日々の波音
●某日、明朝収集のゴミを出しにいったら、赤地に黒チェックの、小ぶりのビニール袋があった。少しも汚れていないそれが妙に気になり、月明かりの下(イルカを拾ったように)拾う。
子供のお稽古道具みたいだけど…(お習字セットかな?)と思って開けたら…なんと、2オクターブ強ある、折りたたみ式の真っ黒な木琴が現れた!
(私の精神年齢が、どんどん幼くなっているので、こうしたものがやってくるのかしらん?不思議でうれしい)
見た瞬間、今、苦しんでいる人たちのことが脳裏に浮かび、深夜、その人たちのことを思いながら(小学生以来!)木琴を叩いて歌った。 ↓ waga reizoko
やすかれ わがこころよ
月日のうつろいなき
み国は やがてきたらん
うれいは永久に消えて
かがやく み顔をあおぐ
いのちのさちをぞ受けん
詠唱を通して私の心にも浄化あり…。
でも、木琴は連結部分の紐が弱くて音に乱れがあり、私に猫名をつけてくれた親友の内山さんに相談したところ、「送って!修理するから」と。
彼女は、クラフト系は何でもやる楽しく器用な人で(石鹸も作る!)早速送ったところ、紐をとりかえ、クッション部分にピンクのスポンジを入れた写真が送られてきた。
後日、音階部分の黒い板に花の絵を描き、猫たちに叩かせると聞いて、にっこり。
修理が終わったら写真を送ってくれるとか。楽しみだニャン!→(ドキッと美猫の故・内山面こと、おもちゃん)
●流れのまま動物編。
知人がシャドウという名の犬を飼い始めた。犬種は?彼は語り部で、まことしやかなウソもつける人ゆえ…ほんまかいなと思い、試しにシャドウとテレパシー交信をしてみたら…マカ不思議な波が返ってきた。
シャドウは耳の後ろを撫でられることや、一緒におでかけするのが大好きだが、ドックフードの種類は、たまに変えてほしいと。でも、重い人生を背負ってきた知人の慰めになっているようで、とてもうれしいとも。
●本の中の犬猫たち。
数えあげればきりがないが…特にドストエフスキーの<カラマーゾフの兄弟>のラスト、アリョーシャと子供たちとのエピソードに出てくる雑種犬の、ペレズヴォン!
早くに死んでしまった少年ミーシャが、何度も何度も、リズミカルに呼びかけていた姿と、未来の革命家を予感させる少年、クラソートキンの眼の力もあって、《痛みと弾む心》の両方を思い出させる、印象的な犬。マズルカでも踊っているような響きの名前が、とても好き。
大江健三郎の小説(「日常生活の冒険」?)に出てくる、猫のジブラルタル。不確かな記憶によれば、灰色長毛種のペルシャのように思うが、主人公が「ジブ、ジブ」と呼ぶたび、ぞわっと不思議な快感あり。私はかの海峡と何か縁があるのかも?
土地にも磁石がある…というか…長く旅をしてきた魂は、土地や人との色濃い記憶を残しているのだろうと。
ふと思う。
(涙って、いいものよね…)
涙は目の中のゴミだけじゃなく、心のゴミも洗い流してくれる…人間は泣いたあと、軽くなるって、知ってた?
うん、だから自分を重く感じている人は、たくさん泣く必要がある。“自分”がぎっしり詰まった心は重くて、息苦しいから。ココロにも風を入れる隙間が必要で…大泣きすると、ビー玉もみつかりやすいよ。
とは、四国巡礼のお遍路さんが身につけているお札(というのか?)に書かれている言葉で、<あなたは一人ではなく、お大師さんと一緒に歩いています>という意味だ。
捩れたものをどっと抱えていた頃は、煩わしい言葉に思えたが、心境の変化か、この頃は、とてもいい言葉に思えてならない。
長い道のりをゆく間、人は空海であれ、キリストであれ、聖霊であれ、あるいは恋人、伴侶、友人、犬猫であれ、同行者を求めずにはいられない。
同行者は得がたいものである。誰だっていいわけじゃない。欲しくても与えられないことがほとんどだけど、「もし」与えられたなら、その時は素直に受け入れるのが正解だろう。
涙や笑いやケンカがあるとしても、同行二人はより豊かで、味わい深い道のはずだから…。
ちなみに、私の友人の銀ちゃんは、奥様だけじゃなく、猫のエルビスと一緒に暮らしている。ステキなハニーのいる別の友人、絹子さんは、犬のコットンや猫のウールを飼っている。
私は、これまで“真に”同行者を求めてきたかな?
…先のことはわからないけれど…わからないまま、今は心の中に、寄せる波と引く波の音を聞いている。
わかっていることは、その音の向こうに、静かな光をたたえる深い慰めの場所があるということ。
“祝福”っていうのは、そこと繋がっていることよね…
時が満ちればさらに。
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