アフリカにいっていた「しんりちゃん」も、その後、世界中の人たちに、お花をあげていましたが、夏休みで帰国中。にぎやかですね。

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2008年5月11日 (日)

Ⅰ have a dream

ミャンマーやチベットを気にしつつ、先週末、次作の関連取材で所沢へ。帰路、青山学院大学主催の対談を聞くため、築地の朝日新聞社内にある、【浜離宮ホール】に行ってきた。

5月9日夕刻。登壇したのは、宗教哲学を専門とするプリンストン大学のコーネル・ウェスト教授と、各方面で活躍中の政治学者、東京大学教授の姜尚中のお二人で、対談のタイトルは《 異なるものとの共生 》 

T3 ※思えば我が人生、青山学院との御縁は深く、渋谷で店を営業していた頃は、短大国文科や英文科の先生方をはじめ、事務局の方も、多々、御来店いただいた。二度にわたった出版記念会や、開店一周年記念パーティも、附属の『アイビーホール』を使わせていただき、今回のチケット入手も、学院学生課の西川豊さんの御助力あってのことだった。青山の皆さん、ありがとう!

加えて、今回の会場の総支配人は、長年の友人でもあり、うれしいビンゴに押されて出向いたところ…素晴らしい対談に感動!


冒頭、ウェスト氏は、たたみかけるような調子でいった。

勇気が必要だ!すべては勇気をもって、物事を批判的に見ることからはじまる!」

聴衆すべてを煽るようなリズムの語りは続いてゆき、

「人生には痛みがつきものだが、個人においてもそうであるように、国においても、自身の最も深い、闇の部分を見つめる勇気が必要だ。アメリカでは、先住民に、黒人に、ヒスパニック系に、性的に、階層的に差別されている人たちに対して、どのように関わってきたか。皆が避けて通ろうとするその闇を見つめないかぎり、人も国も、同じ過ちを繰り返すだろう。日本では、アイヌに、沖縄に、在日に対して、どう関わってきたのか」

photo by Hiroshi Nirei↓

S10001 ベストセラーを多々上梓している彼は、マルチな才人らしく、ラップのCDも発売しているとのこと。スーパー・ラッパーの口調に気おされてか、常とは違うトーンで姜氏が応えた。

「ウェスト氏は、限定的な範囲のナショナリズムと、普遍的なものを同時に追い求めている方のように思うが、

率直にものをいうことの大切さも、知らされた。これまで自分は婉曲にいわざるをえないと思っていたが、まわりくどい言い方はもうやめようという気持ちになっている」 

次いで、

「イギリスから独立したアメリカはrevolution(革命)を、日本は近代化に移行する際、restoration(維新)というゆるやかな変化を経験しているが、無血移行のほうが望ましい」

という認識のもと、

「世界に大きな影響を与えている日米両国は、今、民主主義を活性化させるためのエネルギーが、停滞しているようにみえる」

と述べ、日本の秩序は『天皇制』の下で保たれていると発言したところ、ウェスト氏が刺激的な切り返しをした。

 Jazz1 「アメリカに天皇はいないが、巨大な軍事パワーに対抗する、ピープルズ・パワーが働いている。中でもブルースマンやジャズマンといったアーティストの働きは重要で、ルイ・アームストロングや、BB・キング、ジョン・コルトレーンや、スティービー・ワンダーらは、単なるエンターティメントではなく、迫害の歴史を昇華した、民主主義の守り手たちだ」

加えてロシアの作家、チェーホフの名前もあげて、

「『桜の園』や『三姉妹』にもあるように、ごく普通の人達の暮らしにみる、忍耐や痛みへの共感を持つことも重要だ」と述べ、

民主主義をcultural way of being と定義づける彼は、アイデンティテイとは、たえず構成してゆくものであるといい、何より、国より先にヒューマニティがあると言い切った。

アメリカで公民権運動を率いた、キング牧師が暗殺された時、彼は10歳だったとか。

「クリスチャンでもある自分は、どの国の旗の下にあるかということより、“愛”の下にある」さらには、

「アメリカ人の方がイラク人より偉いとか、ガテマラ人より偉いとか、エチオピア人より偉いとかいう考え方もあるが、自分はヒューマニティを無視する主義を持ち上げようとする考え方に、反感を覚える」といい、9.11以降についても語りはじめ、

Tama

「アメリカでは、今、不安が募っている。テロにやられるのではないか、迫害にあうのではないかと。しかし黒人は400年間、アメリカ社会で同じような思いを経験し、黒人版のアルカイダも、KKKもつくらなかった」

尊い念押しのような言葉はさらに続いてゆき、

傷つけられたから傷つけるのではなく、ヒーラー(癒し手)になれ。痛みを経験したことで何を学んだのか

イミテーション的生き方は、自殺行為だ、クリエーションが必要だ

等々、学者というより、アーティストといいたい彼の勢いはとどまるところを知らず、当初は長いと思った二時間半が、あっという間に経過する!

