2009年11月 8日 (日)

ハート日記(2)

●また書き始めた。


「神様にハメられた」というか、例によって先もわからぬ世界へ。


ふと、新体道の稽古を思い出す。延々やらされた“連続ジャンプ”。カンベンしてよと思いつつ、ジャンプする前は、いったん、深く沈んだなと。

Cocolog_oekaki_2009_11_08_02_25導入部の消耗激しく、


ジャンキー状態が続くと危ないので 、音楽で緩和。バッハのチェロソナタ集を購入。なんて完璧!数学的、構築的世界の調和に打たれたり、10代に聴いたフランソワーズ・アルディを再聴したり。


●友人との℡も極力控えている某日、用件ついでに「好みのタィプ」の話題になる。「動物系がいいか?植物系がいいか?」と聞かれて、「鉱物系」と答え爆笑される。


《内的に結晶していて動じない人》…っていうのは後付の理由だけど、互いに慈しみ、アホなチャレンジャーでもサポートしてくれる人ならね。


一日が早い。入浴後ストレッチも。長旅になりそう。

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2009年11月 4日 (水)

ハート日記(1)

誰であれ、時がくれば、あえる。               Cocolog_oekaki_2009_11_04_12_06

     その時、響くものがあれば、物語は続く。

              心は自由なので、誰にも支配できないが、

                         

                叶うことなら、

              

                  自分を大切にするように、

                            相手も大切にしたい。

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2009年10月30日 (金)

大リセット中

ゆるみきっていた自分に反省。もろもろ片付け、ブログはしばらく不定期upとします。

                                                              聖霊の炎を内に覚えつつ。Pj

 

    




         

             ※ Paul  Jenkins →

       ≪   Phenomena    Tibetan   Prayer    Crystal     1983   ≫

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2009年10月21日 (水)

オリオンへの手紙

G 再び葉山の佳子さんと。


御主人の義明さんが、海洋教育の講演のため出張中とあって、中学生になった帆南(ハンナ)ちゃんも一緒に会食。


今回のお泊りは、23日まで空に流れるオリオン座流星群を観よう!という思いもあってのことだったが、ただ見るだけじゃなく☆に願いをかけようと決まる。そしてハンナちゃんが、


「でも星が流れた瞬間、三回願いをかけないといけないんだよ」といったため、


「じゃ、星にお手紙を書こう!」となり、3人揃って紙に向かうことになる。



のマーカーを手にした私が、「お手紙だから、相手の名前を書かなくちゃね」といって、≪オリオン座・流星群様へ≫と書きはじめると、ハンナちゃんが、目をキラ星のように輝かせてのマーカーを握る。オレンジのマーカーを手にした佳子さんが、


≪ステキな流星群様へ…≫と書きはじめると、ハンナちゃんがS


「ママ、星にゴマすってる!」といって笑い、私も笑っていう。


「同じ願いを三回書いて、星が流れた瞬間、これを振って星にみせよう!」


それぞれが書き上げた紙を持ち、二階のベランダにある、物干しに出る。


「オリオンさーん」


でも…定刻なのに、ちっとも星が現れない。「物干しに願いを干しておこうか?」という軟弱な意見や、「オリオン・ビールを飲みながらの方がいいかも」という意見も出る中、正確な方角が定かでないことに気づき、調べた結果、東の地平近くと判明し、「もっと灯りの少ないところにゆかなくっちゃ」



Tori_2 まずは海野家の仕事場で、こんもり木が繁る、オーシャン・ファミリーのセミナーハウスにゆく。(もと網元の家で、ここだけ沖縄風)


入り口に置いてあった日本野鳥の会のフリーペーパーに、ふと目が止まる。クリムトか琳派のような表紙の絵は、故・加山又造によるものだが、その図象が銀河のようにも見えて、心のまま、ページを繰る。


目次には、私の好きな写真家の、岩合光昭さん藤原新也さんのお名前が並んでいてハッとするが、その下に書かれていた言葉にも胸うたれる。

                 


                  莫遂有縁勿住空忍



※あらゆる客観的存在には実体がなく、空である。しかし、一切は空であると空に執着すれば、本来の空ではない独善に陥ってしまう。執着する心がなければ、中道にあり、解脱道の人となる…


