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2008年6月13日 (金)

光の踏み石編(2)

願わくば、この小さな試みを通して、私たちが変転する現象の“背後にある”不変の世界に導かれますように。

Stm
第一部をupすることは、私にとって、いささかの勇気が必要だ。往生際が悪いことしきりだが、果たして公開すべきなのか…と。

だが、時、同じくして《秋葉原無差別殺傷事件》が起こり、彼(加害者・被害者)でもあったかもしれぬ自分を強く覚え、公開せねばならぬと知らされた。

人は、自身を“価値ある存在”と見ることができて、はじめて他者を思いやることができる。世の価値感を越えて、互いは尊いものに造られた尊い存在であると認識できて、互いへの敬意も生まれてくる

しかし、そのことを認識していないがゆえに生じてくる悲惨が、世にはあふれており、メディアは悲惨報道を繰り返すものの、真に有効な、認識転換の提示ができていないように思えてならず…

という状況のもと、自分を無価値なものと決めこんでいた私が(そう思いたい誘惑は、今も日々押し寄せてくるが)どうやって“あの世界”を抜け出てきたか語ることは、もしかすると、意味があることなのかもしれない。

前置きが長くて恐縮だが、私の人生は特別なものではない。アフリカのスラムに住む少年のようなサバイバルがあったわけでもなければ、セレブでもなく、虐待児だったわけでもない。

そしてその事実を踏まえた上で、長い時をかけて和解に至った亡き母をはじめ、登場する人物すべても、同じように造られた存在であるということを、ここに明記しておきたい。

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 R3

そもそもは、世にいうところの「逆玉婚」、勤務先の社長の娘と結婚した父が、祖父から譲り受けた家に転居した時から、物語ははじまる。

当時の父の気分は「超ラッキー」。多分、バラ色の人生を夢見ていたはずだが、願いに反して、私たち家族は、ささやかな喜びも束の間、次々、異変にみまわれるようになる。

一酸化炭素中毒だ、赤痢だ、怪我だ、食中毒だと、救急車の世話になること度々の果て、曽祖父の代からの家業が左前になり、連日、ぼっちゃん育ちの祖父に罵倒されていた父が、母を怒鳴り続けるようになったあげくの、会社倒産。不慮の事故で父も早逝すると、含むところでもあるのか、母が、因果の鎖をたぐりよせるように、ぽつりといった。

「やっぱりね…」

I

聞けば、我が家はかつて、叔母夫婦が壮絶な喧嘩の果てに、離婚した家でもあるとのこと。

しかもその別れ際、漢文の素養をもっていた叔父が、恨みつらみのありったけを、壁一面、毛筆で書き連ね、自他に対する憤怒の墨を、ところ構わず撒き散らしていったという。

なんだかラフカディ・オハーンの怪談、『耳なし芳一』にも繋がるような話だが、その部屋で産声をあげたのが唯一、私だと聞かされた時は怖気がきた。

「やめて!」

母は話をやめなかった。それどころか、家を掃除した際、小屋には(私が唯一苦手で名前の発音さえしたくない)snake軍団がいて、父がそのすべてを茶箱に入れ、生きたまま、海に流して捨てたと加えたのである。

「やめて!やめて!」                   ↑ ashi  ga areba heiki                                                     泣きながら叫んだ私は、もちろん、会うことさえなかった叔父の漢文を見ていない。壁紙は剥がされ、あとかたもないのだが、思念というエネルギーも残るものなのか、長年、私がまとって生まれた空気であるところの、“知と怒”が、親しいものになってしまう。

そして歪んだ笑みを浮かべて話し終えた母は、ピアノ教師をしており、よそ目には、お嬢さん気質の明るい人だったが、反面、ひどく臆病で、自身を霊媒体質と公言してやまぬ、土俗的な人でもあった。                                                                       

R1 事実、イタリア歌曲や、北原白秋、野口雨情らの童謡を歌う母の周囲には、奇妙なことが多々あった。(当時はわからなかったが)自分の握りしめた磁石のゆえに、鉄くずがついてくるだけのことなのに、磁石を手放すことのできなかった母は、自らが招いた鉄くずを怖がりはじめ、子供の私に向かって、奇妙な理屈ばかりいうようになったのである。

体が弱かった若い頃には、祖母に連れられて教会にも通ったとのことだが、母は父の死後から、一転、怪しげな祈祷師のもとに通い始め、今度は、そこで仕込んだ話を、子供の私に向かって、話すようになる。

「家はひどい因縁の土地で、昔は死体が投げ込まれていた池だったんだって」

そのせいでかどうか、後年、私は死者たちに親しい世界に飛び込むことになるのだが、母と異なっていた点は、そこで、思わぬ喜びを見出したことだった。しかし、そんなことは予想だにしない頃、

祈祷師から、「このままでは一家全滅」といわれた母は、以後、土地の供養料と称した金を、何十年間にも渡って、払い続けるようになる。

※ちなみに、子供時代に染み付いてしまったこれらの物語は、私が見た事実ではなく、すべて、母から聞かされたものである。だが子供にとって物語は世界そのものであり、私は母を通じて(現代の子供たちがホラーアニメにはまったように)世界を「おぞましいもの」と、とらえそうになったのだった。ゆえにこそ、今の私は、子供たちへのよき絵本や、物語のよみきかせを、本当に本当に、大事なことと思っている。


母が母なりに考え、わたしたちを守ろうとしたことは確かだが、当然のことながら、子供を三人抱えた未亡人の日々は、重圧だったのだろう。母の恐れは恐れを呼び込み、私は、さらなる混沌の中に巻き込まれてゆくのだった…

※続く

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