光の踏み石編(4)
それやこれやで、思春期に入った私は、自身の存在価値に不安を覚えるようになる。
その頃、もし、この言葉を残してくれた星の王子様が、そばにいてくれたら、
「心が渇いていたからだね」といって、母と私の心の井戸から、水を汲みあげてくれたかもしれないが、残念なことに、砂漠に隠された井戸のような王子様の存在自体、私たちの目に映ることはないままだった。
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奨学金を得た姉がアメリカに留学した頃から、私は、母のつくる食事を拒むようになってしまう。当初の気持ちとしては「きれいになりたい」それ自体は、別に問題のない感情だった。
問題は、(私がとびきりブスだったかどうかではなく)母から誉められたことがなく、母が日々、強い恐れを抱えていたという点にあった。
子供は、親の空気を察知するものだ。親が何をみているのか、何に興味をもっているのか、それとなく観察し、親の視野の中に自分が入っていること=守られていることを確認することで、安心して個性を発揮できるようになる。
「あなたを評価しているよ」その確認さえできれば、会話がなくても、親子はうまくやってゆけるのではないだろうか?もちろん、教育にも“絶対”という言葉はありえないが、
私の場合、母の視線が自分にきていないという思いが強かった。ゆえに、きれいになって、周囲から「価値あるものに見られたい」と願いはじめたのである。
この世界は、様々な恐れを煽ることでも成り立っている。小さくは(特に男性?)養毛剤やカツラの分野があり、大きくは仮想敵国の脅威があり、各分野、それぞれの商品を購入するわけだが、私の場合、マスコミが煽る、【きれい=スリム=価値】の公式にはめられしまい、食の無駄使いをはじめてしまう。
怨念の家に生まれた不出来な娘でも、(成績は得意と不得意が極端で、そもそも学習意欲がなかった)時期がくれば男子生徒を気にするのは当然だが、こんな自分では誰も相手にしてくれないと思い込んだ私は、
(食べたものを吐いてしまえば、太らなくてすむ)と思い、14歳から、摂食障害になってしまったのだ。
深夜、空腹を覚えた私は、一人、台所に向かう。自分の家なのに泥棒のように隠れて、パンや菓子を口に押し込み、大急ぎで食べ終えた後、大量の水を飲んでトイレで吐く。
しかも初回、私はホッとしたのだ。(これで太らずにすむ)
その気持ちが、【吐かないと太る=愛されない】という強迫観念に取り込まれてしまうまでには、さほどの時間はかからなかった。奇妙な夜のはじまりだった。自分でしていることなのに苦しくてならず、過食と拒食を繰り返しているうち、食事そのものが、恐怖の対象になってくる。ワタシハナニヲヤッテイルンダ?
pcはもちろん、心身症という言葉も知らなかった当時、こんなことをしているのは世界で自分だけだと思い込んだ私は己れを恥じ、不可解な行為の一切は、周囲にひた隠しにする。
(バレたらゴミ扱い)
だがバレるどころか、母は母の戦場に手一杯で、娘の戦場など気づきようもなく、結果、母娘それぞれ、戦線を拡大してしまう。
私の心の中には、懸命に働いて食事をつくってくれる母に対して、申し訳ない気持ちもあれば、恨みがましい気持ちもあった。アフリカやカンボジア難民のことを知るにつけ、自身に懲罰を与えたい気持ちもあった。
母は姉からのエア・メールを手にして、私にいったものだ。「ずっと御祈祷してもらっているから、家もだいぶ清まってきた」
(そんなことより私をみて!)そういいたい気持ちをぐっとこらえて、「よかったね」といって、かろうじての笑みを見せる。この人に私の闇を受けとめる余裕はない。おぞましい行為のことは隠しておこう。しかし隠し続ける心の片隅には(最期には、きっと母が気づいて救い出してくれる)という気持ちもあり、チリチリ、ダイナマイトの導火線を燃やすような日々が過ぎてゆく。
(私たち双方の恐れは、どこからきたのだろう?明日災難にあったらどうしよう?ずっと愛されないままだったらどうしよう?そう思う心は、多分、肉体という人間の外側のみに価値を見ていたからだ。時間の中で滅んでゆく、外側だけ見ていたら怖くなるのは当然で、そこに防衛をはっても、みえない敵を太らせてゆくだけのことだ。真の解放と平安が欲しいなら…)
などという、哲学的考察ができるようになったのは、つい最近のことで…心理学的考察を試みるなら、
数年前、私は精神科医に取材する機会を得た折、摂食障害の原因についても、たずねている。その際、「簡単ですよ、母親のネグレクト(養育放棄)です」という答を得て、ふたつの悲哀を覚えたことがあった。
(やっぱり)という気持ちと(そうかもしれないけど、あなたにいわれたくない)という気持ちのふたつである。
後者の気持ちを知りえたことは、私にとって幸いだった。その気持ちの中には(だって、おかあさんは、大変だったんだから)という、母をかばう気持ちがあることを知ったからだ。私は母を(母も私を、双方が願うものとは違う)それぞれの形で愛してきた。母を困らせたくない。なんとかして姉のようになろうと思い、自身の個性を殺した娘が、自縄自縛の世界に入ってしまったというのが、(一面の)真実といえよう。