で、このところ…前頭葉が割れっぱなしの感ある私は…当代の知識人二人を前にして、超僭越ながら、思ってしまったのだ(私が辿ってきた道は…時に愚かで、ぐちゃぐちゃだったけど…方向性は間違っていない!)

思えば我が喜びは、現実社会の真只中で、与えられてきたものだった。そして、パンに飢える者に対してはパンを与え、パンにおごっている者に対しては、【人はパンのみに生きるにあらず】といって看破した、スーパー・パンクのキリストも、現実の真只中で生き、十字架を通して愛を示したのだ。であれば…などと思っていたら、

質疑応答の時間、滞米経験の長い日本人の僧侶から、「同じもののほうが楽という気持ちになりがちだが、違うものを楽しめるようになるためには、どうしたらいいのか」という声があがった。

ウェスト氏いわく、「同じと違うは、車の両輪のように不可分だ。違うことを語るためには、同じ部分を知らなくてはならず、逆もある。その両方を受け入れるためには、禅の瞑想も有効だろう」

姜氏いわく、「ナチスも然りだが、同じものだけ尊ぶ思想は危険だ。生物学的にはどうかわからないが、人間は他者を必要とするようにつくられているのでは。同じものだけが集まると、互いに食い合ってしまうのかも」

ラストは全員立ち上がり、ウェスト氏の野太い声のリードで♪We shall over come~を歌ってお開きに。                                     Hama1

直後、私の隣りにいた大学生(?)二人の会話に、思わず微笑。

「俺、姜尚中、好きだな」「俺も。二人の話は全然わかんなかったけど」「うん、けど、なんかうれしいよな」

その後、浜離宮ホールを仕切る我が友、濱吉正純さんこと、通称「ハマちゃん」と合流し、ホール運営や、アーティストの役割等について、熱く語りあう。

※ハマちゃんは、学芸部時代、堂々の記事も書いていた人だが、今はパフォーマンスの季節らしく、名刺の裏には↑こんなイラストもあり(!)オリジナル人生を楽しむ、シンプル・ハートフルなナイスガイにも感謝で、see you again !

他にも御紹介したい方や、書きたいことは山ほどあり、追々、アップしてゆく予定ではあるけれど…心の水位をあげてきたオネーサンは、今回の対談効果もあって、ほんちゃん勝負の原稿に向かって、火がついたような。夏が山…などとつぶやきながら、マークの鉢巻を、またぞろ締め直したのでした。


※お知らせ。アップ後の記事に手を入れること度々で、工事中の、お見苦しいシーンを目撃された方もおられるかと。ブログは“瞬時”が命だけど、再チェックしてくださると、なおうれし。もろもろ御容赦で、ごめんなさい。次回からは、変則テーマで変則アップとなりそうですが、今後とも、よろしくね!

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2008年5月 7日 (水)

愛についての雑感

 あらゆるところに“愛”があふれている。街、新聞、TV、ラジオ、ネット、いたるところで語られ、追い求められているのが「愛」なのだが、誰もが知っている(つもりの)愛とは何か、説明してといわれたら…

そもそも、人間にとって重要なこの概念を、「愛」という、一言の日本語に押し込めてしまったことに、無理があるのではないだろうか。                   Sp

ちなみに、ギリシャ語では、愛には三つある。

・フィリア(友愛)・エロス(性愛)・アガペー(至高の愛)

うち、エロスを《 美との一致の願望 》といわれた方もいるが、それはともかく、わが国ではこの三つがごたまぜになり、もっぱら、エロスについてだけ語られているような…

もちろん、私はエロスを否定するものではない。私たちに様々な喜びをもたらすそれは、創造の神秘と繋がる尊いエナジーであり、あらゆる創作に欠くことのできない、活力でもあるからだ。

たとえば鮭の産卵や、動物の交尾、ミツバチによる受粉や、彼方を泳ぐ雌を慕って歌う、ザトウクジラの声…それらを見たり、聞いたりする時、内なるエロスが共振し、おのずと歌が生まれてくる。

本来、エロスは、よきものといえるだろう。(これを否定してかかると、様々な捩れが生まれてくる。老人でも聖職者でも人間である以上、その情動はあり、否定は人間否定となり、苦悩が生ずる)

だが、このよきものも、エゴ(自我)の支配下に入ってしまうと、私たちは、いとも簡単に誤用してしまう。

私も含めた多くの人は、日々、様々な思い込み(投影)によって自他を値踏みし、見えない檻の中に自身を閉じ込め、与えられた今という時を、苦いものにしてしまう。

相手を“所有”したいと熱望していたのに、所有した途端、興味を失ってしまう人もいる。互いを解放しあうことを願うのではなく、自分を喜ばせる“道具”とみたて、相手を支配する喜びにかられる人もいる。

自身の苦悩の原因を、とりまく環境や人のせいにする人もいる。貧困や病気や災害等、環境にも大きな要因があることは確かだが、ようは与えられた環境をどう見るかで、選んだ伴侶に不満を言い続ける人もいれば、重度障害を持つようになった伴侶を介護する、輝くような笑顔の人もいる。

そして愚かな道を辿る途上、「愛