「佳子さん、これ貰っていい?」怪訝な顔の佳子さんからフリーペーパーを貰った私は、願い紙と共に、流星が観やすい場所に向かうべく、二人と一緒に近くの低山を登り始める。



素晴らしい夜だった。


暑くもなく、寒くもなく、どこからか花の香りが漂ってくるような夜、風に髪を揺らしながら歩く私は、一歩一歩、登る道が急であっても、空であっても、内なる喜びは失せることなく、むしろ増してゆくように感じていた。


低山の裏にある東側の麓に出ると、大小様々な家が並ぶ景色が目に飛び込んできた。地上に降りた流星群のような家々の灯りを目にした私は…あぁ、あの家にも、この家にも、「おかえりなさい」「ただいま」、さもない会話を交しながら年月を重ねてゆく、人の営みというものがあるのだなと…………


目新しい景色は、何ひとつなかった。しかし私の心の何かが明らかに変わりはじめているのだろう。ごく普通の、さもない景色を前にした私は、長年、自分の中にあって気づかなかった≪懐かしい景色≫に出会えたような気持ちになり、あたたかなものがこみ上げてきて、瞬間、涙ぐむ。


小さな空き地を見つけたハンナちゃんが寝転び、仰向けになって夜空を仰いだ。その後ろの草の上に、佳子さんと並んで座った途端、


「あ」


斜め後ろを、かけぬける星のように過ぎてゆく、真っ白な猫の姿を見る。


「今の見た?」

「え?」


それは私だけが見ることが許された幻だったのだろうか。しかし、その時の私の目には、猫であって他の何かでもあるような、まだ若猫といえるの弾むような足取りが、確かに焼きつけられたのである…




結局、流星は見えずじまいだった。


オリオンの星たちは、より低い東の地平で燃えて溶け、彼方の空に消えたのだ。


「寒くなるから」


佳子さんに促されたハンナちゃんが、ちょっと膨れて立ち上がり、次いで立ち上がった私は、誰にも秘密にしておきたい願いを抱えたまま、よき隣人である母子と共に、やってきた道を帰ってゆく。



もしかすると…私たちはいいことと嫌なことを、日々選り分けて嘆いているけど…実は、すべては色濃く繋がっていて、自分が放った想いが、ブーメランのように戻ってくるだけのことかもしれないな…確かにすべての景色はたちまち過ぎてゆく夢かもしれない…であったら、私はその夢をいたずらに怖れるのではなく、楽しんでゆきたいな…



ふかふかの布団を敷き、二人とおしゃべりをしながら、心深くにあるものを感じ、与えられている≪今≫を抱きしめるように、眠りにつく。



つまり、オリオンへの手紙の返事は、見えない星を追って遊ぶ白猫一匹。W


流星は見えなかったけど、いろいろ響きあってなんだか心キラキラ、とてもステキなことを知らされた気分の夜、皆さんもキラキラで、またね!

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2009年10月 2日 (金)

歌を連れ帰る人

アジアで地震。またしてもと思いつつ……早期復旧を願うのみ。10月3日は十五夜。台風の接近や秋雨前線の影響もあり、日本の空模様も定かではないが、一時でも満月を愛でることができればと。


そこで、ふと思い立って月を詠んだ和歌を調べたところ、山とある中、興味深い歌をみつけた。


複数の歌集に挿入された歌だが、おかしなことに、作者の名前はどの歌集にも残されておらず、「田舎の兵士」とだけ記されていたのだ。



文献によれば、その昔、源俊綱の家で≪水上の月≫と題された歌会が催されたとのこと。その際、一人の兵士が歌を詠み、これを聞いた参加者たちが自作を恥じ、みな退出したとあった。


当時の歌人のほとんどは、特権階級にいた貴族や武士だったはずだが、得意満面で揃った彼らが、こそこそ逃げ出す様が見え、ちょっと小気味よい話だなと。


しかし彼らは、歌会からの退出だけにとどまらず……

(以下は私の勝手な解釈で、研究者から笑われるかもしれないが)彼らは多分、自作を恥じるだけでなく兵士を妬み、後年、歌集を編纂する際、なんらかの圧力をかけ、兵士の名を「意図的に」削除させたのではないだろうか?