私がみつけた最初のシェルターは、図書館だった。「こうではない」世界を求めて片っ端から本を読み続け、ギボンの『ローマ帝国衰亡史』や、ホイジンガの『中世の秋』、プルタークの『英雄伝』や、世界文学全集等々、姉がアメリカにいったせいもあるのか、ヨーロッパ系に引き寄せられて過食のような過読を繰り返す。
十代の私にとって、本は気晴らしでもなければ、ましてや、教養をつけるためのものでも、さらさら、なかった。出会った一冊一冊は救命道具にも似て、生きるすべを見つけようともがく私の「命がけの友」だった。
(ゲーセンにはまる今の子供たちと、さほど変わらないのかもしれない)それでも、歴史の中の偉人たちから哲学や美意識らしいものを吸収できたことは、幸いとしかいいようがなく、
『美術評論』や『画集』にも出会う。ダビンチ、ラファエロ、ボッティチェリの作品をみて陶然とする。
夜毎トイレに顔を突っ込む回数が増えてゆくにつれて、美への憧れが増してゆき、イタリアルネサンスの画家だけでなく、デューラー、ハンス・メムリンク、ファン・アイクらにも惹かれ、
絵画も含むヨーロッパを理解するためには、ギリシャとキリスト教を知る必要があると気づき、関連図書を読みふけった私は、いずれ「聖書」も読まなくては…などと、生意気なことを考えるようになる。
家から歩いて10分のところには、海があった。だが幼い頃、溺れかけた私にとって、海は弟のように遊び戯れるためのものではなく、死のイメージを含むものだった。
太陽は、醜い自分を露にする厭わしいものに思えてならなかった。月に慰めを覚えるようになった私は、自室の部屋の扉に、「月に吠える」を書いた詩人、萩原朔太郎を思って描いた絵を貼り付け、『青猫の部屋』と称して、こもりがちになる。
海で死のうと思うが、事至らず、帰ってくる。ためらい傷だけ残す、リストカットもする。
どんどん息が浅くなる。家にもどこにも居場所がない、家出しようか?どこへ?どこにいっても一人ぼっち、茨に覆われた道しかないと思えてならかった。私の誕生時、奇怪な空気だけ残して去ったインテリ・パンクの叔父ゆえにか、必死に本にくらいつくものの、生きているだけで精一杯の気持ちがつのってゆき、
と母にいったら、即座にいわれた。
「みっともない!」
その返事で、抱えていた哀しみに怒りが加わる。病んだ心のまま(この人は私の命より、世間体のほうを気にしている)などと思ったのである。
※補足すれば、摂食障害は先進国だけに見る病気だが、こじらせると死に至ることもある。現在では、心療内科での治療が常識だ。
私の場合、そうするしかない状況だったが、一人で格闘することは危険きわまりなく、これを読んでくださっているあなたや友人が「もし」同じ病気を抱えていたら、早く医者にゆくよう、声を大にしていいたい。
加えて、麻薬中毒患者やアルコール中毒患者を「人間のクズ」と呼ぶ人もいるが、私にはできない。十年間…私がし続けたことを思うと…誰かをおとしめることなど、とてもできないし、被造物の真の価値を認識するようになった今では、彼らの内にもある光を思い、ますますできない。
ちなみに、選択を間違えたことから生じる“恥”の意識も、魂の癒しがおこると、悪い夢からさめたように消えてゆく(私も存分やったが、この意識があると、人は二重に苦しむ。人からの目線で己を責め、自身の目線で己を責める。(だからといって“厚顔無恥”という意味で使う、「恥知らず」になれといっているのではない。自身の真の価値が認められたら、不必要な防衛は消えてゆく…ということをいいたい)
等々、上記の彼らの繊細な心を思いつつ、再び過去に話を戻せば…
いやいや入った高校でも、状況に変わりはなかった。思春期のエネルギーが注がれた心の中では、静かに怒りが育ってゆき、誰も私を見てくれない!誰も私を必要としない!(と思い込んでしまった)私は、世界も価値なきものと見はじめ、危険物要注意!(こんな世界なんか、ぶっ壊れてしまえ!)と思うようになる。
(なんであれ、信じる心は強力な力を派生させる。問題は、何を信じるかだ。それによって分離と破壊の道か、平安と一致の道か、おのずと現れる世界が決まってくる)
東京では企業ビルの爆破事件が、イスラエルのテルアビブ空港では、日本赤軍による乱射事件がおこっていたその時代、上の世代がしていることを知るにつけ、半ば死んでいるような状態より、死ぬ気になれる何かにかけてみたい…などと思うようになる。
(当時の私なら、それ系の勧誘があったら、簡単についていっただろう。ド・田舎の高校生に、その種の出会いがなかったことは、感謝としかいいようがない)
本家では、病気になった祖父のもとに、新興宗教の教祖になる前の叔父がやってきて、日本刀を抜き、実印を脅し取っていった。彼にも、そうなるには、そうなるだけの理由があり、親戚一同、好ましく思える部分もあったが、私の目が開かれていなかったこともあって、金がらみの喧嘩を繰り返す彼らが人間snakeに思え、捩れた想いをさらに強化してしまう。
醜い、醜いこんな世界に、最も醜い蛆虫のような私が生きている!こんな自分にできることがあるとしたら、自殺か、発狂か、テロリストになることだ。
しかし、そう思う心の底には、とびきり尊いなにかを求める気持ちもあり、闇の中にうずくまる私は、(この世ならぬ美しいものをみたい!)と、願い続けていたのだった。
光は闇の中で輝いている (ヨハネ福音書1-5)
※続く
photo by mituhiko imamori






