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2008年4月28日 (月)

ジャンプする初夏

 Koinobori                                 先のプロフィールを打ちながら、“軌跡”を“奇跡”としたい気持ちにかられてならなかった。

よくぞここまで生きてきた。いや、生かされてきたというべきだが、もーダメだ、もーダメだと思いながら進んでゆくうち、徐々に視野が開け、なんとかやってこれたというのが、正直なところである。

過ぎてきた景色のいくつかについては、先々、短編形式でお伝えする予定だが、新しいアドベンチャー・ロードを走る前に、まず、お世話になった方々に、感謝をいわせていただきたい。

最初に、“付添婦”時代、過酷な現場でよくしてくれた、同業者のおばちゃんたちに、ありがとう。

死にゆく人たちを看取る現場で、「ねえちゃん、がんばりな」といって、リンゴをくれた八王子のおばちゃん、銭湯で背中を流しあった群馬のおばちゃん、「おしめ」を「おつめ」としか発音できなかった、超やさしい宮城おばちゃん他、みんなとのサバイバルなしに、今の私はありえなかった。

また、渋谷の夜のバイト時代から、ずっと支えてくれている人たちに、ありがとう。みんなとの泣き笑いを通して、血縁を越えた家族を持つことができたと思っている。おかげで、聖書を知るずっと前から、“隣人”ってなんなのか、わかっていた気がする。ありがとう。                       C1

昼の部の仕事を通して出会った編集者や、ジャーナリストの皆さんにも、感謝をいいたい。特に今、海外におられる方たちに、アメリカ、イギリス、エジプト、中国、タイ、イタリアから、

「ブログ見たよ」の言葉をくださったみなさんの、尊いルポや裏話は、私の隣人意識と、文章表現の可能性を広げてくれました。

加えて、芸術を愛する方々へ。芸術は、本来、創造の源と直結する火花であり、活力である。疲れ果てていた時、ハッとするほど美しいものや、輝くものと出会い続けてきたことで、立ち上がり、進むことができたと思っている。命の喜びを吹き込んでくれた多くのアーティストや、つきあってくれた友に感謝してやまない。       

店に来てくださったお客様たちにも、もちろん、感謝を。慰めの時を分かち合い、様々な情報を提供していただき、沢山のボトルを入れていただいたおかげで、店の家賃や女の子たちのバイト代を払い、母の看護をすることができました。ありがとう。

取材先で、あるいは様々な場所で出会った、聖職者やクリスチャン諸氏へ。多くの牧師や神父をはじめ、皆さんに祈っていただいたことを、感謝しています。いや、それどころか、来店してくださった宮司や僧侶、神学者や、宗教学者や、文芸評論家のみなさんにも、宗派や教派や学閥を越えて、お心使いをいただき、感謝してやみません。

その上で、僭越ながら、いわせていただきます。

家族同士や、子供同士が殺しあう時代、また、練炭や硫化水素による自殺が相次ぎ、咲いた花が切り取られるこの時代にあって、共になすべき「何か」があるのでは?

小さなロウソクでも闇を照らす。ロウソクの大きさは問題じゃない。ささやかでもいい。この時代に対して、「有効な何か」ができるはずだ。私がその道に導かれたのは、多分、みなさんと同じように、無意識のうちであれ、《真理による自他の解放》を求めてのことだったのだから。

Hana ブログを開いた理由のひとつに、この「何か」をクリアにしたい気持ちがあったことを、明示しておきたい。

さらには、病気療養中の方々に。休む時、働く時、すべてはふさわしく与えられるものだが、私もそうだったように、病気の時は逆らわず、止まることで見えてくるものを大事にし、十分休んでください。回復に向かう病床に、日々の慰めがあるよう、祈っています。

他、とりまく自然に。窓辺にくる雀や、テントウ虫、輝く海や、山の端に沈む月にも感謝…などと並べたてていたら、どこからか「うるせー、飲み屋の女ごときが何いってやがる」なんて声も聴こえてきた。

それをいうなら「もと」飲み屋といってほしい。とういより、「もと」であれ「現」であれ、その職業に対して、あなたがなぜ《ごとき》なんて言葉を使うのか、よーく考えてほしい。

私も自他の心の動きを、とことんみてきた人間だから、それなりにわかるつもりだ。妬み、嫉み、憧れ、軽蔑、つまり恐れという闇は、本来、人の心の中にあるのだと。

そして解放とは、この恐れを手放すことで、手放すことができた途端、大いなる感謝や、希望や、平安といった、本来、人の心の中にある光が、現れてくるのだと。

ま、早い話が、私は、いろんな方の背を借りて跳んでゆく、《交代ジャンプ》がしたいのだ。リズムは人それぞれ。休み休みでも、問題なし。跳ぶたびに互いが明るくなってゆくはずの、あのジャンプを、どこまでもどこまでも、やろうとしているのだ。


以下は某牧師がくれた、私への言葉。

「あなたって狂っているねぇ、でも、いい狂い方だねぇ」

その言葉だけを勲章にして、フワッと、あるいはヨロッと、またまたのジャンプを試みるのである。

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