(歌会に招かれるくらいだから、兵士はかなりの詠み手として知られていたはずだし、そもそも、招待者が客の名前を知らないはずがないのである)


もちろん、我が国では万葉集以来、「防人の歌」とか、「東国の武士が詠める」といった呼称も用いられている。誰が詠んだのかわからない≪口承歌≫のような場合、“詠み人知らず”も使われている。


しかしこの場合、誰もが認めた秀歌の詠み手を紹介するのに、わざわざ蔑称としか思えない「田舎の」兵士と記したのだから、編者の意図を疑わずにはいられない。


風雅の道でも人が集まる限り汚水は流れるものだが、自身の名前が欠けた歌集を見た時の、兵士の気持ちはいかばかりか?


彼は落ち込み、その後、歌から離れてしまったのだろうか?私はそうは思わない。


「兵士」という荒らぶる職に就きながらも、このような歌を詠んだ彼は、学歴(学識)・家柄・面子にこだわり、権力闘争に明け暮れていたであろう都の歌人たちとは、ほど遠い心をもっていたはずだ。


(いいたい人にはいわせておけ)

兵士は世を遥かに超えて澄んだ心を持ち、以後も野に遊んだのではないだろうか?



たとえば満月の夜、彼は山深くにある湖で釣り糸を垂らしている。


これまで様々な魚を釣ってきたが、彼はもう(大物を釣ってやろう)とか(名をあげてやろう)といった気持ちは失せており、空や水とひとつになり、湖底に眠る魚の寝息を聞いている。



釣り糸が彼の≪歌心≫なら、魚は≪歌≫そのもの。W



空っぽの心で垂らした彼の糸に、強い引きがくる。ほどなくして、水に映る月を破り、金色の魚が跳ね上がる。


そして「歌」である魚は兵士のような人こそ待っていたので、安んじて彼の魚籠に収まり、彼と共に家に帰る…。





和歌の歴史上、兵士の名は残されていない。しかし彼は歌を連れて帰ったのだ…と私は思いたいのである。







   水や空     空や水もみえわかず

  

         かよひてすめる     秋の夜の月

       

  

    ※(続詞歌集184  新後拾遺集372  古今著聞集6  十訓集3より)

      田舎の兵士詠める

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2009年9月28日 (月)

満開

Dscf0006 庭のエンジェル・トランペットが(どうしたの?)という勢いで、満開になった。大きく開いたその数、約70輪!


(なんだか、天使の軍団がきて、祈ってくれているって感じだな…)


と同時に、インド原産のこの花は曼荼羅華ともいい、釈迦が世に現れた時、天から降ってくるといわれる花でもある。そう思って見ると、迦陵頻伽(極楽に住むといわれる鳥)の声が聞こえてくるようでもある。


花は花でしかないが、人は様々に投影する。そしてその投影は、その人が慣れ親しんだ象徴からくることが多く、象徴が違っても、人はみな、幸せを求めている…


確かなことは、私は、時折り水をやる以外、なにもしていなかったのに、かくも見事な花が開いたということ。また、夕暮れから夜にかけて、花たちが素晴らしい香りを放つという、奇跡のような事実だけである。


そう…御近所の方々にも、圧倒的な香りが届き、みなの心に、なんらかの影響を与えていることは確かだろうけれど…それぞれ、いろんなことがあるだろう人生、この数日だけでも、みながステキな夢を見ることができればいいな…


そんなことを思いながら、薮蚊の襲撃にもめげず、何度も何度も、花の下に潜っている。

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2009年9月24日 (木)

願い

≪終の棲家≫について考えている。青い鳥が住んでいるその家は、決して大きくないが、自然と共にあり、いくつかの独立した部屋をもっていて、時折、よき友が集うことのできる、共通のテーブルがある。

私はもう怖れずに、幸せを選ぼう… Bb

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2009年9月22日 (火)

初秋の音色

●秋の気配が満ちてきたら、チェロが聴きたくなった。M


チェロは、金管楽器のような輝く音色は持っていないが、木製ゆえの深みとぬくもりがあり、腹から腰を抜けて大地に響く音色は、弾む春や、苛烈な夏を越えて深まる、秋そのものである。


で、笑われるかもしれないが…大人の包容力と思索性をチェロに投影してやまなかった私は、ひと頃、チェロを弾く人と結婚したいと思っていたのだった。


正しくは、チェロ的風合いを持つ人…なのだが、まず形から入った私は、電車の中でチェロケースを抱えた人に出会うと、ドキッとして顔を覗き見たり、


つい先日も、バスの車内でパブロ・カザルス・フェスティバルのステッカーや、SAITO記念オーケストラのシールを張ったケースを持つ人に出会い、ちらちら顔を見ては、怪訝な視線を返されたばかりである。


K 私見をいわせていただければ、チェロには、名残りの若さと渋さが同時にある。


たとえば、バカな私が何をいっても、チェロ的ハニーなら気を荒立てることなく、抑制のきいた心で、余裕の笑みを浮かべてくれる…ような気もする。


そんな人がどこかにいたらと夢見るうち…かくも長い独り身が続いてしまったわけだが、


肝心のチェロ音楽に詳しいかというと、実は入門編止まりで、お恥ずかしいことしきり。


雑学系で荷物を極力少なくしたい私は、音楽はFMが基本で、「その時」与えられる曲との交流を楽しむか、「これは」と思うCDを繰り返し聴くのどちらかだ。


かつては演奏会にもよく行ったが、今はNHKのクラシックアワーを聴くこと度々で、あったらいいなと思う、ヨーヨー・マの【バッハのチェロソナタ全曲集】も、現時点では未購入。


つまり、私は極めて原始的な人間で、季節の移ろいに反応し、春になるとピッコロを聞きたくなるように、秋になると俄チェロ・ファンと化し、ミーシャ・マイスキーのCD等に耳を澄ます、半端なクラシックファンなのである。


手持ちのCDのうち、シューベルト【アルペジオーネ・ソナタ】や、フォーレの小品、【Tristesse】は何度も聴いているが、聴くたび思う。


音楽って、水の流れに似ているなぁ。


せせらぎや、川や、滝や、運河や、海溝や、海洋にある流れにも似て、ある時は繊細かつ優美に、ある時は大胆かつ豪壮に、膨らみや収縮を重ねてどこまでも流れ続け、上昇や下降、爆発や沈静といった様々な音の運動を重ねて聴くものを包み、私たちに生命そのものといえる、揺らぎを与えてやまないのである。


音楽はよき隣人。しかし様々な隣人たちに囲まれながらも、【ゴーシュ・求む】


そんな看板も、こそっと掲げたい気分の今…新しいオトズレをヒソカに待っているってところか。


●と、ここまで書き、話題になって観ていなかった映画、≪おくりびと≫のTV初放送を見たら、びっくり!主人公がチェロを弾いていた!


映画の感想はあえていわないが…主人公の職業や人生を思うとチェロしかなく、その音色の中…母が亡くなった時のことを思い出した。


母の最期の時、“納棺師”はいなかったので(というより、我が郷里では見た事がなく)私が162cm・36㎏と化した母の体を清めて、服を着せ、口に綿をつめ、化粧をほどこし、胸に十字架をかけたのだ。


右は、郷里の古い教会で撮った写真で、正餐式用の聖具の横にある、硝子器の中には、63歳で受洗した母が、洗礼式で使用した水が入っていた。J


ゆえあって、その日、立ち会った身内は、私だけだった。


そして式に先立つ半月ほど前、イスラエルに旅した私は、母の洗礼用にと、ヨルダン川で汲んだ水を牧師に使っていただいたことも、今ではよい思い出のひとつである。


そうだ…私と母は激しい関係で、言い争いも多々あった。しかし愛憎を超えて働く、≪上よりの力≫があったことも確かだ。


後になってわかることもある。あの時もこの時も、私はお手上げで、自分を無力に思っていたが、振り返れば、無力という≪空の器≫に注がれた光量は大きく、ゆえにこそ、道は開けたのだと。


何事も、自分の尺度で決めつけないように!


人生、すべからくお任せモードになってきたような感じだが、何が飛び込んでくるかわからない今、諦念とは異なる「よろしくね」でゆくのが正解かも?

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2009年9月18日 (金)

球体憧憬

俳人の梶等太郎さんから、お兄様である北村武士さん(グラフィック・デザイナー)が創られた写真集をいただいた。


最終頁に記載されていた、写真集と同タイトルの文章を以下に。

Jiro


        ※ karada no iro  honto  ha   glay →



アルマジロの網膜


アルマジロは、南米に棲息する哺乳動物です。背中は硬い殻をまとっているが、相手を攻撃する武器はもっていない。


他の動物と対峙する瞬間、ただ身を丸めて、相手が退却するまで、静かに待って防衛に専心する。その姿は、人間に戦いをしない平和を暗示しているかもしれない。


憶測するところ、アルマジロの網膜には、長い歳月、人間が争う数々の愚行が投影され、その非合理を見抜き、そして、優れた視線で、宇宙を眺めては、太陽と地球と月が丸い球体であることを知る。


その時、球体の美しさにアルマジロは陶酔し球体願望が生れ、自ら球体になろうと挑戦する。


そんな折、身を丸めて戦わず勝利する、独自の兵法の奥義を取得したのであろうか。

アルマジロの辞書に学ぼう。

 

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2009年9月10日 (木)

希望の光

B 拙宅の目の前にイタリアン・レストランが開店した。時折の風に混じるニンニクの香りを嗅ぎながら、かの国のことを思い出していたら…


以前、拙著で御紹介した、酒匂キリスト教会(小田原)の、勝俣慶信牧師から℡が入った。


私が近況報告もかねたメールを送ったところ、同時に(これは)という方からのメールが着信し、促しを覚え、℡をくださったとのこと。


「イタリアに留学されていた、テノール歌手の方なんですが…」


聞けば、牧師にメールを送った方は、【 前田進一郎さん 】といって、その昔、韓国で宣教師もされていたとのこと。


前田さんは、どういう流れか、私の書いた『現代牧師烈伝』を読んで心を動かされ、勝俣先生に「はじめまして」メールを送られたのだと。


そして私も過去、(少ないとはいえ)何冊か本を書いてきたので、いろんな方々との御縁をいただいてきたが、テナー歌手ははじめてで、興味をもってネット検索をしたところ、


おお、前田さんのお顔が、随所に現れた。


イタリアというより、スペイン・バスク地方を思わせるような、濃い命を持つお顔だな……と思っていたら、それもそのはず、前田さんは、沖縄出身だった!


加えて、我がブログ記事でもupした、スウェーデンのゴスペル歌手、レーナ・マリアさんの専属ピアニストとも競演され、CDも販売中。

http://www.kyobunkwan.jp/einkarem/shop/53_1176.html


私の好きな世界が三つ揃い…しかも短縮形のお名前が“前進”(!)という方が、今、現れたことに意味を覚え、勝俣先生に向かって、思わずいう。


「いつか前田さんのコンサートがあったら、御一緒させてください」

「それが、近々あるんですよ」A_2

(へ?)


それから先は、あっという間の展開だった。




勝俣先生が前田さんに取り次いでくださり、一度もお会いしたことのない御本人から、御招待したいとの連絡をいただいたのだ。


事が動く時って、こうなのね。キラキラ、トントン流れてゆく。


そうなんだ、いつもいつも、≪自分の計画≫にしがみつき、流れない川にしがみつくのではなく、喜びをもたらす≪神の計画≫を選びなさいと、招きの声が聞こえてくる。


であれば、まだ見ぬ前田さんに心から感謝して、弾む心のまま出かけよう。


心が自由でありさえすれば、そのスペースに神様からのギフトが飛び込んでくる。日々の憂いにとらわれて、心のすべてを明け渡してはいけないし、事実、≪真の喜びの道≫を求め続けている以上、明け渡しようもないのである。


そして何より…拙著が様々な形で用いられ、このような形での喜びが、今、届けられたということに…私は、限りない感謝を覚えてやまないのである…。


どの仕事も楽じゃなかったけど…書いておいてよかったな。



当日は、友人たちを誘ってうかがう予定。ソプラノ歌手の方との競演や、合唱もありとか。会場は、JR石川町にある≪イタリア山庭園≫近くの教会で、お時間と御興味のある方は、ぜひどうぞwine

 


 ☆10月10日(土)pm6時開場・6時半開演。前売2000円。当日2500円

     

      「希望の光」コンサート (横浜セブンスデー・アドベンチスト教会)

             http://navikana.com/045-662-7266/

       

        ※このコンサートの収益金は、国際飢餓対策機構に寄付されます。

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